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前回と同じ航空写真(クリックで大きくなります) 「大宰府政庁跡」ここは大野山南麓の平野に築かれた都城跡であり、中 心となる政庁跡は「都府楼跡」とも呼ばれています。(写真は前回と同 じ航空写真です) 663年の「白村江の戦い」の敗戦後、本土侵攻を危惧した朝廷は、非 常事態に備え、福岡にあった那の津の官家(みやけ)を大宰府に移したこ とから、大宰府政庁は始まったとされ、その後も水城や大野城、基肄 (きい)城が築かれ防備が強化されました。 当時、政庁は南から北へ、南門・衛門舎・中門・東脇殿、西脇殿・正殿 後殿・東楼、西楼・北門があり、中門と正殿は回廊で結ばれていてかな り大規模な造りだったようです。 藤原純友の乱平定以後は、8世紀律令制下の大宰府とは大きく変化し、 1019年「刀伊の入寇」(大陸の沿海州地方や中国黒竜江省方面に住 んでいた女真族が筑前、壱岐、対馬などに来襲した事件)以降の南北朝 時代あたりからは九州には武士団が形成され、大宰府官人の武士化が進 みその役割も終わったとされています。 昭和43年から続けられている発掘調査で、平成18年には新しい道路 遺跡等の発見もあり、今後どのような発見があるか楽しみです。 (現在は史跡公園になっています) 朱 雀 通 り か ら 続 く 入 り 口 に あ る 碑 正 門 の も の と思 わ れ る 礎 石 (政庁跡前を流れる御笠川の改修工事で川底から見つかった) 南 門 跡 南 門 の 説 明(クリックで大きくなります) 草が邪魔をして見難いですが・・ 南 門 復 元 模 型(これは借り物です) 中 門 跡 回 廊 跡 脇 殿 跡 1,2(東西同じ造り) 正 殿 跡 正 殿 の 説 明(クリックで大きくなります) 政 庁 脇 を 流 れ る 水 路 展 示 館 全 体 復 元 模 型(パンフレットから) 今回も長い記事にお付き合い頂き、ありがとうございました。 一部画像は借りています |
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