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写真は「定 家 葛」(テイカカズラ)の花です。 万葉の頃は「石 綱(いはづな)」と呼ばれていました。 ※この名前は、藤原定家が式子内親王に許されぬ恋心を抱き彼女のお墓 に纏わりつくと言う、謡曲「定家」に由来しています。 ※石綱は「葛」「蔓紫陽花」と言う説もあります。 公園内の垣根に咲いている定家葛 近くではこんな妖精たちも ア グ ロ ス テ ン マ、ニ ゲ ラ、ラ ム ズ イ ヤ ー、ガ ザ ニ ア 時 計 草、ラ グ ラ ス、ア ゲ ラ タ ム、ガ ウ ラ(白蝶草) 石 綱(いはづな)の ま た 変 若(を)ち か へ り 青 丹 よ し 奈 良 の 都 を ま た 見 な む か も よみ人知らず(万葉集)巻6−1046 <意味> 岩に這う蔦のようにまた若返って、また奈良の都を見る事が出来るだろ うか。 天平12年(740)聖武天皇は京都南部の木津川辺りにおいて恭仁宮(久邇 宮)の造営に着手し、和銅3年から30年余り続いた平城の都からの遷都を 決めました。 遷都の理由はいろいろな説があり、はっきりとしていないようですが、 右大臣・橘諸兄の考えが大きな影響を及ぼした時代でした。 みんなが新しい都へ移って行き、奈良が廃墟になろうとしているのを残 念に思い、長生きをしてまた昔の繁栄を取り戻した奈良を見たいと念願 しています。
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