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閑 日 茶 話
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府の大寺

大宰府政庁の東に隣接して建てられた観世音寺は、当時は九州の中心とな

り「府の大寺」と呼ばれました。

百済を援助する為に九州に向かった斉明天皇がこの地で亡くなり、息子の

天智天皇が母の菩提を弔う為に建立し、80年余りを費やし天平18年

(746)に完成しました。

当時は、講堂、金堂、五重塔が揃った大寺院だったようです。

現在の講堂や金堂は江戸時代に黒田藩が再建したもので、県の文化財に

指定されていています。また、梵鐘は、朱鳥13年(698)に鋳造された

京都・妙心寺の鐘と兄弟鐘と言われ、我が国最古のものとして国宝に指

定されています。(この鐘は大晦日に放送されるの「ゆく年くる年」で

何回か紹介されているそうです)

講 堂、 鐘 楼、 五 重 塔・心 礎、 参 道、 宝蔵、万 葉 歌 碑

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太宰府では有名な「梅が枝餅」
※一部画像は借りています
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ま そ か が み  見 飽 か ぬ 君 に  後 れ て や 

朝(あした)夕 べ に  寂 び つ つ 居 ら む

              沙弥満誓(万葉集)巻4―572

<意味>
何度お逢いしても見飽きることのない貴方において行かれて、朝も夜もこ

んなに寂しい思いでいます。

この歌は、観世音寺別当として当時も筑紫に残っていた彼が、大納言に任

命されて帰京してしまった大伴旅人へ贈った歌です。

作者は有能な国司として、和銅2年(709)には木曽路を開通させるなど

活躍をし、翌年に尾張・参河(三河)・信濃の三国を管理する按察使を兼

ねて右大弁として中央に復帰するが、翌年5月、元明太上天皇の病が早

く治癒する事を願い、出家する事の願いが許され、以後は沙弥満誓(さ

みのまんせい)と呼ばれる。(俗名は笠 麻呂)

養老7年(723)筑紫観世音寺別当となり大宰府に赴き、翌年大伴旅人

が大宰帥として赴任すると、いわゆる「筑紫歌壇」の一員となり、万

葉集に7首の歌を残した。

今は「太宰府」と書きますが、古代は「大宰府」と書きました。

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