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幡随院長兵衛誕生地と日在城
先週、唐津へ海水浴に行く途中、
道中、「幡随院長兵衛誕生地」という標識発見。
幡随院長兵衛は江戸初期の町奴で大侠客…らしい。
歌舞伎でも取り上げられかなり有名らしい。
恥ずかしながら、ナツメの10ちゃんはその名しかしりませんでした
これは行ってみねば。
娘を連れて寄り途してみました
↓
近くに、JR肥前久保駅が
この駅に隣接して誕生地が
唐津〜伊万里の街道沿いに所在
写真奥の山並みの向こうには玄界灘
古来から松浦党の活躍の拠点です
幡随院長兵衛生誕地に建てられた大きな石碑
石碑は昭和5年に建てられ、双葉山が序幕、題字は小笠原長生。
小笠原長生は小説「坂の上の雲」で秋山真之の親友として描かれてました。
唐津藩主小笠原氏世嗣で幕府老中小笠原長行の子で日本海軍の軍人。
長生は秋山真之に瀬戸内村上流の海軍兵法書を紹介したとのこと。
秋山真之は長生から紹介された村上流の兵法から日本海海戦の戦法を構想したとか
私的にはこちらに興味を魅かれてしまいます。
また、ナツメの10ちゃんが魅かれたのは、
幡随院長兵衛の出自。
説明版では、彼の出自は松浦党の鶴田因幡守勝の塚本伊織という家臣の子に。
塚本氏は生誕地のある久保に館を構えていたそうです。
鶴田氏が属した波多氏は羽柴秀吉が起こした朝鮮の役の際に改易となってます。
たぶん、その時、塚本家も領地を失ったのでは?
その後、江戸初期に塚本伊織は長兵衛を連れて江戸に行く途中病死。
長兵衛は父の遺命により江戸の幡随院を訪づれ、侠客として名を挙げたらしい。
そこで、松浦党に属し、この地を治めた鶴田氏について知りたくなりました。
でも、なかなか情報少なし。
ウーン
今回は「伊万里市史」に載っていた鶴田因幡守勝の居城「日在城」について
調べたことをご紹介します。
↓
日在城は峻嶮な山の痩尾根に立地
城下には「大手口」や「陣内」、「的場」、「構」、「館」等のしこ名がみられるそうです。
城の東南(「大手口」しこ名の有る方向)から登る山道が現在も残っており、
戦国期も、こちらから登城していたのでは?
城下には、唐津と伊万里方面を繋ぐ街道と宿場街があり、城はそれらを抑えるうえで絶好の位置に。
松浦党の盟主的存在である波多氏の居城「岸嶽城」も山を隔てた場所に。
鶴田氏は波多氏に対し、ある時は臣従し、あるときは対立。
近隣大勢力であった後藤氏や松浦氏、新興勢力の龍造寺氏と駆け引きを繰り返しつつ城と街道沿いの領地を確保していたようです。
日在城縄張「伊万里市史」
城は良く言えば峻嶮な地形をフルに生かしたつくり。
中世の趣きを多分に残した素朴な構造だったようです。
明瞭な平坦成形は主郭と思われるAのみ。
そのほかの平坦面も互いに連携していない。
つまり、自然地形をほとんど改変しないで利用している城。
A:主郭?(唯一の明瞭な平坦成形部)
B:帯郭
C・D(青):堀切(でも、ほとんど自然の谷とのこと)
地図左端の道:上地図の大手口からの登城道
鶴田氏は佐賀平野の龍造寺氏や、武雄盆地の後藤氏、同じ松浦党の松浦氏、近隣(唐津東部)の草野氏と離合集散をしつつ戦国末期まで生き残ってきたようです。
最終的には戦国期に関係の深かった後藤氏の家臣になりこの城を去ったようです。
後藤氏は佐賀藩鍋島家の重臣(親類同格)となり、江戸期を生き抜きました。
後藤(武雄)兵は佐賀藩の中でも最も早くから槍刀や鎧を排し、小銃、大砲で洋式武装化した先進的集団で、幕末の戊辰戦争では秋田方面に出兵して、その戦闘力の高さを証明しました。
日在城を居城とした鶴田氏は後藤家中に加わり、その後、歴史の流れの中でどのように生きたのでしょうか…。
龍造寺氏や後藤氏の戦国模様については
こちらの栞さんのブログがベストかと
↓
最近?、この鶴田氏の分家筋の城であった獅子ヶ城が県指定文化財となり、発掘調査報告書が刊行されていたことを知りました。
次回、この件について報告したいと思います。
あっしまった
肝心の幡随院長兵衛についてふれてない…
すみません。説明版をお読みください。
よろしければ、ぽちっとお願いします。
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ナツメの10ちやん
ややこしくて解りません(~o~)、自分の未熟でする。
浪曲とお芝居で、ばんずいんちょうべいは、格式のある侠客者。
松浦党は、村上水軍<海賊 : 海軍の前身>
↓
清和源氏
ここまで、知ったかぶり訂正して下さい。
2012/8/17(金) 午後 7:10 [ オリーブ ]
オリーブさん
こんばんは。
長兵衛の父親が松浦党の一族である鶴田氏の家臣だったそうです。
松浦党は水軍でもありますが、村上水軍とは別の氏族のようです。
江戸時代に唐津を支配した小笠原氏の子孫、長生が村上水軍の兵法書を秋山真之に渡して、その兵法書の内容を真之が日本海海戦の戦法立案に役立てたみたいです。
ブログ記事の内容が時代も内容もバラバラで判りづらくてすみません。肝心の幡随院長兵衛についてはあまり触れてないし…。
2012/8/17(金) 午後 7:57 [ ナツメの10ちゃん ]
幡随院長兵衛は松浦党の出身だったのですか。
実は幡随院の敵役の水野十郎左衛門は我が福山藩主初代・水野勝成の末裔でござります。なので、二人の確執はある程度知ってますが、父上のことは知りませんでした。
2012/8/18(土) 午前 0:10
あきちょ〜んさん
おはようございます。
長兵衛の父親が松浦党一族の家臣だったとの説明でした。
そういえば、水野氏は唐津藩の藩主だった時期もありましたね。水野忠邦のときに。深い因縁かな?
2012/8/18(土) 午前 8:01 [ ナツメの10ちゃん ]
当ブログを御案内頂きありがとうございます^^/
村上氏は源氏ですが、清和源氏
松浦氏は源氏ですが、嵯峨源氏です。
とはいえ鎌倉時代は専門外なので、どう違うか解ってないですけど,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
松浦の面倒なところは、松浦党としてのグループと
松浦党に所属している武家が、個々の判断で動くときがあることです。
同じ松浦党でも上松浦と下松浦があり、
さらに地名としても上松浦と下松浦の呼称があります^^;
鶴田氏は上松浦所属です。
簡単ですが、以前まとめた記事をトラックバックしますね^^
連載中の竜造寺編で松浦党も鶴田氏もいずれ出しますね^^
>獅子ヶ城が県指定文化財
(*ノ・ω・)ノオオオオォォォォ
県予算キタァ━━━━ヽ(´ω` *)ノ━━━━ッ★
>発掘調査報告書が刊行
報告記事を楽しみにしてます〜ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ
2012/8/19(日) 午後 8:32
九州は城郭調査が全体として遅れているんです。
肥前名護屋の陣屋跡も個人の私有地だし、
(ここは所有者の好意で短期間だけど発掘調査してるが、
調査終わった今は元通りの土の下〜・゜・(PД`q。)・゜・)
豊後大友関連の山城も個人所有の山林だったりで、
そっちの保存状態は絶望的です(;;)
島津家で知名度ある大口城ですら、ほとんど何も解ってません。
(築城主・築城年度と基礎データすらない)
肥後には古墳の上にある城(相良氏)があったりするんですが、
古墳としての調査しかしてなかったり( ̄ω ̄A;アセアセ
だから一氏族の分家筋の城に県指定って素晴らしいことだと思います。
ゆるキャラ観光地化目当てでも(・∀・)イイ!
てことで郷土史オタには夢のような話です (人´∀`).☆.。.:*・
ALLヽ(*´∀`)ノ★ぽち
2012/8/19(日) 午後 8:43
栞さん
獅子ヶ城娘と行ってみようと思います。
どうも、寺沢氏が鍋島への抑えとして支城としてかなり改築しているらしいのが残念ですが。
2012/8/19(日) 午後 9:00 [ ナツメの10ちゃん ]
幡随院長兵衛の碑はすごく大きいですね。お嬢様スケールがnice!この人知りませんでした。。。。
日在城、等高線に見事に一致するんですね!
2012/8/21(火) 午後 9:37
chihaさん
日在城はいわゆる近世城郭とはかなり違いますが、九州の小豪族の城を知るうえで興味深い存在かと…。等高線に一致するのは、多分縄張調査の仕方の結果かもしれませんが。城の規模は勢力範囲にしては大きいのでは?って思ってます。これも、中世的な城郭だからでしょうか。
2012/8/21(火) 午後 10:17 [ ナツメの10ちゃん ]
過去記事にすいません。
最近、鶴田氏の動向に関する論文を入手しました。(^◇^)
ちょっとリサーチして波多氏の後に記事にしますので、
その時にはトラックバックさせて下さいm(_ _)m
2014/2/5(水) 午前 1:45
この記事から間が開いちゃいましたが、鶴田氏リサーチ入ります^^/
後藤家臣時代〜鶴田氏から家老を輩出してます^−^
そのエピも後半に出しますね(^ -)---☆Wink
2014/2/11(火) 午前 9:19