El Fuelle

バンドネオンで回る日々

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クリストバル・エレーロ。懐かしい名前である。昔流行っていた結核とやらで病床にあった頃、楽しみはラジオの音楽に耳を傾ける事であった。その一つが高山正彦氏解説による文化放送の「これがタンゴだ」だった。戦後のことで曲は戦前録音の物ばかりであったが、ある日突然、高山さんが「戦後初の録音によるレコードが発売された」と叫んでいた。
 これが、クリストバル・エレーロ楽団の「辻音楽師が行く」であった。いまでは「オルガニート・デ・ラ・タルデ」と原語で言われている名曲である、昭和28年のことである。

これが、私がタンゴファンになった原点である。

しかし、その後クリストバル・エレーロの名前というか、演奏をとんと聴く事がなかった。大岩祥浩氏の「アルゼンチンタンゴーアーティストとそのレコード」によると、1909年生まれのバンドネオン奏者だが、アルゼンチンでは殆ど無名の存在であるとの紹介されているにすぎない。

謎の人物のまま、50年。ところが、このほど、石川浩司さんが、最近得た情報としてホームページに紹介された。
それによると、
クリストバル・エレーロ(Cristobal Herreros)はバンドネオン奏者で、1909年9月14日、
スペインのバルセロナで生まれ5歳でアルゼンチンの地方都市に移住した。のちブエノスアイレスに出てファン・エレル(Juan Elhert)のコンフントを経てロベルト・フィルポ楽団に入る。

当時の同僚にファン・カルロス・カビエージョ、ファン・カンバレリ、アンヘル・ヘンタ(以上バンドネオン)、オルランド・ペリ、ロベルト・ロッタ、イシドロ・ロペス(以上バイオリン)などがいたと言う。

その後自己の6重奏団を結成、コリエンテス通りの「タンゴ・バー」に出演し人気があったと言う。この時のメンバーにはマリオ・カルダラ、アルマンド・スコティエリ、ロベルト・ペレス・プレッチ、ロベルト・パンセラ、エクトル・ラカルーアと歌手のアルベルト・モランだった。

1940年に「エル・ナシオナル」に出演したが、ある日オスバルド・プグリエーセが聴きに来てモランに着目、結局モランはプグリエーセ楽団に移った。このあと歌手としてロベルト・ディアスが入ったが、この人はボクサーだった。このディアスが歌っていた時代のものが、昭和28年日本のクリスマールから発売されてた。

 エレーロ楽団は1959年にコロンビア国でメルセデス・シモーネの伴奏として「アンダンテ・コン・ラ・オトラ」「パドレ・ヌエストロ」「ネグラ・マリーア」「クアンド・シルバ・エル・ビエント(ハバネラ)」の4曲を残したとの記録があり、最初の1曲はコロンビアのソノルックス盤で聴くことが出来るそうだ。

エレーロは晩年をブエノスアイレス郊外のヘネラル・ラス・エラスで過ごしていたが2002年12月18日に亡くなった。

貴重な情報、石川さん有難うございます。


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