|
登山帰りに疲れた身体にビールを補給する為に横浜駅で途中下車。 横浜ジョイナスの地下街にある四川飯店に向かって歩いていると恐ろしいものが目に飛び込んできた。 なんと大きく処女と書かれたTシャツを着た坊主頭の女性がウィンドーショッピングしていたのだ。 これはなんかの罰ゲームか、やらせなのかと一瞬頭をよぎったりもした。 アイ・ラブ・ニューヨークのTシャツどころじゃない。 女性なら誰でも一度は処女だった訳だが、ここまでアピールする必要は果たしてあるのだろうか。 私と並んで歩いていた登山会のご年配の方は「今の若い女性も大変だな、処女だってことを周りにアピールしなきゃならないから」とちっとも驚いていない様子。 逆にそういうのが今の流行だと思ってるらしい。 ハービー・ハンコックの「処女航海」はマイルス・デイビスのグループ在籍中にマイルスに代わりにフレディ・ハバードが参加して、65年に吹き込んだジャズ史に残る傑作。 それまでのファンキー・ジャズ全盛の時代に新主流派のモダンな、いわゆるモード・ジャズのひとつの完成形がある。 ハンコックは名作「ウォーターメロン・マン」で颯爽とソロ・デビュー。 そしてマイルス・デイビスのグループに63年に参加し、みっちりとモード・ジャズを会得し、ハンコックのもっていた斬新な音楽センスを開花させていく。 その成果のひとつが「処女航海」ということです。 ハンコックは既成のコードに頼ることなくモードや様々なスケール解釈を用いてアドリブ表現の可能性を飛躍的に切り開いた。 そのもうひとつの成果が、やはり名作といわれる68年録音の「スピーク・ライク・ア・チャイルド」。 もっとも美しい響きを持った作品で、3菅の織り成す絶妙なハーモニーとハンコックの編曲センスには驚かされた。 70年代に入るとエレクトリック・ジャズの可能性を追求する為に独自のグループ、ヘッド・ハンターズを結成し、新しい時代のジャズのアプローチを試み、いつしか時代時代の寵児となる。 Freddie Hubbard (tp) George Coleman (ts) Herbie Hancock (p) Ron Carter (b) Anthony Williams (ds) Maiden Voyage The Eye Of The Hurricane Little One Survival of The Fittest Dolphin Dance |
眠らない街横浜、眠る街上大岡
[ リスト ]


