レコードショップ奮闘記 ジャズとロックの中古レコード屋のブログ

2005年8月から始めた横浜上大岡の中古レコード店ビッグ・ビート・レコードです。 楽しいことや苦しいこと。 ご意見待ってます。

このアーチスト達にぞっこん!

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昔から聴いてるアーティスト、今でも活躍してるグループ、いつのまにか姿を見なくなったプレーヤー、感動させてくれたアーティストなどは数々あれど、この一枚ってのを独りごとします。 キング・クリムゾン? ローリング・ストーンズ? クラプトン? そんなのどうでもいいじゃないですか。 陽の当たらない、当たらなかったプレーヤーって取り上げたくなっちゃうじゃないですか。 ここでは参加ミュージシャン、曲名、レコード番号、録音日などは割愛します。
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中東情勢の緊迫で原油が高騰したことにより、ガソリンの店頭価格が全国平均で1リットルあたり145円と、約2年半ぶりに高値に跳ね上がった。
単にマイカーへの給油のみならず輸送費にも影響が出る可能性もあるので、食料品等の商品への価格面での影響が心配だ。
全日空もたまらずに燃油サーチャージを導入することを決めたようで、当然他の航空会社も追随する筈だ。

Jefferson Airplane/Surrealistic Pillow (RCA)
||http://bigbeat-record.jp/イメージ 2||

ジェファーソン・エアプレインはサンフランシスコの伝説的なフォーク・クラブ、マトリックスで誕生、多額の契約金で大手RCAと契約した。
そのサウンドは叙情味溢れる穏やかなフォーク色の残る軽やかなロックで、いわゆるシスコ・サウンドを象徴するサウンドだった。

2作目のシュールリアリスティック・ピローから美貌のシンガー、グレース・スリックが参加して一躍グループ名を世界に知らしめた。
当時のフラワー・ムーヴメントの象徴ともいえる「あなただけを」がヒットして名実共にトップ・グループの仲間入りを果たした。

Jefferson Airplane/Volunteers (RCA)
||http://bigbeat-record.jp/イメージ 3||

その後、5作目のボランティアーズは社会的な矛盾に鋭いメスを入れるかのように、従来になくシビアなメッセージ・ソングを前面に出した作品。
サウンド的にはクロスビー・スティルス・ナッシュのレパートリーとしても知られる「ウドゥン・シップ」に顕著な、ゆったりとしたアコースティック・サウンドが心地良い。

その後は失速を繰り返し、72年にヨーマとジャックの中心メンバーが脱退したことでいよいよ燃料切れを起こし、空中分解した。
しかし、エンジンは無事だったようで、グループは姿を変え、形を変え、スターシップとして宇宙に出て行ってしまった。

ここ数日は雪がチラホラ。
夜中にもなると底冷えがし、路面は見事に凍結してて、自転車を漕いでても自転車が自分の意思とは違う方向に行きたがるから怖いときがある。

寒さのせいで自然と流れる涙を拭きながら、それでもなんとか家に辿り着いた頃には玄関のポストに朝刊が投函される音がする。

帽子、マフラー、手袋と完全防備のはずだったが足が見事にしもやけになってしまった。
自転車に乗ってしもやけになったというのは私以外ではそんなにいないだろう。
ということで今は赤く腫れ気味の足の指にせっせと軟膏を塗っている。


話はがらりと変わってジャズ・ピアニストの話。
有名どころのジャズ・ピアニストといえばセロニアス・モンク、バド・パウエル、ウィントン・ケリー、キース・ジャレットときりがない。

50年代に活躍したピアニストといえばなんといってもレッド・ガーランドだろう。
レッド・ガーランドの本名はウィリアム・ガーランドといい、どうしてレッド(赤い)となったのかは知らない。
鼻が赤かったのか、赤ら顔だったのか、いや、ひょっとしたらお酒好きだったのかも知れない。

ガーランドと同時期に活躍したトミー・フラナガンは自身のリーダー作が極めて少なく代表作は「オーバーシーズ」ぐらい。
ところがレッド・ガーランドの場合はプレスティッジ・レーベルにわんさかある。


ガーランド一番の有名どころは「グルーヴィー」で、ジャズ・ファンなら一度はジャケット写真を見たことがあるでしょう。
このあまりにも有名な作品はジャッキー・マクリーンの「マクリーンズ・シーン」のセッション終了後に吹き込まれていて、アルバム一枚分でなかったことから5ヶ月後と8ヶ月後の演奏が付け加えられている。

みっつのセッションから成っている訳だが、本作での一番の曲は57年8月に収録した「Cジャム・ブルース」。
寄せ集めとは全く思えない完成度の高さを誇っている。
ガーランドのピアノはいわゆる「ガーランド・タッチ」で、非常に滑らかでコロコロとしていてキラキラと光り輝いている。


ガーランドはもちろんマイルス・デイビスのお気に入りのピアニストの一人で、マイルスの超有名なマラソン・セッションにもコルトレーンともども参加している。

「リラキシン」の2曲目「ユー・アー・マイ・エブリシング」でガーランドが流麗なフレーズで弾き始めるとマイルスが口笛ひとつで中断させ、ブロックでの演奏に変更させてしまう。
途中で中断されたらどうしても当初の弾き方で聴きたかったりもするがテイク違いじゃないからどうしようもない。
いずれにしても「リラクシン」には美しいバラード曲がたんまりと含まれている。


マラソン・セッションで一緒だったらコルトレーンを誘い、マイルスの代役として当時勢いのあったドナルド・バードが参加して吹き込まれたのが「ソウル・ジャンクション」。
本セッションはジャケットが美しい「オール・モーニング・ロング」と同じ日の吹き込みですが、内容は甲乙付けがたい。

タイトル曲のスロー・ブルースでの8分に及ぶピアノ・ソロ部分を聴くだけで価値があり、当時のガーランドのジャズ・ピアニストとしての資質の高さがわかる。
アップ・テンポでのフレイジングも見事で、もちろん参加したコルトレーンと火を噴くようなソロを聴かせるドナルド・バードのソロも見逃せない。

レコード・コレクターズの2月号に「私の収穫」という一年に一回の企画が載っていて、毎年楽しみに読んでいる。
音楽評論家の方々が昨年一年に入手したお宝盤を誌面で披露するという企画だ。

すごい盤を紹介している人もいれば、中にはどうしてこんな盤がお宝?と首をひねってしまうレコードを紹介している評論家がいる。
長年探しているレコードというものは人それぞれだから別に構わないが。

今回、私が入手した珍しいレコードはドクター・ジョンの75年の作品で、内容は60年代に録音した曲の数々を収めたいわゆるコンピレーションだ。
近年ジャケ違いでCDとしても発売されているから内容的にはそれほど珍しいものではないかも知れない。

ただ、英国のDJMというパイ系列のマイナー・レーベルから75年にリリースされたということで日本ではほとんど出回っていない、というより今まで見たことがない。
今回、そのテスト・プレス盤を入手することが出来た。

レーベルは表裏ともに真っ白だからマトリックス番号を見ながらターンテーブルに置かなければ間違ってB面からかけてしまうことになるからやっかいだ。

Dr.John/'Cut Me While I'm Hot (djm DJSLM2019) ('75)
||http://bigbeat-record.jp/イメージ 2||

Woman Is The Root Of All Evil
Trader John
Shoo-Ra
Tipitina
One Night Late
Cat And Mouse Game
She's Just A Square
Bald Headed
In The Night
Helpin' Hand
Zu Zu Man
Mean Cheatin' Woman

ドクター中松ならぬ、ドクター・ジョンはルイジアナ州ニューオーリンズの出身で、本名はマルコム・ジョン・レベナックといい、当初はマック・レベナックという名で活動していた。
ドクター・ジョンという名は19世紀のニューオーリンズにいたブードゥー教の司祭の名で、勝手に頂戴したようだ。

67年に「グリ・グリ」でデビューし、濃厚なR&Bとニューオーリンズならではスワンプっぽいサウンドでいきなり多くのファンを獲得する。
南部に根強いブードゥー教文化を背景にした排他的ともいえるその音楽性は風変わりなものだが、収録曲「アイ・ウォーク・オン・ギルデッド・スプリンターズ」なんぞは後にハンブル・パイやポール・ウェラーにカヴァーされている。

72年に発表した「ガンボ」はノスタルジックともいえるニューオーリンズの古い音楽をドクター・ジョン風に蘇らせるという試みは世間で高い評価を受けた。

また、アラン・トゥーサン、ミーターズ、ジェシ・エド・ディヴィス、マイク・ブルームフィールド等とも共演、ローリング・ストーンズの「メイン・ストリートのならず者」に参加したり、ザ・バンドの解散コンサートにもゲスト出演したりしている。

初期ドクター・ジョンの公式ディスコグラフィー
Gris-Gris, Atco, 1968.
Babylon, Atco, 1969.
Remedies, Atco, 1970.
The Sun, Moon & Herbs, Atco, 1971.
Dr. John's Gumbo, Atco, 1972.
In the Right Place (With Allen Toussaint), Atco, 1973.
Desitively Bonnaroo, Atco, 1974.
Cut Me While I'm Hot, DJM, 1975.

↓こいつも珍しいアメリカのバロメーターというマイナー・レーベルからリリースされた74年の作品で、たぶんアトコとの契約満了直後に出された作品なようだ。

Dr. John/Anytime, Anyplace (barometer)
||http://bigbeat-record.jp/イメージ 3||

日本全国に広がっている温かい善意の輪、タイガーマスク運動は4月の入学式で終わってしまうんじゃないかと危惧している。
是非、今の時期だけの運動ではなく、4月以降も続いて欲しい。
その為にはマスコミに4月以降も積極的にこの運動を取り上げ続けてくれなければ困る。

阪神の赤星選手が盗塁の数だけ車椅子を寄付していたのは有名な話だ。
その他にも横浜時代の石井琢朗選手の安打募金、福岡ダイエーホークスの和田投手のワクチン寄付、ダルビッシュ投手の口蹄疫問題で寄付等がある。

清原や桑田、松井選手なんかも寄付をしてきた選手達だ。
高額給与のスポーツ選手の寄付は税金対策と揶揄されることもあるだろうが、いいじゃないか。
また、サッカーの元日本代表の中田選手は世界の恵まれない子供達に目を向けていた。
一過性の寄付活動ではなく、継続というのはすごいことだと思う。

Ella Fitzgelrald/Sings Gershwin (decca)
||http://bigbeat-record.jp/イメージ 2||

Someone To Watch Over Meは1926年にジョージとアイラ・ガーシュインによって作られた曲だ。
誰かに見守られている、または誰かが私を見つめているという意味だ。
Someone Watching Meだと誰か怪しい人に見られてるという意味だから必ず Overと単語を入れるように気をつけたい。

多くのジャズ・ボーカリストがこの歌を歌っているが、エラ・フィッツジェラルドの歌は傑出している。
エラ・フィッツジェラルドの傑作はヴァーヴに集中している。
ヴァーヴに移籍してからのエラには貫禄が漂い出し、ジャズ・ボーカリスト第一人者としての金字塔を打ち立てたが、デッカ時代のエラはまだ20代後半から30代前半ということでボーカルは若々しく、艶やかで実に美しい。

There's a saying old says that love is blind
Still we're often told "seek and ye shall find"
So I'm going to seek a certain girl I've had in mind
Looking everywhere, haven't found her yet

諺で昔から恋は盲目と言う
でも「求めよ、さらば与えられん」とも言う
だから心に思い描いていた彼女を私は探し求める
でも、あちこち探してはみたけれど、まだ見つからない

She's the big affair I cannot forget
Only girl I ever think of with regret
I'd like to add her initial to my monogram
Tell me where's the shepherd for this lost lamb

彼女とのことは忘れることの出来ない大きな恋愛だった
思い返す度にいまだに悔いが残る
結婚して彼女のイニシャルを私のものに加えたい
教えて、迷える子羊の羊飼いはどこにいる?

I hope that she turns out to be
Someone who'll watch over me
I'm a little lamb who's lost in a wood
I know I could always be good
To one who'll watch over me

会えると信じている
いつも私を見守ってくれる人でいて欲しい
私は森の中で迷子になってしまった子羊
でも私を見守ってくれるなら
私はその人にはいつも良い存在でいられる

詩の中には「迷える子羊」や「森の中で迷子になってしまった子羊」という言葉が出てくる。
子羊=弱い立場の人間とも解釈出来るし、森を都会に置き換えてみることも出来る。
養護施設にいる子供達を弱い立場の子羊と考えた場合、タイガーマスクとして援助している方々はまさに羊使いかも知れない。
羊使いは弱い立場の子羊達を正しい方向に導いていけるだけの力もある。
子羊達を見守ることも大事だし、羊使いのように迷った子羊達を正しい方向に導くことも出来るし、大切なことだろう。

ピチピチの皮ズボンに筋肉質の上半身裸、ギリシャ彫刻を連想させる端正な顔立ち、野太いボーカルとランボーの再来とまで褒め称えられた高い文学性の歌詞。
かといえば終日ラリッているような行動とステージ上でマスターベーションをして逮捕されたりと話題に事欠かなかったジム・モリソン。
一時はミック・ジャガーをも凌ぐ人気を誇っていたが70年に27歳の若さでパリで客死している。

当時たかだか20歳後半の若造の作ったり歌った歌や生き様にみんなが憧れた。
彼がまだ生きていたらどれほどのことを行ってきただろうか。
ひょっとしたら音楽界の歴史が変わっていたかも知れない。
彼の享年の倍は生きてきたけど、いまだに27歳の彼に憧れている人間がここにいる。

The Doors/Strange Days
||http://bigbeat-record.jp/イメージ 2||

ドアーズのヒット曲といえば「ハートに火をつけて」、「ハロー・アイラブユー」、「名もなき兵士」などヒット曲は多い。
また、代表曲といえば「ジ・エンド」。
この曲はジ・アルフィー同様、「ザ」ではなくて「ジ」でなくてはいけない。
しかし、「ジ・エンド」はかなり長く、内容も重たいから聴き終わるとぐったりと疲れてしまう。

最高傑作といわれるセカンド・アルバムに「ムーンライト・ドライブ」という落ち着いた感じの歌がある。
軽い感じの3分で終わる歌なので、お湯を注いでカップ麺を待つ間に聴けてしまうから好きだ。

しかし、「月まで泳いでいこう」という発想は数メートルも泳げば溺れてしまう凡人には考えもつかない。
それに私には夜に「泳ぎ明かす」ということは浮き輪をつけていても体力的に不可能だ。

歌詞のほとんどが難解で、凡人には意味不明だからいつも下手に意味を考えずに聴いている。

Let's swim to the moon, uh huh
Let's climb through the tide
Penetrate the evenin' that the
City sleeps to hide

月まで泳いでいこう
潮を登るようにかきわけて
隠れるように眠る街の夜を抜けて

Let's swim out tonight, love
It's our turn to try
Parked beside the ocean
On our moonlight drive

今夜は泳ぎ明かそう 愛する人よ
今度は僕らが試す番だ
海のそばに車を止めて
月光りのドライブだ

Let's swim to the moon, uh huh
Let's climb through the tide
Surrender to the waiting worlds
That lap against our side

月まで泳いでいこう
潮を登るようにかきわけて
先に一周して僕らを待ってる世界には降参だ

Nothin' left open
And no time to decide
We've stepped into a river
On our moonlight drive

なにも明かされてないし
決断する時間もない
僕らは川に入っていた
月光りのドライブだ



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