レコードショップ奮闘記 ジャズとロックの中古レコード屋のブログ

2005年8月から始めた横浜上大岡の中古レコード店ビッグ・ビート・レコードです。 楽しいことや苦しいこと。 ご意見待ってます。

このアーチスト達にぞっこん!

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昔から聴いてるアーティスト、今でも活躍してるグループ、いつのまにか姿を見なくなったプレーヤー、感動させてくれたアーティストなどは数々あれど、この一枚ってのを独りごとします。 キング・クリムゾン? ローリング・ストーンズ? クラプトン? そんなのどうでもいいじゃないですか。 陽の当たらない、当たらなかったプレーヤーって取り上げたくなっちゃうじゃないですか。 ここでは参加ミュージシャン、曲名、レコード番号、録音日などは割愛します。
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今年、テレビ番組で目にする機会が増えた一人といえば「戦場カメラマン」の渡部陽一氏だ。
世界各地の紛争地域に赴き、危険と隣り合わせの状況下で取材活動を続けているフォト・ジャーナリストだ。

ゆっくり丁寧にしゃべる独特の語り口調が人気を集め、テレビのバラエティ番組をはじめ各種メディアに引っ張りだこになっているようだ。

テレビの渡辺陽一氏の話を面白おかしく聞いて笑っている日本の茶の間や若い人達は私も含めて如何に平和なことか。


戦場カメラマンといえば3年前にミャンマーのヤンゴンで軍事政権に対する僧侶、市民の反政府デモを取材中、軍兵士に至近距離から銃撃され殉職した長井健司さんが思い浮かぶ。

そんな軍事政権下のミャンマーで13日、民主化運動指導者スー・チーさんの自宅軟禁を7年半ぶりに解除したが、今現在もアフガニスタン、ソマリア、トルコ、カンボジア等での内戦や紛争は世界中あちこちで起きている。

今回の尖閣諸島での中国漁船衝突事件やロシア大統領の北方領土訪問問題等、大袈裟かも知れないけれど、領土に纏わる紛争につながりかねない状況だ。

海上保安庁の保安官が流出させたビデオ内容を見てその思いを新たにした人は私以外にも多くいることでしょう。


コンコルド広場はフランス、パリにある有名な広場で、パリの中心部、チュイルリー公園とシャンゼリゼ通りに挟まれて位置する、凱旋門、エッフェル塔と並んでパリを象徴する場所だ。

1755年、アンジュ・ジャック・ガブリエルによって設計され、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていた為「ルイ15世広場」と呼ばれていた。
その後、フランス革命の勃発により、騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められた。

革命期には、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われた場所でもある。
1795年に現在の「コンコルド広場」という名前で呼ばれ始めるようになった。

Modern Jazz Quartet/Concord (prestige)
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Ralph's New Blues
All of You
I'll Remember April
Gershwin Medley/
Soon
For You, For Me, Forevermore
Love Walked In
Our Love Is Here To Stay
Softly As In A Morning Sunrise
Concorde

「コンコルド」はそのパリのコンコルド広場をジャケットに使用したモダン・ジャズ・カルテットの代表作だ。
何故か次のプレスからはジャケットが味気ない、文字だけのジャケットに替わってしまいますが、コンコードはこのジャケットでなきゃ、と思います。

パリのコンコルド広場の淡い色調の写真に下手なコンコルドの文字、MJQの演奏を聴きながら写っていない情景をも思い浮かべることが出来ます。

ここにはミルト・ジャクソンの得意とするブルースは無く、パリへの憧れが音となって詰まっています。
尚、本作からドラムスがケ二ー・クラークからコ二ー・ケイに交替し、モダン・ジャズ・カルテットの長い歴史が始まります。

本作にはシグムンド・ロンバーグ作曲、オスカー・ハマースタイン作詞の「朝日のようにさわやかに Softly, as in the sunrise」が収録されています。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、この曲はモダン・ジャズ・カルテットがモダン・ジャズ・コンボ演奏として始めて取り上げています。

その後、数々のモダン・ジャズ奏者に依って取り上げられることになった曲ですが、美しさの点からいけばMJQの演奏を越えるものはないようです。

Softly, as in a morning sunrise
The light of love comes stealing into a new born day
Flaming with all the glow of sunrise
A burning kiss is sealing
The vow that all betray

朝日が昇るようにそっと静かに
生まれたての一日のように愛の光は忍び込んでくる
朝日の輝きは炎を燃え上がらせ
恋人たちは燃えるような口づけで誓いをたてる
裏切られるかも知れない誓い

いつ頃からだったか忘れてしまったが、気が付いたら私はビートルズを聴いてた。
ビートルズが歌う曲の数々は当時、単純に口ずさめるメロディの良さや軽快なリズムの良さで好きだったが本当の良さは当然若すぎてわからなかった。

良さがじわじわとわかりだしたのはビートルズがいよいよ解散するという、「アビーロード」や「レット・イット・ビー」がリリースされたあたり。
しかし未だに彼らの本当の良さの半分も理解していないかも知れない。


考えてみたら彼らの活動期間はたったの7年か8年で、その間に彼らがリリースしたオフィシャルのレコードは13枚程度だ。
作品の数はもっと多くてもおかしくはないのにこれだけの作品しか作らなかった、いや作れなかったのは如何に彼らが一作一作を丁寧に作っていたかということの証でしょう。

その13枚の作品の中には映画やアニメの為のサウンドトラックと呼べる作品もあったが面白いことに活動期間中にはライブが一枚もない。

海賊盤で出回ったもの以外でオフィシャルには近年「ビートルズ・アンソロジー」で何曲かが陽の目を見た以外は77年にリリースされた「アット・ザ・ハリウッド・ボウル」が唯一のライブだ。


どうして活動期間中にライブがリリースされなかったのかはいくつか理由があろうが、最大の問題は彼らに対する過大な人気だったようだ。

ライブを行っても客の歓声で演奏や歌声がかき消されてしまい、満足な作品になり得なかったのが最大の原因だと推測する。

「アット・ザ・ハリウッド・ボウル」64年と65年にロサンゼルスのハリウッド・ボウルで行われた公演の模様を収録したものだ。

当初ブートレッグで出回っていたもので、内容はやはり劣悪な状態だったのをジョージ・マーティンが編集、リマスター処理を施し77年にやっと陽の目を見ることになった逸品だ。
リマスタリングを施した77年当時の英国EMIの技術には舌を巻くのみで、ブートCDの音はゴミに聴こえる程です。

然しながら針を落とした瞬間、一曲目は「Back In The USSR」のジェット音かと勘違いする程の熱狂的なものすごい歓声にはただ驚かされるだけで、ビートルズを紹介する司会の声がなんとか聞き取れる程度。
とはいえビートルズのライブ・パフォーマンスの様子が余すところ無く伝わってくる臨場感溢れる一枚です。

Twist and Shout
She's A Woman
Dizzy Miss Lizzy
Ticket to Ride
Can't Buy Me Love
Things We Said Today
Roll Over Beethoven
Boys
A Hard Day's Night
Help!
All My Loving
She Loves You
Long Tall Sally

12月15日に発売される故マイケル・ジャクソンのニューアルバム「Michael」は既発表曲のベスト盤などではないようだ。

レコード会社のエピックに依るとすべて生前にジャクソンが録音していた新曲で構成されたオリジナル・ニューアルバムらしい。

しかし先週、ジャクソンの長男プリンスと長女パリスが同アルバム数曲について「お父さんの声じゃない」と発言して騒ぎになった。
後はファンが実物を聴いて確認するしかないだろう。


ジャズ界ではマイルス・デイビスほど常に前を向き、後ろをふり返ることなく疾走を続けた演奏家もいないでしょう。

マイルスといえばブルーノート盤やプレスティッジから出た「クッキン」「リラクシン」等のマラソン・セッションが有名で、モード・ジャズのお手本ともいえる「カインド・オブ・ブルー」、新たなジャズを切り開いた「ビッチエスブリュー」、ロックに挑戦状を叩き付けた「アット・フィルモア」等、代表作すら選ぶのは困難だ。

意外と忘れられている存在なのが「カインド・オブ・ブルー」、「スケッチ・オブ・スペイン」に続いて61年に録音された「いつか王子様が」だ。

ジャケットに写っている女性は当時の奥方で、マイルスの作品に初登場で、さも彼女のプリンスは私だと言ってるようでもある。

Miles Davis/Someday My Prince Will Come (columbia)
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タイトル曲はディズニー映画「白雪姫」の挿入歌として発表された、曲名からして一見してかわいい曲だ。

ウィントン・ケリーによるイントロ風の1コーラス目はモード的に処理されていて、思わず椅子を座りなおす。
メロディの断片などがテーマをかすかに想起させるが、間奏やエンディングにも同様の部分があり、曲の背景のように全体を包み込んでいる。

ベースラインは非常に穏やかで、ゆったりとした朝の目覚めを思わせ、続いてマイルスのエモーショナルなミュート音全開のソロが始まり一気に盛り上がりをみせ、思わず座っている椅子から身を乗り出してしまう。

中央に定位したマイルスのタンギングは細心の注意が施されていて単純そうでいて内容は非常に奥深く、音の微妙な陰り、揺れ、膨らみ等が余すところ無く発揮されているのはさすがだ。

演奏にはジョン・コルトレーンとハンク・モブレーが参加していることでも話題の逸品だが、本作はマイルスのエモーショナルで、圧倒的な存在感を示すミュート・プレイが最大の魅力である作品だ。
さすがマイルス・デイビス。 名プレーヤーのコルトレーンもモブレーもケリーも、みんなタジタジで完全にマイルスの脇役だ。

今はペットが飼える環境じゃないが、うちの母は元来、猫が大好きだ。
のんびりしているからか犬より猫の方が性に合ってるのだろう。
親父がいた頃は家の外では犬を飼い、家の中には猫がいた生活だった。
まだ我が家にゆとりのあった昭和の時代だ。


いたずら好きのあちきが小学生の頃、猫の髭を切ったり、うまく着地するかと二階から放り投げたりと、母がかわいがっていた猫と遊ぶのは好きだった。

しかし、あちきが結婚してから一生懸命餌付けして飼っていたインコが野良猫の襲来で窓から逃亡。
それ以来、猫は嫌いになってしまった。

Bunny Berigan and his Boys/Take It, Bunny! (epic)
||[[attached(3)]]イメージ 3||

フルート奏者ジェレミー・スタイグの父アランが描いたネコ・ジャケットシリーズのうちの一枚で、ネコが煙草をふかしてベッドに横たわる絵は笑えます。

ベニー・グッドマンやトミー・ドーシー楽団で活躍したトランペッター、バニー・べりガンが33歳の若さで亡くなるまでの35年から37年の間に吹き込んだ自己のコンボでの演奏を中心に収録した代表作。

代表曲、I Can't Get Started(言い出しかねて)はバンドのテーマ曲としても扱われていたようです。
共演者にはエディ・コンドン、アーティ・ショウ、バド・ジョンソン、コージー・コール等が名を連ねています。

バニーはさあ、これからという脂の乗り切った時期にこの世を去ってしまった薄幸のトランペッターだ。
ちょうどスイング・ジャズがジャズと呼ばれていた時代です。

I Can't Get Started with You
Solo Hop
Dixieland Shuffle
Let's Do It
It's Been So Long
I'd Rather Lead a Band
Let Yourself Go
A Melody from The Sky
Rhythm Saved The World
But Definitely
I Nearly Let Love Go Slipping Through My Fingers
If I Had My Way

1920年代の古き良き時代のアメリカのシガレット・ケースをモチーフにした、なめらかカーブの薄型スチールケースに入ったアメリカ生まれのミント・キャンディ、HINT MINT。
中に入っているミント・キャンディは上質なカカオの優しい甘さと香ばしい香りがお洒落な私にピッタリ。

また、禁煙続行中の身にはありがたい逸品だ。
しかし、キャンディ自体かなり固いので噛むと歯が折れる恐れがある。


ニューヨークのハーレムに生まれたタジ・マハールがアメリカのルーツ音楽の探求を始め、ブルース、R&B、ゴスペル、ブルーグラス、ケイジャン、レゲエ、カリプソ、アフリカの伝統音楽等まさにアメリカ発世界の音の旅といったところだ。

ドクター・ジョンやロサンゼルス生まれでタジの師弟ライ・クーダーもやはりアメリカのルーツ音楽探求の旅を始め、海の向こうに船出した少し前により深く広くアメリカのルーツ音楽探求を行ったバンドがあった。

4人のカナダ人と1人のアメリカ人からなるザ・バンドは海を越えこそしなかったが、アメリカからしたらいわゆるよそ者で、アメリカという国が生んだ音楽をごった煮にしたバンドと言ってもいいかも知れない。

生粋のアメリカ人でない彼らがアメリカのルーツ音楽を必至に模倣し、かえって生粋のアメリカ人には見えない本質を発見したのかも知れない。


しかし、考えてみたら元々の生粋のアメリカ人なんてどこにも存在しない。
欧州大陸やアフリカ大陸から流れに流れてやってきた民族がアメリカ人なのだから。

68年にデビュー作「ミュージック・フロム・ビッグピンク」をリリースしたザ・バンドの歴史は1959年に遡る。

アメリカの落ち目になりつつあったロックンローラー、ロニー・ホーキンスは彼のバック・バンド、ザ・ホークスを連れアメリカを離れカナダへと活動の中心を移した。

しかし、メンバーのほとんどがホームシックにかかり脱退した為、残ったリヴォン・ヘルムに現地カナダの若いミュージシャン、すなわちロビー・ロバートソン、リチャード・マニュエル、リック・ダンコ、ガース・ハドソンをザ・ホークスのメンバーとして迎えザ・バンドの陣容が揃った訳だ。

そのうち音楽上の意見の相違からロニー・ホーキンスと袂を別ち、リヴォン&ザ・ホークスとしてカナダとアメリカを地道にライブ活動するようになった。

The Band/Music From Big Pink (capitol)
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エレクトリック・ギターを使い始めたボブ・ディランと出会ったのはその頃で、ディランとホークスのコンサート・ツアーが始まった。

ただ、66年にはディランが交通事故で負傷、仕事を失ったリヴォン・ヘルム達はディランのウッドストックにあった隠れ家での生活を始める。
そこがいわゆるビッグピンクだ。

ハード・ロック全盛の時代にボブ・ディランの描いたジャケットのように淡い色彩で色とりどりに彩られたデビュー作のサウンドはその色のように驚くほど新鮮だ。

作品は皮肉にもニューヨークのウッドストックで録音されたが、アメリカ南部に根ざした香り高いサウンドと味わい深いボーカルが支配していますが、根幹にはブルースはもちろんのこと、ロックンロール、ラグタイム、ヒルビリー、カントリー、フォーク、ディキシーランド・ジャズのエッセンスまでもがぶち込まれています。

ファズを効かせ、力任せに轟音を響かすサウンドばかりがロックじゃないということを証明した味わいのあるロックの中のロックと言えるでしょう。


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