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本屋をぶらりとすることが多い。
もっぱら見るのは音楽関係、登山関係とあとはくだらないコミック本だったりする。
いつ頃からか小説類は一切読まなくなった。
フィクションを読んで、話の展開を想像する余裕というかゆとりがなくなってしまったのかも知れない。
「そのレコード、オレが買う!」という興味を引くようなタイトルの本が目に飛び込んできた。
須永辰緒というDJが書いた本だ。
GROOVEというDJ向け音楽雑誌の携帯サイトに連載されているものの書籍化だ。
そもそもウエブ上のブログの類っていうのは気に入ったものがあってもある日突然に作者の都合で削除されていたりするから人気のブログ等が書籍化されるのは大歓迎。
ただ、DJの提供する音に関しては正直言って個人的な興味はさほどない。
そもそもミュージシャンが一生懸命に作った楽曲の一部をクラブ用に音を部分的にツギハギ(言葉に語弊があるかも知れないけど)するのは個人的には疑問に思ったりもする。
ただ、埋もれている音を再生する、または光を充てるという観点からすれば評価出来るのか。
読んでいると、恐ろしく高価なレコードを直感だけで購入されていることも多く、驚かされる。
カーティス・フラーのブルーノートの人気盤「ザ・オープナー」や英テンポから出たジャズ・クーリエなどのオリジナル盤はコアなモダン・ジャズ・ファンでも高価すぎて持っていないだろう。
確かにアート・ペッパーやスタン・ゲッツ等を聴き込んでいるモダン・ジャズ愛好家からしたら「DJがそんな高価な作品を持っててどうするの?」、「良さがわかるの?」のような声も聞こえてきそうだ。
しかし、その辺りのことは著者自身も触れているので読んでてもさほど気にならない。
まあ、音楽というものはやはり万人が楽しむべきであって、ジャケット買いしようが、一途に好きなものを何年もかけてお金を貯めて買おうが、人それぞれだろう。
レコードは買った人がどう楽しもうが買った人の自由だ。
余談だが60年頃に Modeや Interludeのジャズ・レコードはスーパーで販売されていたりもした。
それよりも須永氏はジャズ、ラテン、ポップス、ロック、R&B、ムード音楽から歌謡曲まで良くもまあこれだけいろんなジャンルの音楽を聴けると関心してしまう。
モダン・ジャズだったら盤に多少傷があろうが、レンジの広さや迫力でオリジナル盤の良さは認識出来るだろう。
ベースの弦を這う「キュッキュッ」という指の音、すぐそこで叩いているのではないかという錯覚すら覚える「カンカン」というシンバル音等、再発盤では聴こえてこない筈の音がオリジナル盤からは聴こえてきたりする。
プログレッシヴ・ロックだとクラシック同様一音一音が大事だから盤に傷があったりしたら魅力は半減だろう。
考えてみたらいろいろなジャンルの音楽を聴くことでジャズ本来の良さがわかったり、ロックの迫力がより分かり易くなるのかも知れない。
かくゆう私も子供の頃はテンプテーションズや黛ジュン辺りを聴いていた。
須永氏がレコードを買ったときのいきさつ等が書かれていることが多いが、もう少し作品に対するつっこんだ感想が書かれていたら私なんぞはもっと楽しく読めた気がする。
DJの立場からしたらどういう基準でレコードを買ったりしてるのだろうか。 その辺りのことはもっと知りたかったし、あまり伝わってこなかった気がする。
まさか「格好いい」という単純な理由だけで何万円もするレコードは買わないと思うのだが。
いずれにしても面白おかしく、興味深く読める一冊であることは間違いない。
どのページから読んでも楽しめるのでいつもカバンに忍び込ませてコーヒー・ショップでペラペラとあちこちのページをめくったりしてる。
マイルス・デイビスはご存知のとおりジャズ界を牽引してきた重要人物だ。
過去にも Dig, Cookin' Bitches Brew等数多くの傑作をリリース、新しいジャズを模索してきたマイルスが最後に求めた音はラップ・ミュージックとの融合だ。
マイルスの死の数ヶ月前の91年の初めにラップ界の第一人者イージー・モー・ビーらとともにセッションを繰り広げ死後に発表されたのが Doo-Bopだ。
ラップというジャズとは無関係のユニークなサウンドにマイルスのトランペットが見事に溶け込んでおり、マイルスが新しく構築しようとしたサウンドの一部が見え隠れしたりする。
いずれにしてもマイルスはこの作品以降もラップとの新しい試みをもっと進化させるつもりだったのであろうが完成する前に亡くなってしまったのは惜しまれる。
マイルスほど探究心のある、勇気あるジャズ・プレイヤーは他に見当たらない。
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