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孫文自体について知らなかったので、
特に、日本以外のアメリカ等にいるときに孫文は何をしていたのかなど。
そもそも、孫文に対して支援した日本人がいたのは、
アジアの解放を目指す思想に共鳴したからと云うのはわかる気がするんですが、
思想を別にして孫文という人間というか人物像がわからなくて、
孫文に対して好感を持てなかったんです。
孫文は楽観主義者といわれます。
一般的には、革命家は楽天的でなければならないといわれています。
何度も失敗することを気にしてると革命は成功しないと
なので、孫文について書かれている書籍がないかと思い、少し読んでみました
藤村久雄著「革命家 孫文 革命いまだ成らず」 運動を始めた頃の孫文には共和国制の樹立の必要性を説いていましたが、
革命後の具体的政策までは構築していなかったようです。
孫文は読書ばかりしていたといわれます。
革命政権樹立後の憲法案や経済政策について、
書籍に求めていたのかもしれません。
まず、財政的問題が差し迫っていました。
壮大な国土開発計画
一大交通網の整備、とくに鉄道の重要性を説きました。
この辺は、産業革命後に鉄道事業が拡大したことから想像に難くありませんが、
孫文の計画図を見ると広い中国の国中に線路を施設しています。
今では無駄な部分が多く非現実的計画と思われます。
主要都市感は航空によるのが現実的ですよね。
宮崎滔天の兄の民蔵は土地の均等配分を主張してました。
孫文が熊本を訪れたときに、民蔵の影響を受け、後に土地の平等を唱えました。
陳舜臣著「孫文」
(新聞連載、単行本刊行時のタイトル「青山一髪」)
小説ですからセリフには創作部分が多いのでしょうが、それ以外はなるだけ事実に沿った内容となるように意図したとのことで、膨大な資料に基づいて構成されたストーリーが展開します。
広東で1895年(明治28年)におこした蜂起に敗れ、ハワイへ逃れ、イギリスで清朝大使館に拘束されます。香港医学校時代の恩賜カントリーの助けにより英国政府の圧力により釈放された後にその顛末を出版し、革命家として世界に名が広まるのです。
だいたいの本はイギリスへ渡る前のアメリカでの活動について記述してないのですが、この本には詳しく書かれています。
西本正明著「孫文の女」
孫文は17か18歳のときに両親が決めた同郷の廬慕貞と結婚しています。
2人の間には子供もいます。 孫文は日本に亡命中は、警察に常にマークされていました。
宮崎滔天と一緒に遊郭で遊んでいるとの報告書が首相兼外相の大隈重信に渡っていた。
この本によると、「あなたの好きなものは?」と聞かれて、孫文は
「革命」「読書」「女」と答えたと云う。
彼が愛した2人の日本人女性、浅田ハルと大月薫。
2人共、15歳ぐらいでした。
孫文はロリ好みだったのでしょうかね。
この本によると、外で女遊びをするのは好ましくないという日本政府からの要請で、
浅田ハルは宮崎滔天が英語の話せる下女として紹介した女性です。
肉体関係もありました。ハルの心中がストーリー中に述べられますが、
男である作者の勝手な創造でしょう。
大月薫とは火事で家を被災した大月薫一家が同じ家に越してきたことで知り合います。
ハルは暇を与えられた後に肺病でなくなります。
孫文は大月薫と結婚します。
でも、子供ができたと伝えた後に孫文は出国し、そして、2人は再び会うことはありませんでした。
大月薫はその後に再婚します。
その後に孫文が来日したときに大月薫と会いたいと人づてに頼んだが、大月薫は断り会いませんでした。
孫文は映画「宗家の三姉妹」でも有名な三姉妹のうちの次女である宋慶齢と結婚します。
後に結婚した宋慶齢は22歳でしたが、年が27歳離れていました。
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国民革命 革命家・孫文
袁世凱により国民党が非合法化されたのち、孫文は1914年7月に中華革命党を東京で結成した。
1919年には拠点を上海に移し、中国国民党と改称した。
1921年には上海で中国共産党が成立した。
これらの政党は1918年のロシア革命の影響を受けており、議会政党というよりも明確な計画性と組織性を備えた革命政党を目指した。
1924年国民党は第一回全国大会をおこない、党の組織を改編するとともに共産党との合同(第一次国共合作)を打ち出した。
孫文はこのころ全く機能していなかった国会に代わって国内の団体代表による国民会議を提唱し、これに呼応した馮国璋により北京に迎えられた。
1925年には国民会議促成会が開かれたが、この会期中に孫文は没した。
7月には広東軍政府で機構再編が進み、中華民国国民政府の成立が宣言された。
一方で1924年6月には蒋介石を校長として黄埔軍官学校が設立された。
1925年4月に国民革命軍が正式に発足され、国民党は蒋介石を指導者として軍事的な革命路線を推し進めることとなった。
[ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]
2017/4/22(土) 午後 9:07