北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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台湾の台中市にやってきてから1週間ちょっとたった14日、カミサンの知り合いの台湾人たち(ほとんどが女性)に連れられて、渓頭(シートウ)というところに行った。

最初は、『近所の山にピクニック(ハイキング?)』みたいな感じでカミサンから聞いていたので、東京23区内の○○山に行くという感じで、(台中市内のどこかに行くのだろうと)軽く考えていた。
ところが、クルマに乗せられて連れられて行ったのは、ここ。

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『渓頭(シートウ)』と呼ばれる、昔は、避暑地で有名だったらしいところである。
(ネットで調べると、現在50歳、60歳くらいの台中市の台湾人たちが、昔、新婚旅行に行く場所として人気があったところのようだ。)

イメージ 2

ここに地図を載せたが、『渓頭(シートウ)』という地名は表示されていない(日本のガイドブックの地図のせいかもしれない)。
ともかく、台中市からはるか東の内陸部に入ったところである。

この地図でも台中市の南西方向に『霧社』という地名が見えるが、ここは台湾映画『セデック・バレ』でも描かれていた、1930年10月27日、日本の台湾統治時代に台湾原住民によって引き起こされた大規模な反乱(日本人が多く通う学校の運動会が襲撃され、日本人の女性、子供ら140人が犠牲となった)が起こった場所である。

(当時、『首狩り』の習慣があった原住民たちの、自分たちの民族的・宗教的な自尊心が冒涜されたと怒って立ち上がったこの反乱によって、多くの犠牲者が、『首狩り』の対象とされた。この事件は、警察のみならず、日本軍の投入によって、12月中には鎮圧された。ただし、翌年、日本の警察は、決起した部族=セデック族=と対立関係にあった部族を武装させて襲撃させ、最初の事件と合わせてセデック族1000人以上が殺害されるか、自殺に追い込まれた。)

このように悲惨な事件が台湾であったことに、現代の日本に生きている、ほとんどの日本人が知らなかったと思う(私自身も、その数に含まれる)。

この『霧社事件』のあった場所については、そのうち、『行ってみたい』という気はあった(もちろん、ためらいもある。ホイホイと観光旅行で行けそうな気分ではない)のだが、今回、はからずも、そこから(比較的)近い、しかもそれ映画のシーンを彷彿とさせるような山や地形、風景の場所に行ってしまったわけだ。

イメージ 3


これは、現地にあった案内の地図だ。

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イメージ 5

ここは、戦前、東京帝国大学の演習林があった場所らしい。そして、それが今日、国立台湾大学の『実験林』という名称で存続している。
東大の演習林当時、植えられた木も、70年経過して、大木へと生長している。

また、ここは、台湾で一番高いという玉山(ユイシャン、3952メートル)の周囲にある『玉山自然生態保護区』に連なっているようだ。

玉山は、日本統治時代は、新高山=にいたかやま=と呼ばれ、日本軍による真珠湾攻撃作戦の際の暗号の一つ、『ニイタカヤマ ノボレ 1208』として使用された。
(この電文の意味は、『12月8日午前0時を期して戦闘行動を開始せよ』ということだという。)

今回は、ここの雰囲気を感じさせるような写真をまず、3枚くらい紹介しよう。

イメージ 6
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このように、霧がかかった状態が、ここの特徴のようだ。写真を撮ったのは、いずれも午前11時過ぎだったと思う。
(つづく)

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