北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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昨日(26日)書こうかと思っていた、『台湾の言語』についての話の本論のほうだ。
前の部分は、必ずしも必須ではないのだけど、興味のあるかたは、次のURLを参照されたい。


先日、こちら(台中市)の紀伊国屋書店で購入した、『台湾日本人会』の生活ガイドブック『たからじま』というもの。

イメージ 1


これの中に、台湾における『言語』について説明した部分があった。
あまり、長い文章でもないので、そのまま引用させていただく。
(改行は、読みやすいように、適宜変更している。なお、文章の途中で「注音符号」というものが出てくるが、今のところ、パソコンでの入力の仕方がよくわかっていないので、〇で代用をしてある。後で説明している。さらに一部、パソコンで『環境依存』賭されている文字があり、これも同じく、入力の仕方を思い出さないと表記できないので、とりあえず言葉で字を説明した。)


<(4)言語
公用語は中国語の「普通話(マンダリン)」であり、台湾では一般的に「國語」と呼ばれている。中国大陸との違いを言い表すために、「台湾華語」と呼ばれることもある。

文字表記には「繁体字」(台湾では正體字という)が使用されている。日本の漢字(当用漢字及び旧字体を含む)と同じものが多く、中国大陸で使用されている簡略化された「簡体字」よりも日本人には馴染みやすいとの声がよく聞かれる。

読み方の表記に関しては、「注音符号」が用いられるのが一般的である。現在中国大陸で使われている「ローマ字ピンイン」(英文字を用いた中国語の読み方表記法)との対応は「〇=b/〇=p/〇=m/〇=f(以下略)」のようになっている。「注音符号」は、始めの4字をとって「ポポモフォ」とも呼ばれる。

また、「台湾語」も公私問わず多様な場で用いられている。「台湾語」は、中国福建省で話されていた「(門がまえの中が虫になっている字)喃語(ビンナン語)」に由来する言語である。「客家語」や各原住民の言葉なども話されているが、基本的には中国語と台湾語が主流である。南部へ行く程中国語の使用率が低下し、台湾語などの使用率が高くなる。>

まあ、このように書かれている。
ここに書かれていることに対しても、『中国語』と『台湾語』を並立して表記することに抵抗感を感じる人もいるかもしれない(つまり、台湾語と言われているものは、上海語と呼ばれているものと同じく、中国語の方言に過ぎない?という考え方である)。

実は、私自身も、よくわかっているわけではない(台湾語については、全くわからない)ので、私の聞きかじったことや体験をもとに、以下、書いていく。


まず、ここに書かれた「注音符号」について。
これは、次のようなものである。一番左端に表示されているものである。

イメージ 2


ネットで探して出てきたものだ。
その中身がわかっているわけではない。


同じくネットの説明で見ると、声母21字と韻16字の37文字からなるという。<日本語の仮名に似た文字もあるが、仮名と違って音節文字ではない。また、仮名が草書体や感じの偏旁の利用によって作られているのに対し、注音符号は古代の文字をそのまま利用している。>などと書かれている(これは、『ウィキペディア』の記述から。

いつ頃からのものかというと、孫文らの辛亥革命(1911年)の後、1913年に<中国語の標準的な音を定めるための読音統一会>というものが開かれ、章炳麟が1906年に(日本に亡命していたころ)提案した案を土台にして、『注音字母』(のちに『国音字母』そして『注音符号』と呼び方が変わる)を決定し、それが1918年に公布されたのだという。

<上記のように注音符号はあくまで「国語」(北京語に基づいた標準語)のためのものだったが、台湾では台湾語を表記できるように注音符号を拡張する試みが行われた。これが1998年に「方音符号系統」として制定され、公式の位置を取得した。>(ウィキペディアから)


細かく引用し、紹介したのは、一つは以前、辛亥革命について(それを支持した日本人、宮崎滔天みやざきとうてんのことも含めて)読んだことがあり、随分忘れてしまったが、懐かしい印象を覚えたからだ。
それだけでなく、『注音符号』には(2015年に97歳で亡くなった)父の記憶も伴う。


父は、戦争のときに7年も兵役に服していたが、前半は中国大陸を転戦していたらしい(その後、所属していた部隊が南方の島に回され、ブーゲンビル島で終戦を迎えた)。

また、戦後はもともとアメリカ生まれ(祖父母が天草の出身で、祖父がアメリカに出稼ぎに行って、カリフォルニアで生まれた)なもので、アメリカ志向が強く、アメリカ系の(一種の)多国籍企業に勤務した(その前は、今は消滅し、三菱UFJなんだらへと名称を変えた銀行に務めていた)。

その多国籍企業は、電子機器メーカーで台湾や韓国にも製造拠点を持っていた。父はそこで財務担当の役員(後には、その子会社の一つのトップ)に迎えられた。その関係で台湾や韓国に何度も出張で行っていた。
(なお、この多国籍企業は、既に存在していない。電子機器メーカーの激しい競争の中で競争に敗北し、消滅してしまっている。)

私が2008〜13年までの間、ときおり日本に一時帰国するのをまじえて中国(最初は北京、後に上海近郊)に住んでいたころ、上海などの話をすると、父はなつかしそうな顔をしていた。

(だが、その時点でも90歳を過ぎていたので、もはや中国に行くことはままならなかった。もっとも、たしか最後に父がイスタンブールに旅行に出かけたのは、90歳になってからだったような気もする。だから、私が本気で誘えば、もしかしたら上海に来ることも可能であったかもしれない。)


ともかく、私が中国語の話とか、ピンインの話をしたとき、父はピンインは知らないが、○○は知っている、というようなことを言っていた。
何を言っているのかと思っていたが、この○○が実は、『注音符号』のことのようだった。

父が亡くなってから、残された手紙などを見ていて、再認識したのだが、父は長崎高等小学校の卒業なのだけど、若いころは学校で『外国語』として、当時でいう『支那語』を専攻していたのだった。
(つづく)







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中国大陸、台湾そしてアメリカがゆっくりと結び付いていきますね。

戦前と戦後、更には明治の人であったでしょうか、おじいさまの物語、、、。楽しみです。 削除

2017/3/28(火) 午前 0:06 [ ] 返信する

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> ぜさん
この後、書くつもりのことは、ちょっと違った内容になってしまいます。父や祖父のことは、これまで何度となく書いてきましたし(もちろん、多少、重複することは厭わないつもりですが)、小説ではないのでなかなか面白いことばかり書けません。期待外れの内容になってしまうかもしれません。

2017/3/28(火) 午前 10:38 [ 北京老学生 ] 返信する

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