北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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私は、大相撲が本当にわかっているわけでもないので、時々しか相撲については書かない。
それから、特にモンゴル力士が好きなわけでもない。

また、一度だけ、両国まで本場所を見に行った経験があるので(かなり、土俵から遠いところから見ていたのだが)、それを踏まえると、極めて『危険な競技』だと思う。
土俵の高さなど何とか、変更とかしていかないと、ケガが絶えないのではと思う。

その時の体験では、力士たちが以前は、お互いに『思いやり』というか『なれ合い』みたいなことをしていた(例えば、7勝7敗で千秋楽を迎えた力士はその多くが『勝つ』という以前の習慣)のが、その意味合いがわかったような気がした(そうでもしないと、苛烈な力士としての人生を全うしにくい?)のも事実だ。

それから、大相撲ファンの多くは、年配の人たちでそういう人たちの間で、『日本人力士が優勝してほしい』『日本人力士が横綱になってほしい』という気持ちが充満していたのも、(ある程度)理解ができる。
(これは、大鵬などかつての『名横綱』が今日でいう、『純粋日本人?』などでは全くないのにもかかわらずである。)



だが、それにしても、大相撲の土俵を巡る(一部の)ファンたちの雰囲気は目に余るものがある。
早い話が、ついこの間まで、多くの人たちが批判していた『塚本学園』で行われていた教育の雰囲気が漂っている。

(最近では、安倍首相を批判する人たちの一部が、どういうわけか『頑張れ、籠池理事長』みたいな感じになってしまったのが、奇妙である。
そして、その裏返しの現象のように、安倍首相サイドは籠池理事長を切り捨てようとしている。)


今、ネット(の一部)で、千秋楽等に、照ノ富士に対して浴びせられた『モンゴルに帰れ』というヤジが『ヘイトではないか』という批判が上がっているようである。

もちろん、『それはヘイトである』と私は思う。


そればかりでなく、『ヘイトに満ち溢れた雰囲気』が大相撲の土俵の回りを漂っているようだ。
私の受けている感じでは、これは両国での場所よりも、(一部の?)地方における場所でのほうが、より『悪質』な感じを受ける。

前からのことだが、(いわゆる)日本人力士とモンゴル力士が対戦すると、取り組みの前から、妙な手拍子などが始まって、『日本人勝て』『モンゴル負けろ』という雰囲気が場内全体に漂う。
それはテレビ中継を見ていてもわかる。

稀勢の里が横綱取りに挑戦し、それに成功して(途中で『綱取りの条件』を下げたりして、相撲協会も最大限応援?していたが)横綱になって以降、その雰囲気は、ますます高まっているようだ。


私は、今月6日に横浜から、台湾(台中市)に引っ越してきて(『NHKワールドプレミアム』で大相撲中継は見れるのだが)しばらくは見ていなかった。

最後のほうで、日馬富士との取り組みで稀勢の里が負傷し、14日目にあっさりと負けてしまってから、『どうなるのだろう』と興味がわいてきた。
すると、ご存知の通りだ。
たしかに、稀勢の里はよくやったと言えるが、周りの反応が全くの『興ざめ』である。


申し訳ないが、稀勢の里自身というよりも、親父さんなどの言っているらしいことが、かなり『問題だ』。
大相撲には、『日本会議』に近い舞の海などが、『日本人力士の活躍』と『日本人精神』とを結びつける解説を前からしていて、かなり『怪しい雰囲気』が漂っている。

(しかも、この『日本人力士の定義』というのもかなり怪しい。稀勢の里と同じ部屋の高安という力士も、今のところ、『日本人力士ということになっているようだが、お母さんがフィリピン人らしい彼などは、下手をすると今後、『切り捨て』の対象とされる危険性も感じる。)


稀勢の里が負傷する前からの話だが、稀勢の里のお父さんは、稀勢の里に百田尚樹の『カエルの楽園』を読ませたら、稀勢の里に『日本人力士』としての自覚が高まって、相撲に迷いがなくなってきた、というようなことを言っていた。
これを聞くと、稀勢の里のお父さんというのは、『第二の籠池理事長』かと思ってしまう。

そのようなことは、もしかしたらあるのかも知れないが、本当に稀勢の里のことを思うのならば、『百田尚樹』のような『札付きの人物』の名前は出さないことである。
(稀勢の里ファンでも、『百田尚樹は勘弁してくれ』という人は、少なからずいるのではないか?)


今回の負傷して以降の稀勢の里の取り組みについても(特に千秋楽の二回の取り組み)、まるで『神風が吹いた』かのような、最大限の表現と興奮を、(一部の)大相撲ファンたちは味わっているようである。
たしかに、私も見ていて、驚いた。

ただ、逆にいうと、照ノ富士の足の負傷などがそれだけひどかったのかもしれない。
あるいは、照ノ富士(これまで、本場所でほとんど稀勢の里に勝っていない。それに、照ノ富士の大けがの元となったのは、前回の稀勢の里戦であった)のほうが、それだけ稀勢の里に対する『苦手意識』が強すぎたのかもしれない。

本来、二番のうち、一回勝てば良いので、もっと『やりよう』もあったはずだが、最初の取り組みで『勝てる』と安易に考えていたようで、それで負けてしまった後の落胆は、見ていてはっきりわかった。
(ともかく、先場所まで、負け越しを繰り返していた照ノ富士であるから、もともとそれほど、大きなことを望むのは酷であろう。)


そのように考えると、稀勢の里の優勝を『神風が吹いた』『モンゴルの襲来を撃退した』かのようにとらえるのはどうかしているであろう。

それに都合のいい時は、モンゴル力士に(倒産しかかった)大相撲を支えてもらい、それが済むと、『モンゴルに帰れ』では、あまりにも虫が良さ過ぎる。


おそらく、モンゴルという国は、中国との関係があるので、『親日』の度合いが高い国なのではと思う。
それが、こんな扱いをするのでは、むしろ『モンゴル力士』たちが(このような大相撲ファンと称する人たちに対して)怒らないほうがどうかしている。
おそらく、怒っているのであろう。

また、モンゴルの人々も、このような大相撲中継を見ていて、『いい気持ち』はしないだろう。
これに対して、どうするのかは、『大相撲協会』と日本の『大相撲ファン』たちに問われていることだと思う。







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相撲は、テレビを見なくなってから興味がなくなりました。野球もテレビがないと消えていきます。

ただ、正直に言うともう国技とか言う感じですし、黒人力士てきたら、、、と思ったりします。 削除

2017/4/1(土) 午前 0:05 [ ] 返信する

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> ぜさん
相撲というのは、テレビなどリアルタイムで見ないと面白くないものだと思います。でも、いずれにしても大相撲というのは、学校でいうと、せいぜい(昔の)1クラスか2クラスくらいの人数の中で競うものですから、誰が優勝しそうか、すぐ絞り込みができてしまって、意外と面白みにかけるところがあるかと思います。
大相撲のヘイトのムードも、相撲中継を見ていないと気がつきにくい話かもしれません。

2017/4/1(土) 午前 11:27 [ 北京老学生 ] 返信する

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