北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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前に<【昭恵シンドローム】高橋源一郎さんの『教育勅語』現代語訳 これは役に立つ>と題して記事を書いた。


作家の高橋源一郎がツイッターで発表した<『教育勅語』現代語訳>をただ紹介したというだけの記事だ。
ところが、今朝(3日)の『東京新聞』電子版を読むと、次のような記事が出ていて、合わせて、『教育勅語』の通釈というものが載っていた。


最近、電子版をやたらにとるようになったのは、先月、台湾に引っ越ししてきて、日本の状況がいま、一つつかめず、ひょっとして『内閣総辞職』とか『衆議院解散』とかあったら、投票に間に合うよう、日本に帰国しようと考えたため。

もっとも、最近の、(よくわからない)『世論調査』によれば、安倍内閣の支持率は依然として高く、『総辞職』などなかなかしそうにもないが…。

『解散』の方は狡猾な安倍首相のことであるから、いつ仕掛けてくるかわかったものではない。また、現在の状況では、自民党が勝利する可能性のほうが高いというのも事実だろう(もっとも、両院で『改憲勢力』が3分の2を超えているという状況はもしかしたら変更できるという可能性が、それなりにあると思う)。

イメージ 1

イメージ 2


これが、『東京新聞』の1面と3面。
3面に『教育勅語』の通釈と称するものが載っている。『東京新聞』によれば、<1930年に文部省図書局から出された解釈を現代仮名遣いに直した。社会評論社の「君は教育勅語を知っているか−−『神の国』の記憶」より>ということである。

以下、『東京新聞』電子版の画面を見ながら、入力していく。
電子データが見つからないため(明日になれば、『過去の記事検索』サービスにより入手できそうなのだが…)。したがって、誤入力がないとはいえない。ご容赦願いたい。

<朕がおもうに、我がご祖先の方々が国をおはじめになったことは、極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、また、我が臣民は、よく忠に励みよく孝を尽くし、国中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげてきた。
これは我が国柄の精髄であって、教育のもとづくところも、また、実にここにある。

汝臣民は、父母に孝行を尽くし、兄弟姉妹仲良くし、夫婦は互いにむつみあい、朋友互いに信義をもって交わり、へりくだって気ままの振るまいをせず、人々に対して慈愛を及ぼすようにし、学問を修め業務を習って、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め、世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範なたびに憲法を初め諸々の法令を尊重遵守(じゅんしゅ)し、万一危急の大事が起こったならば、大義にもとづいて勇気をふるい、一身を捧げて皇室国家のためにつくせ。


こうして、神勅のまにまに天地とともに、窮(きわま)りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄(みさかえ)をたすけ奉れ。このようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの、祖先の残した美風をはっきりあらわすことになる。

ここに示した道は、実に我がご祖先のお残しになった御訓(おおしえ)であって、皇祖皇宗の子孫たる者および臣民たる者が、ともに従い守るべきところである、

この道は古今を貫いて永久に間違いがなく、また我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。
朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得、実践することを切に望む。>
以上が、全文である。


これを、一通り読んだだけでも、この内容は矛盾しているのではないかと思う。
例えば、この文章の中に次のような一節がある・
<この道は古今を貫いて永久に間違いがなく、また我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。>

しかに、『この道』には次のようなことも書かれていたのだ。
<万一危急の大事が起こったならば、大義にもとづいて勇気をふるい、一身を捧げて皇室国家のためにつくせ。>

どう考えても、アメリカ合衆国において、『一身を捧げて皇室国家のためにつくせ』などということを、言うはずがない。

『基本的人権』を尊重する国家においては、国家自体が『基本的人権』を認めないのであれば、それは『国家』たるに値しない存在となるはずである。
だからこそ、戦後、『教育勅語』は国会において『排除・失効』が宣言されたのであろう。


考えてみると、明治の日本は、『日本の独自性』と『世界に通用する原理』の(危うい)バランスの上に、明治維新を敢行し、天皇制国家を作り上げていったのだろう。

そして、この『日本の独自性』を極端にまで強調したのが、『戦時中』の日本であり、その時、これを国民に浸透するための道具として使われたのが、『教育勅語』であり、『御真影』であり、あるいは今日、中学校の学習指導要領に追加されたという『銃剣道』などであったのだろう。


このように、そもそもの成立期においても、『矛盾に満ちた存在』であったのが、『教育勅語』であったのだろうと思う。
それを今、平然として、『現在の道徳教育の教材として使うことを否定しない』『憲法や教育基本法等に反しないような形での教材活用を否定しない』という内容を『閣議決定』した安倍内閣というのは、どのような考え方を採用しているのだろうか?

もとより、『普通の解釈』であれば、『教育勅語』の精神と『日本国憲法』の精神は全く反するものであり、『憲法に反しないような形で』教育勅語を教材として使用するというのは、考えられないと思う。
(あるいは、『日本国憲法』に反する教育の例として、『教育勅語』を教材として用いることを認めるという意味で、『閣議決定』しているというのか?
そういうことは、全くありえないと考える。)


今回の『森友学園』事件の本質や、安倍首相夫妻の思想を考える上で、『教育勅語』の内容の検討は、欠かせないと思う。







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