北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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一昨日(13日)、日本から送ってもらった小包が届いた。横浜の自宅のマンションのそばに住んでいる義姉に送ってもらったものだが、本が何冊か入っていた。
(なお、船便で送ってもらったので、3週間くらいかかって、ここ台中市に届いている。)

イメージ 1



ここに写っている右側の本も、送られてきたもののうちの1冊。
司馬遼太郎の『街道をゆく 40 台湾紀行』(朝日新聞社、1994年発行)というもので、一昨年亡くなった父の蔵書のなかの一冊だ。

父が持っていた本のなかに、結構、面白そうなものが何冊かあったので、実家からもらってきていた。
なお、左側にある文庫本は、同じ内容を文庫に収録したもの。先週、近所の図書館から借りてきたものだ。

日本から送ってもらったもののなかに、入っているのはわかっていたのだが、いつ到着するか分からないので、図書館からこの文庫本を借りて、読み始めた。

途中まで読んだところで、原本のほうが届いたので、(そちらのほうが、活字の配列がゆったりとしていて、読みやすい。また、文庫本ではどういうわけか、ほとんどカットされていた挿絵が豊富に載っている)この大きいほうの本で読み終えた。



司馬遼太郎の『歴史観』については、疑問に感じることも多い。
簡単にいうと、『明治の日本』は青年のようなはつらつとしたものを持っていたが、それが『昭和の時代』に入ると失われ、歪んでしまったというような考え方だ。

父は、司馬遼太郎が好きだったのか、結構、その小説や『街道をゆく』シリーズなどを買っていた。だが、その小説を『全部』かあるいは、それに近く読んでいたわけでもないようなので、『熱愛していた』というほどでもなかったのだろう。


この『台湾紀行』というのは、1993年7月から『週刊朝日』に連載されたものを、その後、1994年11月に単行本として出版されたものである。

司馬遼太郎は、1993年1月〜1994年4月までの間に、のべ3回、31日にわたって台湾で取材をしたそうだ。
1996年2月に72歳で亡くなっているので、死の直前の仕事ともいえる。
(現在の私とあまりかわらない年齢の時の仕事でもある。)


実は、司馬遼太郎の文章を読んでいる時には、あまり気が付かないのだが、この時、台湾における案内人の一人(本の中では、『老台北』として登場する)である、蔡さん(下の名前は、難しい字なので、表紙の出ているのを確認してほしい)が、こんな本を書いている。

イメージ 2


こちらも、近所の図書館から借りてきて、途中まで読んだがストップしてしまっているものである。
この本の中で、蔡さんが書かれているのだが、司馬遼太郎はひどい『偏食』だったようだ。

<あまり知られていないことだが、司馬夫妻は食事の範囲が狭かったので食事には十分気を遣ったことが思い出される。

一般に、台湾にやってくる客人をもてなすには、自慢の台湾料理をふんだんに振舞う習わしかし司馬夫妻は、テーブルに次々と出てくる料理にはほとんど手をつけようとせず、ご夫妻揃って口にしない食べ物があることがわかった。>
などと書いている。

何が苦手なのかというと、<「刺身」など生モノ><もとより「魚」そのものを口にしない>、カニもエビもダメ、<幼少の頃、実家の隣が鶏屋であったことから、「鶏肉」もダメ>などとある。
これは、ちょっと信じられない思いがした。

もしかしたら、『台湾』のものだから、食べないということがあったのでは、という気もした。
というのは、新鮮な魚が豊富なところで育った人など、例えば『東京の魚はまずい』などといって、あまり喜ばない人などもいたりするものだ。
しかし、そういうわけでもなさそうな感じ。

前に上海近郊に住んでいた時は、司馬遼太郎が、杭州とか蘇州、上海などについて書いた紀行文を読んだ記憶があるが、そのときは、こうしたことは気が付かなかった。
今回、こういった記述がなされていることを半ば承知で、『街道がゆく』を読み出したのだが、そういえば『食事』の場面はほとんど出てこない。

何が出てくるかというと、いろんな本に書かれている、台湾の歴史とか日本統治時代の状況についての話など、要するに『本で読んだ話』を自分の紀行文のなかに引用している比率が圧倒的に高い。


どうも司馬遼太郎という人は、『頭でっかち』の人だったようにも感じる。
ともかく、『街道がゆく』を書いた司馬遼太郎が、このような『偏食家』であるというのには、ちょっと驚いた。
(ただし、いつからそうなったのか。他の外国でも同様だったのか、日本国内ではどうだったのか、という疑問は残っている。)


実は、昨日(14日)、日本にいる弟からメールが送られてきて、私だけ4月の下旬から、5月上旬にかけて横浜にしばらく戻ることになった。

これは、一昨年父が亡くなり、昨年母が亡くなったために、その相続の関係で処理しなければならない事務手続きがあり、それに伴うものである。
ということで、まだ台湾に来てから、1カ月ちょっとしかたっていないので、しばらく日本に『一時帰国』する。

また、その後も、もともとビザの関係で(というより、日本人は台湾にはビザなしで3カ月滞在できるので、ビザをとらずに入国している)、6月初めに、カミサンと一緒に日本に(1カ月近く)『一時帰国』する予定だ。
どうにも、日本と台湾を行ったり来たりで落ち着かないが、そういうことになった。

日本に戻ったら、また、(私の感じた)日本の状況を伝えたい。







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