北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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考えてみると、私は毎年のように、『ノーベル賞』に文句をつけている。

特にひどいのが、(ノルウエーが国家的行事として選定している)『ノーベル平和賞』だという気がする。
こちらは、本日(6日)夕刻、発表のはず。

『ノーベル平和賞』というのが、単なる『ギャグ』に過ぎないという最近の傾向を考えると、今年は『トランプと金正恩』の共同受賞にするのが良いのではないか?
彼らはたしかに、多くの人間に、今、『戦争と平和』について考える機会を与えている。


ノーベル賞というのは、せいぜい、科学分野に限るのが、『身の程をわきまえた措置』だと私は思う(それですら、『科学技術のもたらす、不可逆的な悪影響の可能性を、ほとんど無視している』という批判を完全に免れることはできないが…)。

『ノーベル文学賞』などというのは、スエーデンが偉そうに世界にばらまいている『彼らの趣味に基づく<栄誉>の配分』に過ぎない。
(多くの映画祭の賞とおなじく、誰が審査委員なのかによって、その結果など大きく異なる。)

まあ、そういった『限界』をわきまえた上で、『一種のショー』としてとらえれば、良いのだろう。
今年は、イギリス国籍のカズオ・イシグロ氏が受賞したことが、昨夜(5日)の(日本時間で)8時に発表になった。

イメージ 1


これは、(台湾で見た)CNNニュースの映像。
(途中からちらっと見ただけなので、その前に何をやっていたか、知らない。)

イシグロ氏の名前だけテロップに表示しているのが、『潔い』気がする。


イメージ 2


あまり、『潔い』とはいえないのが、『朝日新聞』の紙面(6日付朝刊)。
『長崎出身』『日系英国人』と属性のキーワードをてんこ盛りにしている。

個人を、個人としてではなく、『属性』で判断するという姿勢が、にじみ出ているような気がする。
『長崎出身』を強調するのも、『長崎』が原爆投下の地だということと、『出生の場所』が日本であるということの両方を強調したかったからだろう。
(私も、長崎で生まれてはいるが…。)

イメージ 3


そして、何ともストレートなのが、この『産経新聞』の『号外』である。
『産経新聞』はやたらに、『号外』を乱発する(特に、『日本人』が活躍したというようなニュースは必ず、『号外』にする)。
もしかしたら、ネット上で『号外』を発信しているだけで、毎回、『号外』を印刷してどこかで配布しているということではないのかもしれない。

今回は、『日本出身の英作家』ときた。
『日本出身力士の優勝』などと同じ言葉である。

イメージ 4


こちらは、昨夜のNHKの『ニュース・ウオッチ9』の画面から。
番組の冒頭で10分以上この話題を取り上げた。
それだけでは足りないようで、番組の終わりのほうで、この映像を見つけ出したようで流していた。

これはNHKの『Eテレ』で、平成27年(つまり、一昨年)に『カズオ・イシグロ文学白熱教室』という番組にイシグロ氏が出演した時の模様である。
(このようなコンテンツの知的財産権を保有しているので、NHKは『強気』になっているのであろう。)


なお、それだけでなく、イシグロ氏の『わたしを離さないで』という作品は、映画化されたばかりでなく、2016年にテレビドラマ化されて、綾瀬はるかさん主演でTBSで放送されているが、そのテレビドラマ化されたことについて、NHKでは触れられなかった。

TBSの局名まで言えとは、いわないが、テレビドラマ化されたことを報道しないのは、一種の事実の歪曲と言えるのではなかろうか?

私もこのドラマ、途中で一回だけチャネルを合わせた記憶があるが、まともに見ないままでやめてしまった。
(このときは、かなり低視聴率だったと聞いている。)



さて、『カズオ・イシグロ白熱教室』であるが、イシグロ氏は、文学について語ったが、もちろん、日本語でしゃべったわけではない。英語で語ったのだ。
(日本語を聞く能力は、ある程度、あるようだが、話すことはしない。)

繰り返すが、イシグロ氏は、イギリスの国籍であり、英語で小説を書くイギリスの作家である。
それが、なぜ、こういう時ばかり、『日系人』とか『日本出身』を強調するのだろうか?


それと関連して思い出すことができるのが、大相撲においては、たとえ日本人に帰化して日本国籍を取得した力士が優勝しても、いざとなると、(その力士の実績を飛ばして)『日本出身力士』が○○年ぶりに優勝したと表示されるという不思議さである。

また、今年は、民進党の蓮舫代表が、(中華人民共和国ではなく)中華民国の国籍が残っていたために、『二重国籍』と痛罵され、さんざん非難されて、『代表の座』を追われた。
(もちろん、彼女の場合、『政治家としての未熟さ』があったことは承知しているが、それにしても、あまりにも『短絡的』である。)


『二重国籍』という今日的には、十分、ありうる状態に対する、奇妙な『潔癖さ』を日本という国家・社会が多少なりとも修正すれば、イシグロ氏についても、『イギリス』と『日本』の『二重国籍』ということで、晴れて『日本人』と呼べたのに、これは『残念なこと』というべきだろうか?
(これは、一昨年、亡くなった私の父=もともと1917年にアメリカ生まれ=が死後、アメリカのパスポートも持って
いたことがわかったので、余計、感慨が深い。)


また、最近では、第157回(2017年7月決定)芥川賞の選考の際に、選考委員の作家・宮本輝氏が発した、『無神経な言葉』が話題になった。

以下、『JCASTニュース』の記事からの引用。

<温氏は台湾・台北市で生まれ、3歳の頃に東京に引っ越し、台湾語交じりの中国語を話す両親のもとで育った。候補作となった「真ん中の子どもたち」は、台湾出身の母と日本人の父を持つ若者が自らの生き方を模索する姿を「母語」をテーマに描いた作品だ。

この作品に対する宮本氏の選評は、次のようなものだった。
『「これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。なるほど、そういう問題も起こるであろうという程度で、他人事を延々と読まされて退屈だった」(「文藝春秋」2017年9月号より』>


このような評を発表したことに対して、温氏自身がツイッターで反発し、怒りを爆発させていた。

この事件は、明らかに、(言葉というものを商売道具としているはずの作家)宮本輝氏の『無神経な言葉遣い』が問題を拡大し、火をつけたのだと思う。
つまり、彼は、『自分自身』にとって『対岸の火事であって、同調しにくい』、そういった性質のものについて、『日本人の読み手にとっては』と言い放ったのである。


このような、『自我の肥大化』というか、逆に、『日本人という集団幻想』のなかに『自我が溶解していく』と言おうか、そのような現象が、今日の日本でたくさん見られる(もちろん、それは日本だけでなく、世界各地で見られる現象であろう)。

是非、今回のカズオ・イシグロ氏の、『ノーベル文学賞』受賞についてのコメントを宮本輝氏から、きちんと取るようにしてもらいたいものだ。






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今回のイシグロ氏受賞に関しては、日系作家としてニュースに取り上げることが潔くないとはまったく思えません。完全に(多くの人が知らない)イギリス人作家として報道した方が良いということでしょうか。
私はずっと以前からイシグロ氏に関心を持っていましたが、やはり日本人として生まれた人が英語で作品を書いているということも、関心の一つのポイントでした。

彼は5歳で日本を離れているとはいえ、両親は日本人ですし、イギリス国籍を取ったのは30歳近くになってからです。本人も今回の受賞にあたって自分の中の日本的なるものについて多く語っていました。まったくのイギリス人作家とはやはり属性が違うのですから、それを取り上げるのはいわば当然のことではないでしょうか。(もしイシグロ氏が日本国籍のままだったら、英語で書く作家として活躍していても日本人だとして大きく報道されるでしょうが、それなら問題はないということですか?)

だからイギリス文学の作家であっても、「日系」とか「日本出身」と書くことに(本当のことですから)違和感はありません。日本と縁の深い人の受賞を素直に喜んで構わないのではないでしょうか。

2017/10/8(日) 午後 8:12 [ sch*e*inas*h*u ] 返信する

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> sch*e*inas*h*uさん
コメント、有難うございます。
私の文章の書き方にも問題があるのかもしれませんが、私の言いたいことは、ご指摘になっている『論点』と微妙にずれています。
イシグロ氏が日系作家であることで、イシグロ氏に日本人が関心を抱くことが悪いと主張しているわけではありません。
あるときは、その人が日本人とか『日本出身作家』であることを強調して、『誇りに思う』と言い出す。別の時は、日本人であることの基準が少し違うように感じる。
そこが、『ご都合主義』ではないかというのが、私の『論点』です。
イシグロ氏自身を批判するつもりは全くありません(このブログのなかで以前、書いているのですが、私自身、子供のころ、アメリカに『移住するんだ』と言って、親と共に海外に渡った経験があります。結局、日本に戻ってきましたが)。
逆に、このように『日本人』基準が揺れ動いて、ある場合は、『誇りに思う』と言い、他の場合は、その人を『排斥』してしまう。そこに、現代の日本の危うさ(政治状況に通じる)があるように感じたのです。

2017/10/9(月) 午前 8:59 [ 北京老学生 ] 返信する

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仰っていることは良く分かっているつもりです。
上のコメントでは最初はそれ以外に書かれたことへの賛意なども書いたのですが、長くなったので消してしまったのです。

私が述べたのは新聞のニュースとしての取り上げ方についてであって、

「あまり、『潔い』とはいえないのが、『朝日新聞』の紙面(6日付朝刊)。
『長崎出身』『日系英国人』と属性のキーワードをてんこ盛りにしている。個人を、個人としてではなく、『属性』で判断するという姿勢が、にじみ出ているような気がする。」

この部分が大げさすぎると感じたのです。
イシグロ氏の属性について新聞がいろいろ書くのは、誰もが抱く関心事であって当然のことではないでしょうか。(スキャンダルではないのですし)。潔いとかそうではないとかの評価に馴染むものでもなく、他の政治的な国籍問題や排他性とは別の問題であって、並べて論じるものではないし、今回に限ってはご都合主義とは関係ないと思うのですが(産経のことはどうでもいいというか・・・)。ということで、論点がずれていると言われればそうかも知れませんが、私の感じたこともくみ取って頂ければ幸いです。

2017/10/9(月) 午後 7:37 [ sch*e*inas*h*u ] 返信する

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> sch*e*inas*h*uさん
たしかに『朝日新聞』の見出しについての書き方は、多少、『ウケ狙い』で大袈裟なことを書いてしまったかもしれません。
私のほうでも、特に『朝日新聞』に対しては、構えてしまっている部分があり、いちいち鼻についてしまうところがあります。
例えば、オリンピックなどは新聞社にとって、重要な(儲けのための)事業なのでしょう。オリンピックについて、根本から否定するような記事を『こういう意見もあるよ』という紹介でなく、紙面をあげて主張するようなことはありえない、と感じます。
そうした調子で、どこでどういう風に『なびいていくのか』があらかじめ、見えてしまうところがあって、私自身もやや大袈裟すぎる書き方をしてしまうところがあります。
ご指摘の点は、今後、心がけていきたいと思いますが、ブログをやっていると、どうしても(小池百合子氏ではありませんが)『エッジをきかせる?』というのでしょうか、そういう傾向があって、それに流されてしまいがちになります。
ご指摘を頂き、有難うございました。

2017/10/9(月) 午後 10:07 [ 北京老学生 ] 返信する

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