北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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この記事の続きだ。


今朝(13日)、出掛けるにあたって時間が不足し、(あわててアップした)前の記事が『尻切れトンボ』状態になってしまったため、とりあえず続きを書く。

那覇市の『国際通り』から『平和通り』に入っていくとある『第一牧志公設市場』の話を書いていた。
ここの『魚屋さん』(小さな店がたくさんある)の品揃えを紹介していた。

前回は、写真の枚数が多くなりすぎるのを嫌って、アップするのを省略したものもあるので少し追加する。

イメージ 1


この『公設市場』は、現在2階建てのビル(といっても、古い造り)になっていて、1、2階で営業をしている。
生鮮関係は1階で、2階は衣料・雑貨、それに(前回も書いたように)食事ができるコーナーになっている。
(その雰囲気が、台湾で見た『市場』の様子と似ていた。)

2階には、その他(市場を管理運営している)『同業組合?』の事務所も入っていた。
そして、それ以外の空きスペースみたいなところに、『市場の歴史』を示すかのように、終戦直後から50年代にかけての古い写真が、掲示されていた。

これが、台湾(台中市)などで、同じように『市場の歴史』を振り返る昔の写真が掲示されていたので、『どこも似たようなことをやるものだ』とある種、『驚き』と『やっぱり』という感じがした。
ともかく、この沖縄の『公設市場』関連の『昔の写真』の一部を紹介しよう。


イメージ 2

米軍が、戦後、街をかっぽしている。
沖縄の場合は、彼らが(継続的に)『統治』し始めた。

イメージ 3


焼け跡にできた『闇市場?』(本土ではそうだが。沖縄の事情はよくわからない)に、戦争から帰った人々が殺到した。
(沖縄の場合は、沖縄自体が『戦場』と化した。)

イメージ 4


『ふーてんの寅さん』みたいな感じの男と、群衆のなかに見える女子中学生か、高校生か?
男たちは、けんかでも始めそうな雰囲気を漂わせている。

これは、まるで映画『仁義なき戦い』で見た、戦後の広島市や呉市の姿と重なる。
(しかも、沖縄に『原爆』こそ投下されなかったが、沖縄全土が受けた被害と悲しみは、ヒロシマ・ナガサキとどちらが、『よりひどい』などと比較することすら許されないような状態であった。

イメージ 5


そして、こうしたなかで『売り場』を維持していた女性たち。
(戦争や戦災で、男たちや家族を失った人が無数に含まれていたに違いないだろう。)
この人たちの活動が、その後の『公設市場』につながっていったように感じる。

そして今、『戦争のにおい』は世界から、特に沖縄の周辺から消えることはなく、ますます色濃くなっている。
こうしたなかで、『公設市場』の女性たちが、売り物の魚などを、『普天間飛行場』あるいは『辺野古新基地建設』の記事を伝える『沖縄タイムス』(あるいは『琉球新法』も)などで包みながら商売をしていることは、ある種、『象徴的』な感じがする。

イメージ 6

(前回に載せた写真を、再度、紹介する。)

イメージ 7

これは、『平和通り』商店街に掲げてあったポスター?の一部。
中国語(大陸で使われている簡体字)で、『平和通りへようこそ』と書かれた上に、なかなか味わい深い漫画風の絵と、日本語で『分かち合う喜びありて、福は来る』とある。

ややもすると、『国家』という権力の意向によって、『人々』が相互に対立させられ、『戦争に動員されていく』危機が存在している現在、何とも味わい深いポスターではある。
(ここのポスターは、いろんなものがあり、これはそのうちの単なる一つに過ぎない。)

イメージ 8


この『平和通り』や『市場通り』『むつみ橋』などの商店街には、中国、台湾、香港(中国の一部ではあるが、そこの人々は独自の『感性』を持っている)、韓国などの人たちが大勢やってくる店がたくさんある。
この『塩』の専門店もそういう店の一つのようだ。


カミサンは、(別の)ドラッグストアで店員に商品について尋ねていたら、いつの間にか中国語で店員と問答をしていた。
(どうやら、店員は、中国か台湾出身の人だったらしい。)


このように、『商業』『商店街』というのは、人々の『対立』ではなく、『交流』(お互いがトクをする)関係を生み出す土壌となりうるという要素もある。
実際、沖縄に来ている人たちは、『親近感』をもって沖縄に来ているようだ。

本日(13日)も『観光バス』に乗るためにバス会社の案内所を、カミサンと一緒に訪ねたら、若い台湾人の夫婦が、2歳の男の子を連れてきているのに遭遇した。
(彼らは、同じ『観光バス』に乗ったわけではなかったが…。)

カミサンが、『自分も台中市に住んでいる』などと話していたが、彼らは台北市から来たらしい。父親は、何度も日本を訪ねているらしい。
今回は、幼い息子に『日本』という外国を経験させるために、(台湾から近い)沖縄旅行にやってきたということのようだった。


こういう前向きな人たちが、どこの国にもいる。
そういう人たちが、沖縄に観光客としてきて、お互いの歴史や文化について、理解(お互いの『差』の理解を含めて)していくことができるとすれば、それは単に『商売』や『経済』だけの話ではなしに、好ましいことではないかという気がする。







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