北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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この記事の続きである。


『首里城・戦跡・おきなわワールドコース』という観光バスを利用しての旅。
この日(13日)の2回目の降車場所は、『旧海軍司令部壕』という。

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ここは、那覇市に隣接する豊見城(とみしろ)市にある。那覇空港から車で15分ほどの場所である。
1944年(昭和19年)に日本海軍設営隊によって掘られた司令部壕で、当時450メートルあったという(現在、そのうち、300メートルが公開されている)。

旧海軍司令部の大田實少将はじめ6名が、1945年(昭和20年)6月13日夜半、ここで自決している。
『沖縄県民かく戦えり』『県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを』という『遺書』を残している。
(この壕は、数回にわたる遺骨収集の後に、1970年3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300メートルが復元されたとリーフには書かれている。)

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1958年(昭和33年)、沖縄戦友会等によって建立された『慰霊の塔』。

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沖縄を襲撃した米軍の状況。ここは公園になっていて、そこの『資料館』にこうした展示物が飾られている。

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これは、『ニューヨークタイムス』の紙面。
こういうのを見ていると、現代の中東での戦争、あるいは朝鮮半島でもしかしたら、また起きるかもしれない『悲劇』とイメージが重なってくる。

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いつも、アメリカは相手を『悪魔の枢軸』のように描き出すが、実際に被害を直接こうむるのは、このような子供たちや女性、老人たちが最大の被害者となる。
(これは、『白旗を掲げる少女』という有名な写真のようだ。撮影者は、賞を受賞したらしい。)

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こちらは、海軍壕のなかの下っ端の兵士たちの様子を描いた絵。このように詰め込まれている。
ここから先は、司令部壕を見学した(入場料大人440円は、ツアーの料金に含まれていたようだ。最も『別途有料』だった部分も、カミサンに支払いをまかせたので、よくわからないところもある)。

いずれにしても、上記の資料館の展示を含めて、見学時間が設定されていたので、最後は、集合時間に遅刻をしないように、あわてて壕のなかを回った。
(だから、『司令官室』などゆっくり、見ることができなかった。)

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いずれにしても、司令官たちだけ、さっさと自決するのは、日本軍の『伝統?』なのかどうか。
敗戦をどのように処理するのかは、リーダーとして一番重要なところで、こうしたところに、日本人の好む『潔さ?』と『無責任さ』が表裏一体になっている様(大きな欠点)が露呈しているようにも感じる。

(さらに、なかには『玉砕せよ』と部下に指示しておきながら、自分だけはさっさと逃げ出すような、不埒な奴も結構いたと聞く。

戦時中に開発した、『悪魔の兵器』の情報をアメリカ軍に手渡して、自分は罪を問われることがなかった(しかもその後は、戦後の〇〇界でボスとして生き残った?)というような輩もいる(まあ、これは沖縄戦以外の話も含めて言っている)のだから、何事も『水に流す』あるいは『証拠資料はすべて捨てる』という日本の流儀は、多くの間違いを残し続けているのだろう。


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バスの集合場所に戻る途中に見かけたものだが、沖縄の(伝統的な)墓の形になっている。
(つづく)










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