北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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『前篇』で少し書いたように、西部氏の最後の著書『保守の真髄 〜老酔狂で語る文明の紊乱(ぶんらん)』(講談社現代新書、電子版)というのを、ネットで購入し、ひととおり読んだ。

もっとも、『理解し得た』とは言い難いと自分自身でも思っている。
この本は、『口述筆記』したものをまとめたものなので、ざっと読むと何となく、わかったような気分になるが、少し考えるとそうではないということに気が付く。

この本は、恐ろしく、カタカナ文字が多く、癖のある文章である。
(西部氏の身体的な状況のために、『口述筆記』にならざるを得なかったことが、その独特の『文体』をある種の極限にまで『追い詰めて?』しまっているように感じる。)

そのサンプルとして、次のような文章を引用すれば、あるいはわかって頂けるかもしれない。

<元来、話し言葉と書き言葉をあまりかけ離れたものにしないのは、「物事の総合的な解釈を、人格上のインテグリティ(総合性・一貫性・誠実性)をもって記す」ものとしてのエッセイ、つまり自己を試験する(エグザミン)こと、それを表現するのが術者の狙いでありつづけたからだ。−−ちなみにエッセイの語源はエグザミンにほかならない−−。
とはいうものの、話し言葉と書き言葉のあいだには截然(せつぜん)たる区別がある。>



そして、こういうのもある。

<とりわけ平成日本が適応主義−−その近似語でいうとオポチュニズム(日和見主義)、オケージョナリスム(場面主義)あるいはプラクティカリズム(実際主義)−−の路線にはまっていたことは火を見るよりも明らかである。

というのも、アメリカでいわれていた構造改革とは、工場や事務所でオートメーション化を進めるという程度の話であったのに、アメリカに追随するのを専らにしてきた戦後の風習に則って、我が国は国家全体のアメリカ二ゼーションを推し進めてきたのである。

そこにグローバリズム(地球主義あるいは広域主義)やモンディアリスム(世界主義)の美名が冠せられてはいたものの、その世界標準を決めるのは最強の軍事および政治の覇権国アメリカだと暗黙のうちに前提される始末なのであった。>

もっとも後者などは、何を否定・批判しているのか比較的明瞭なので、理解しやすいかもしれないが…。


このような文章であっても、自分が『理解した』あるいは(半分以上)『同意する』ととらえることのできる部分もある。
それらは、私の場合、人間の進化、文明の進歩を無前提に受け入れて賛美する傾向を、西部氏が批判している部分である。
あるいは、『構造改革』などを前提とするような傾向への批判、『民主主義』の限界を考慮しようとしない傾向への批判も同意できる。

しかし、他方では『同意できない』部分もたしかに存在する。

それは、西部氏が日本の核武装を『必要と見る』立場にある点である。
また、『核廃絶』についても、<「歴史の不可逆」をわきまえぬ者たちが「核の廃絶」を言う>としている点も同意できかねる。

だが、西部氏の議論をていねいに見ていけば(核武装の論点は、この本でなく、別の本に論点をまとめているようだが)、この人の語る言葉は、それなりに『筋が通っている』側面があることも認めざるを得ない。
例えば、西部氏は次のように語っている。

<ここでとりあえず確認をしておきたいのは、世界各地で軍事衝突のドンパチが立て続いているというのに、ましてや朝鮮半島での米朝軍事衝突が具体的なプランニングとして浮上しているにもかかわらず、この国では憲法9条2項(非武装・不交戦)の条項が不磨の大典として尊ばれているというふうに、インチキトンチキな日本列島の現状である。

もし米朝衝突となれば、「安保法制」ができているからには、自衛隊の隣国への「武力出兵」がアメリカから要請されるかもしれないという可能性について、この国の世論では一片の議論も起きていないのだ。>


これなどは、いわゆる『護憲派』に対する批判としてのみ受け取られるかもしれないが、私には、安倍政権を含めた『現状認識』『現状の国民に対する伝え方』の批判のように感じられる。

また、先ほど記したように、西部氏は『日本の核武装』について論じてもいるのだが、それについても彼は、次のように主張している。

<ただし核武装に踏み込むには条件が付けられる。「核による先制攻撃は絶対にしない」と憲法に明記せよということである。
つまり、プリヴェンティブ・プリエムプション(予防的先制攻撃)は核については禁止せよということだ。

というのも、相手が日本列島に対する核攻撃の準備に入っているという情報が仮にもたらされたとしても、それが実行の寸前で中止される可能性もあるからには、先制攻撃で相手に与える莫大な被害のゆえに、日本は国際社会における名誉を完全に喪失するという事態になる。それを避けるためには、いわゆる「報復核」に戦略を限定すべきだということである。>

こうした『前提』あるいは『条件』を付した核武装というようなものが本当に可能なのかどうか、私にはわからない(だから、『核武装』自体に反対である)。


だが、少なくともこうした議論の姿勢は、物事をあいまいにしたまま、どのような事態にも日本をなし崩し的に引きずり込みかねないような安倍政権の『考え方』とは相当に異なっていることは、間違いないだろう。

だから、こうした西部氏の議論を読んでいくにつれて、現在の日本での論調の在り方(それは、もちろん、安倍首相の議論の進め方というか、『議論をしない状態のままで、物事を決定しようという態度』を含めての話である)に対する、西部氏の強い批判だけは、感じ取ることができる。


結局、西部氏は、(もちろん)『朝日』とも『産経』とも考え方は異なっており、安倍支持ではなかったが、『反安倍』支持の論者でもなかったのだろう。

だからこそ、『朝鮮半島における危機』が今すぐにでも起きるかもしれないという状況になったときに、予定されていた『ある私的な振る舞い』(自殺の決行)の日取りを多少、延期して事態の推移を見極めようとしたのだろう。


しかし、今すぐ、『朝鮮半島における危機』が炸裂するような状態では、(今のところ)ないと判断したのであろう。
であるならば、(安倍首相の推進する)『改憲』が成立するか否かに賭けても良さそうなもの(そのような考え方もありうる?)だが、西部氏は、『安倍流改憲』を応援する気もしなければ、それを『阻止』することを自分自身の『重大課題』と考えることもなかったのだろう。

だから、1月21日という時点で、『ある私的な振る舞い』を決行することにしたのだと考える。

結局、私自身の考えと、西部氏の考えとは異なる。
だから、西部氏の『思想』と『行動』を賛美する気はしない。

しかし、同時に、西部氏の主張を『安倍改憲』とは異なるものだからといって、その『都合の良い』部分だけを取り出して、それを『利用しようとする?』かのように見えるやり方についても、それを『持ち上げる』気は起きないのである。






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閉じる コメント(2)

西部氏も野中氏も、彼等が絶望するような状況を、けっきょく彼等自身がかなりの程度作り出したことは確かですね。
田中角栄の「再評価」も盛んなようですが、こういう人たちを懐かしまなければならないくらい、今が絶望的なまでにひどいのだと思います。

2018/1/29(月) 午後 5:09 [ 檜垣 鉄心 ] 返信する

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> 檜垣 鉄心さん
たしかにそういうことは言えるように思います。
この状況から、どういう言葉、あるいは思想を武器として、『前進すること』あるいは『踏みとどまること』が可能なのか?
もっとも、何も(世界のなかで)日本だけが『ひどい状況なのではない』と割り切ってしまえば、それなりに対処する方法も見えてくるような気がしますが…。

2018/1/29(月) 午後 6:40 [ 北京老学生 ] 返信する

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