北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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この記事の続きだ。

テレビドラマのネタをばらすのは(映画なども含めて)『良くない』とわかっているが、この2つのドラマのうち、『CHANGE』のほうは、10年前のドラマなので、『多少、ばらしてしまう』ことをご容赦願いたい。
(それが、困るというかたは、申し訳ないが、ここで読むのをやめていただければと思う。『申し訳ない』ことだが…。)



その代わり、(最近のドラマである)『民衆の敵』のほうは、極力、『ネタバレ』をしないというモードで書きたい。

実は、『CHANGE』のほうは、今回、第1回を見ることができていない(日本への『一時帰国』を終えて)、台湾で放送開始していたこれを見始めたので、その時点で既に『第1回』は終わっていた)。
今後、機会があったら、『第1回』も見直してみたいと思っている。
(少なくとも台湾のネットでは、『第1回』の分を流しているみたいである。)


他方、『民衆の敵』のほうは、台湾で見始めた後(日本に『一時帰国』している間に)台湾での放送が終わってしまうことがわかっていたので、日本で、『フジテレビ』の『見逃しコンテンツ』を見ることができる有料サービスに加入して、(日本に滞在している間に)全部見た(こういうサービスは、通常、日本の国外からは見ることができないことが多い)。

そのうえで、書くのだが、このドラマ、ストーリーが(ある部分で)よく似ているところがある。



おそらく『民衆の敵』を作ったスタッフは、大なり小なり、『CHANGE』の内容を意識して、ドラマを生み出したのではないだろうか?

今の時点で考えると、『CHANGE』が放送された時点では、日本では『政治が、良いほうに変わる』という期待があって、このドラマの内容(政治家の二代目ではあるが、全くの素人である人物が、『総理大臣』まで務めてしまうという話)が、もちろん、『そのまま』ではないだろうが、ある程度『幅広い共感』を持って受け取られたであろうと、いうことがある。


このドラマの最終回では、(主人公である)木村拓哉が、テレビを通じて国民一般に『記者会見』を行うというシーンがある。
それは(何分だか忘れたが)かなりの長時間、テレビドラマの場面と、『記者会見の場面』がシンクロしてしまう。
まるっきり、ドラマがテレビの場面を『ハイジャック』してしまうのだ。

通常ならば、いろいろな人々の(この記者会見の放送の間の)反応などが、かならず(カットバックというのか?)交互に映し出されるはずなのだが、そういうカットが一切ない。
木村拓哉自身がまるっきり、主人公の『朝倉啓太』になりきって、『記者会見』を続けるのである。


それを見ながら、私はこのドラマを見るのが初めてではなく、少なくともこの『最終回のシーン』は(放送当時)見た記憶があるということを(ようやく)思い出した。
(少なくとも、このシーンに関しては、結構、話題になっていたように感じる。このドラマ、視聴率は『木村拓哉』のドラマとしては、必ずしも高くなかったようだが、最終回でピークを迎えることができたようだ。)



この2つのドラマ、はっきり言って、どちらも『完全にアンハッピーなエンディング』ではない。
ある程度、(視聴者に)『期待を抱かせる』ような終わり方になっている。

そして、ドラマの内容として考えると、決して、どちらも悪くないと思う。
(視聴率がぱっとしなかった、『民衆の敵』のほうも、放送後、結構、内容が再評価されているという話も聞く。
また、放送当時にあっても、仮に『低視聴率』であったとしても、見ている人たちは、このドラマにそれなりに『共鳴』しながら見ていたのではと感じる。)


この2つのドラマの違いは、放送された時点の『政治状況の差』であろう。


『民衆の敵』のほうは、まさに、小池百合子氏の『希望の党』への期待が『バブル』のように消えてしまう状況(安倍首相の『国難解散』がマジックのように、勝利を呼び込んでしまった状況)と放送時点がシンクロしていた。

だから、この『民衆の敵』というのは、まさに『国民』『視聴者』自身が、移り気であってどうにもならない、という政治状況(『民衆』自身あるいは、『民衆の無関心』こそが『民衆の敵』であるとも言えるような政治状況)のなかで放送された。

だが、このドラマの製作スタッフは、そのような『民衆自身が、<民衆の敵>である』ということも、巧みにドラマのなかに織り込んでしまった。
(もっとも、そこが果たして、ドラマとして一貫性があるのか?という疑問にもつながる。主人公の言っていることが、いつの間にか、『視点』とか『次元』が変わってしまって、急に『りこうになってしまった』ことに違和感がないでもない。それは、『CHANGE』についても言えることだが…)。


それに対して、『CHANGE』のほうが、持っている『教訓』ないし『限界』と『毒』がはっきり見えてくるのは、むしろ、日本における民主党政権の『崩壊』(そして、安倍政権の『復活』)がどういう要因によるものなのかが見えてきてからだろう。

つまり、2012年以降になって、初めて(あるいは改めて)『CHANGE』というドラマのメッセージがどうなのかが、考慮の対象になりうるようになった。
(もっとも、テレビドラマをそんなに『長い視野』で見たり、評価するような『評論』の文化が今の日本にあるのかは、やや疑問であるが…。)


今の時点で言えるのは、少なくとも『CHANGE』では女性は『政治家』になるべき人としては登場してこず、(象徴的なのは)財務省の官僚出身の『深津絵里』が自身の政治家への道を、『あきらめてしまった?』かのように、『木村拓哉』を支える秘書官(あるいは、彼のもっと長期のパートナー?候補)として登場するということである。

それが、『民衆の敵』では、主役になったのは、(女性である)篠原涼子であり、それを支えるのが『夫』であったり、謎の『御曹司の政治家』=高橋一生であったりするということである。
少なくとも、この10年間にその程度、(ドラマで反映される程度には)日本の政治状況は変わっている。

しかし、そのことが、『本当のこと』としては感じられず、『ドラマという絵空事の上でだけ』という感覚が、『民衆の敵』の視聴率の『失敗?』という結果につながったのではなかろうか?


ここで、ちょっと話が飛躍するようだが、(少なくとも)台湾では、女性の地位がはっきりと向上していて、現在では、『総統』とさらに『その側近でもある=秘書長(官房長官みたいなもの)』の両方を女性が獲得している。
そしてこれは、むしろ、アジア全体で見ると、日本のほうが『女性の地位』が異常に低いと言える。

女性に対する『セクハラ行為』を政権のトップ(安倍首相)のみならず、ナンバー2(麻生大臣)の両方が、事実上、『容認』しているのに政権がひっくり返らない?という状況が続いている。
(まあ、この辺はかなり『政治的な話』なので、『ドラマの話』の間でするのには、ふさわしくないのかもしれないが…。)


いずれにしても、この2つの(10年という歳月を置いて作られた)ドラマが台湾で相次いで放送されたことで、結果として、私としても『日本の政治状況の10年間』を思い起こすことができた。

もしかしたら、台湾においても、『日本のドラマファンの人たち』がこれらのドラマを見て、『日本の女性の10年』を思い起こす(あるいは、『連想』)などして、通常、台湾の人が『あこがれの対象』として見ることが多いとされている『日本の状況』に対して、ややシラケタ思いを感じている(あるいは単に『不可解』『わからない』『ミステリアス』ということかもしれないが…)ような人も出てきているのかもしれない、という気も少ししている。










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