北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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この記事の続きだ。

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これらは、烏山頭(ウーサントウ)ダム風景区でもらったパンフからの写真。
入場料は、一般が200元のところ、『台南市民以外で65歳以上の年齢』ということで120元(だいたい、480円くらい)を支払った。

あと、キャリーバッグをごろごろ転がしていたのだが、この入り口のところで預かってくれた(これは、かなり助かった)。


それでこの広大な地域を(やや無謀ながら)歩き始めた。
もともと、その一部しか回るつもりはなく、帰りはここを(折り返しで)13時10分に発車するバスに乗るつもりだった(それまで、5時間近くあった)。

だが、休む場所(特に飲み物や食べ物などを販売している場所)がかなり限定されていて、時間を過ごすのに結構、苦労した。

それにこの『風景区』というものの案内図。上記のパンフの図も、また『風景区』の入り口に掲げてあった地図(みたいなもの)も相当アバウトなものである。
観光バスや、マイカーなので来た人は良いが、『風景区』のなかで徒歩でウロウロ?している人は、私以外にもそれなりにいて、(年配の人を筆頭にして)総じて『道に迷っている』ような感じの人が多かった。
(多分、カーナビなどでは、道がわかるようになっているのだろうけど…。)


まず目指したのは『八田與一起念園区』というスペース。
ここは、『風景区』の入り口から比較的近いのだが、何と開園は9時から。
ということで、アイスキャンデーみたいなものを買って食べながら、開園を待った。

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ここは、もともとここ単独の入場券売り場などもあったようだが、どうやら来園者が少ないので先ほどの『風景区』の入り口に売り場が、統合されてしまったようだった。

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八田與一氏や他の日本人職員の住居が残されていた。その一部は、中に立ち入ることもできた。

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この日は、5月6日だったこともあり、鯉のぼりなどが掲げられていた。

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これは、八田氏の妻の外代樹(とよき)さんの像。彼女は1901(明治34)年生まれ。

與一と同様、金沢の出身である。16歳の時に見合い結婚(この時、與一は31歳だという)、そして結婚後すぐ台湾に渡り、最初は台北に、後に烏山頭にわたり、8人の子供を育てたという。

烏山頭ダムは、1930年に完成したが、八田與一は、1942年に陸軍に徴用されてフィリピンに向かう途中、乗船の大洋丸が米潜水艦の攻撃を受け撃沈されて亡くなった(56歳)。

外代樹夫人は、敗戦を迎えた1945年9月1日、身辺を整理し、遺書を残して、夫が建設した烏山頭ダムの放水口に身を投じている。
この日は、25年前の1920(大正9)年、烏山頭ダム工事の着工がなされた記念すべき日だったという。
彼女は、まだ44歳だったはずだ。


私は、昨年3月から台中市に住むようになるまで、八田與一のことはほとんど知らなかったように思う。
(台湾には、20年近く前にも一度、来たことがあったのだが…。)

台湾では、(中国大陸から離れた)台湾自身の歴史を見直そうという風潮が高まるようになってから、中学生向けの『認識台湾 歴史篇』などの教科書が編纂されるようになった(1997年)。

そこに、八田與一の業績が詳しく記されるようになって、八田與一は台湾で最もよく知られている日本人になったようだ。


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これは、『絆の桜』という元首相の森喜朗氏の名前が刻まれた石碑である(正直言って、日本の首相のなかでは、あまり好きな人ではないほうだが…。とは言え、日本国の元総理大臣として、名前を刻んでいることは間違いない)。

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この石碑のそばで、観光客(台湾の人たちのようだった)が記念写真を撮っていた。

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その後、かなり歩いてこれは、烏山頭の貯水池が見えるところへ登っていく道である。

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ものすごく広い。遊覧の船まで走っている。
烏山頭ダムは、東京の郊外にある村山貯水池(狭山湖)にも似ているという。


ただし、堤防の長さは烏山頭ダムのほうが、村山貯水池の2.2倍あり、底部の面積は3.6倍あるという。
烏山頭ダムは1930年完成だが、村山貯水池は1927年に完成している。


このダムの端にまで行くと、旅客サービスセンターとか、烏山頭管理事務所などあって、それなりに飲食を提供する場所のように感じるが、とても歩いていく気はしない。
(他方、観光バスなどでそちらに向かうのが、幾つも走っていた。)

ということで炎天下を歩いていたのだが、日射しが強くて、あわや日射病になりかかるような状態になっていた。
(後で、気が付いたら、日焼けもかなりしていた。)

どうやら、台湾の南部では5月というのは、もはや『夏』ということらしかった。
(つづく)











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