北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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この記事の続きだ。


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この記事は、もともと上記の本についての感想のようなものである。
ところが、昨夜(18日)、こんな本も読んでしまった。

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これは、保阪正康著『60年安保闘争の真実 〜あの闘争は何だったのか』(中公文庫)というもの。講談社現代新書から出された『60年安保闘争』(1986年刊)を改題、加筆して文庫化したものだという。

沢木耕太郎の『テロルの決算』には60年安保の経緯などはほとんど書かれていないのだけど、保阪氏の本を読んで、改めて60年安保について考えた(というか、以前の乏しい知識を思い出したりしていた)。


保阪氏の著書でうかがえることは、60年安保において、岸政権の側がいかに日常的に暴力団と区別がつきにくいような、いわゆる『右翼』と癒着し、これらをさまざまな場面で使っていたかということである。

例えば昭和35年(1960年)に5月19日には、安保特別委員会において強行採決をするために、岸政権の側は、清瀬衆議院議長に国会内に500人の警察官の導入をさせている。
(なお、清瀬氏というのは、『東京裁判』=極東軍事裁判において、日本側弁護団の副団長や東条英機元首相の主任弁護人などを務めていたことが知られている。)

この警官隊導入を梃子として、特別委員会と(翌20日午前零時過ぎの)衆議院本会議での強行採決が行われ、安保条約は衆議院で可決された『形』とされた。


それだけでなく、清瀬議長は、19日の深夜の本会議で、いったん『会期延長』の強行採決を容認し、その後、20日午前零時過ぎに再開された本会議で、安保条約と関連法について『起立多数』による可決を決めて行った。
しかし、清瀬議長が『会期延長』を宣言していた時に、まだ議長室の隣室では、警察官たちによる(抵抗する)社会党議員のゴボウ抜きが続行していたというから、あきれてしまう。


仮に社会党議員のなかに、本会議で反対の意思表示をしたいとする者がいたとしてもその『意思は警官隊によって制限されたことになるからだ』と保阪氏は書いている。
まさに、『平和安全法制』の時に見られたような、異様な『強行採決』に向けた作戦の考え方は、この岸内閣の『やり口』から続いていたものだといえる。


しかも、この日には警官隊が国会内に導入されただけではなく、『暴力団』あるいは『右翼』風の人物が、自民党の秘書団と称する者たちのなかにいて、『おれは殺しを頼まれたことがなんどかある』と社会党秘書団を脅かす者もいた、という。



また、この昭和35年(1960年)というのは、福岡県から熊本県に広がる三井三池炭鉱で大きな労働争議が勃発していた時期でもあった(前年の1959年からスタートした)。


三井鉱山側は、石炭から石油へのエネルギーの転換を理由に(実際は、総評の主力部隊の一つであった炭鉱労働組合の骨抜きをも狙ったものとされている)、6000人の希望退職を含む会社再建案を提示し、退職勧告に応じない1278人に対して、1959年12月には『指名解雇』を通告した。


1960年3月17日には、会社側の切り崩しによって、第二組合(分裂組合)が結成され、3月27日には、ピケを張っていた三池労組の組合員・久保清さんが暴力団員に刺殺されている。


さらに、60年安保のほうでは、上記の強行採決以降の(岸内閣の)『民主主義の破壊』に対する怒りの拡大のなかで、6月15日に、東大の女子大生・樺美智子さんが国会構内に突入を繰り返す学生部隊(当時の全学連主流派=<共産党から除名された>『ブント』が指導する学生の隊列)の中にいたという。

彼女の死については、学生たちは『警察機動隊による虐殺』であるとし、警察の側は、『衝突のなかの圧死』であるとして、あたかも仲間の学生たちに死の原因があるかのように主張している。


この60年安保闘争の全学連主流派(ブント)の戦い方については、いろんな見方があり(共産党は、『トロツキスト』=はね上がり分子であると断じた)、私自身も、特に彼らを擁護するつもりはない。
(政治や革命に対する考え方は、未熟なものであったと思う。ただし、共産党が正しかったと考えているわけでもないが…。)

だが、こうした現場での激突の背後に、次のような事情があったことも事実である。
保阪氏は、上記著書に、『逃げ回るだけのデモ隊への右翼の暴力に対して、警官隊の警備が遅れたのも事実で、それは警官隊が右翼の暴力を容認しているように見えた。そのことがデモ隊をいたずらに刺激することになった。』とも書いている。


沢木耕太郎の『テロルの決算』には、次のような記述がある。

『敵はデモ隊という、はっきりした姿で眼の前に存在していた。
二矢はますます狂暴になっていった。さすがの福田進が、もうそのくらいでやめておけというほどだった。そういうと、二矢は笑いながら、
「もう一人二人、頭をぶち割ってきます」
といって樫の棒を持ち、デモ隊に突撃していった。』


『テロルの決算』では、どちらかというと、山口二矢と(この本の記述によれば)実際は社会党のなかでも孤立していた(?)浅沼稲次郎という二人の人物の人生が『交錯する地点』として、浅沼稲次郎暗殺事件をとらえている。
しかし、あまりそのように、『ドラマチックな記述』をすれば逆に、60年安保全体に漂っていた『暴力の風潮』(ある意味では、全学連主流派のそうである)、そのなかで容認されていた『テロルの衝動』の全体像が、描かれなくなってしまうおそれもあるような気がしてきている。

実際、『テロルの決算』はどこまで、それを意図しているのかはわからないが、『60年安保闘争』そのものについては、記述を最小限にとどめているような印象を受ける。

今回の記事は、いわば保阪著『60年安保闘争の真実』によって、少し横道?を強いられたような形になっている。

しかし、この本を読んで改めて、安倍首相が今やっていることが、祖父=岸信介が当時やっていたことと『似ている点がいかに多いことか』について、認識を深めることができた。
安倍首相は、意識してか無意識なのか、祖父=岸信介の『末路』を自分自身も、再現(再演?)しようとしているかのように見えてならない。
(つづく)






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