北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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前回の記事(彩虹眷村を訪ねて)の続きみたいなもので、現在、住んでいる台中市内の観光スポットを紹介する。


前回紹介した彩虹眷村(虹の村)と並んで、日本人観光客が利用するバスツアーで良くいくところがこの場所のようだ。

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ここは『宝覚禅寺』という。
最寄りのバス停から1本で行けることが判明した。
在来線の台中駅あたりからでも、さほど遠くない。

昨年、一度、この辺に出掛けているがそのときは、祭礼か何かやっていて、屋台や人の群れでいっぱいで何となく、入りそびれていた。
先日、入ってみたが(平日だったせいもあるが)、ほとんど人がいない。それにさほど広くもなかった。

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ここが入り口。

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こちらが本堂。

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この本堂、よく見ると一回り大きな建物の中に納まっているという不思議な構造になっている(これは、建物を横から見たところ。何となく本堂のご本尊を真正面から写真を撮るのはいけないような気がしてしまい、こんな撮り方をしている)。

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こちらが、金ぴかの大仏。弥勒大仏というものらしい(台中大仏と呼ばれることもある)。1969年竣工だという。さほど古いものではない。
ただし雄宝殿(本堂のことをいうのだろうか)は1927年に起工し、3年後に完成されたものだと『図説 台湾都市物語』(王惠君・二村悟著、河出書房新社、2010年)には書かれている。

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こちらは、大仏の背中の様子。卍のマーク(ナチスとは異なる)がたくさんあって、何となくお灸の跡のようにも見える(これは、『丸窓』だという)。

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そのそばには、こんなものもある。
いかにも、くつろいだ感じだが、傍らには碑が立っている。

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2つ並んでいるが、後者は、日本文のようだ。
『微笑む』となっていたり、その他『花』の次の文字も、ひらがなみたいだ。

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ここは、仏教寺院なのだが、敷地内には、日本統治時代に台湾中部で亡くなった日本人の遺骨安置所もあった。
(後でガイドブックを見ると、『日本軍として戦った台湾人の慰霊碑』もあると書いてあったが、それがどれかはわからなかった。)

この『遺骨安置所』には昭和36年(1961年)に掘られた碑文も彫られていて、それには、『台中市、台中県、彰化県、雲林県、南投県』(いずれも、台湾中部の地名)で亡くなった日本人の遺骨を納骨した、と記されていた。

『在中華民国日本国大使館』とあったが、もちろん、その後の『中華人民共和国との国交回復』『中華民国との国交断絶』によって、今、『日本国大使館』は台湾には存在していない。












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