北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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この記事の続きだ。
昨日(1日)、本記事の『前篇』を書いてから、やや事情が変化してきた。
というのは、本日(2日)は友人と新宿で会う予定があり、また、明後日(4日)には、成田空港からLCC(格安航空会社)の便に乗って再び、台湾に戻る予定になっている。
そのため、さすがに明日あたりは、カミサンからは部屋の掃除に協力するようにとの『指示』が出ている。
(それで、目標?としていた、今回の『一時帰国』で10本くらいの映画を見るということは達成できそうにない。それどころか、さんざん騒いできた台湾映画のほうも1本見ただけで終わることになりそうだ。)

このように日程がきつくなっているのは、一つには『ワールドカップ』の日程のせいもある。
私も、中国にいたころは、ワールドカップあるいは、なでしこの試合などを『人並み』に応援してきた過去?がある。

しかし、今回のように、(トランプ、金正恩もどきの)安倍政権が明らかに『サッカー』の政治利用をはかっている状況では、異なる行動をとらざるを得ない。
私は、今夜(3日未明)も、日本代表チームの『逆応援』をするつもりである。

もちろん、放っておいても、負ける可能性のほうがはるかに高いであろう。
しかし、どのような負け方をするのかが問題である。
また、『神風』とやらが吹いて、日本チームが勝ちでもすれば、それこそ、『国民栄誉賞』の連続第4弾が発せられることだろう。
(もっとも、安倍政権が『宿願』としているらしい、『韓国に負けない』『韓国と並ぶ成績』をあげるためには、あと2回、『神風』が吹かなければならず、それにいちいち、対応するほど、(どんな『神様』かしらないが)『神様』も暇ではないだろうけど…。)

さて、記事の続きである。

私は、安倍政権の方向性が、習近平や金正恩と同じであると主張している。そして、それが国民の熱狂的な『信仰的後押し』を手掛かりに進めようとしている点では、トランプもまた同じである。
不思議なことに、安倍首相を応援しているらしい諸君は、この点については私の書いていることを批判しようとはしてこない(ようだ)。

イメージ 1


前回の記事で私は、この映画のチラシを紹介した。

イメージ 2


このチラシの裏面は、上記のようになっている。
<あなたの知らないもう一つの北朝鮮>というタイトルでこんなことを書いている。

<“鎖国”のような経済制裁下の北朝鮮。暮らしは慎ましく人々の表情は素朴!
お金も物も限られ必要性からどこか懐かしい循環型社会が出現!?>
こんなリード文が掲げられている。

これは明らかに、このチラシの表にあった、<これはプロパガンダか?><それとも現実(リアリティ)か?>という見出しとは、一線を画した表現である。
(簡単にいうと、このようなチラシの作り方で、少なくともこの映画を宣伝・販売している側が、『プロパガンダ』に加担していることがうかがえる。)

この映画には、『“普通”の暮らし』を送っていると称する人々が出てくるが、果たして彼らは本当に、『普通の人々』なのか?


例をあげていこう。
このチラシに出ている一人、彼はチラシのなかでは、『美しい女性を描く公務員画家』と紹介されている。
チラシには、『公務員画家の男性は、美しい女性を描くことを楽しみ、表情は明るい』とある。また、『気分が乗らない時は絵を書かずに本を読むよ』(原文ママ)という彼の発言も紹介されている。

しかし、私が、映画のなかで見たこの人物の姿は、異なるものである。
工場現場で女工を相手に、いろいろ注文を付けながら人物デッサン?に余念がない、偉そうで不機嫌そうな男性が映し出される(それが、この人物である)。

彼は女性のポーズにいろいろ注文を付け、同時に『スマイル』を浮かべることを強要する。
そして、彼は絵を描きながら彼女の写真も、記録用として残す。

その笑顔は、どこか『無理強い』されたとしか思えないようなこわばった笑顔でしかない。
しかし、彼がその後、どこか別の作業場で急ピッチに仕上げてしまった絵画(油絵だろうか)には、別人の女性の顔が描かれている。

その絵は、5日で仕上げたのだと彼はいい、『朝鮮風の速度戦』(少し表現は違っているかもしれない)だと自慢する。

そして、顔を別人に変えたのは、『もっと美人がいたから変えた』『より美しいものを採用するのは、当然のことだ』と悪びれた様子はない。

そして、彼はこのようなことをするのが、『芸術』であると思っているようである。
『芸術』には、多様な解釈があるかもしれないので、このようなインチキな定義を述べる者がいても不思議はないだろう。

要するに彼のやっていることは、『資本主義国』においてスポンサーの意向に合わせて、CMを制作する人々と変わらないのかもしれない。

しかし、明らかに北朝鮮の指導者の『好み』を反映したかのような『美人』『不美人』の選別の仕方(『不美人』を『美人』と差し替えることが重要と考えている)、そしてそれを『芸術』であると称してためらいのない、この人物の様子にこの社会の『腐敗』と『堕落』が垣間見える。
(『資本主義国』のスポンサーの奴隷たちは、もう少し、『屈折』をもって、同様の作業をすることであろう。)


こうした男の『発言』におそらく『嘘はない』ことだろう。
それは、彼が自分のやっていることを少しも『疑っていないから』である。
この映画に出てくる人たちは、『ピョンヤン』に住む、ごく限られた選ばれた人たちをのぞいても(他の地域に住んでいる人も)、決して『普通の人々』ではない。

そして、彼らは、決まってある種の話題に対して、『ためらい』を見せている。
それは、どのようにして配偶者と知り合ったか、あるいはどのようにして、その職業についたのかといった質問である。

彼らは、おそらくある種の『割り当て』によって、職業を得ているののである。配偶者についても、『自由恋愛』は少なく、『見合い』で結ばれている人たちが、登場人物には多かったように感じた。

また、彼らは『将来、どんなことをやりたいですか?』という質問にも『ためらい』を見せていた。それは、『個人の希望』などが基本的に優先されることはありえない、という『体制のしばり』を感じさせる。

さらに、これらカメラの前の引き出された人々とは別の、『集団としての労働者』の姿には、明らかに『ある種の諦観』『やっているふりを漂わせている人の姿』が必ずといって良いほどまじっていた。
北朝鮮は決して、『理想の社会』ではない。

むしろ、自分なりに『理想を求める』ことを断念させられた人々が構成している社会であると言って良い。
こうした基本点での『立ち位置』は決して譲ることはできない。

その見地の修正を迫るようなファクトは、これまでのところ、発見されていない。
これが、私がこの映画を見て『発見』したことである。










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