北京老学生・日本から台湾へ

2013年春、4年半ぶりに日本に帰国。2017年春、今度は台湾・台中へ。

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『働き方改革』法案は、衆議院を通過して、参議院に回ってきている。

安倍内閣では、さすがに、この『働き方改革』法案だけでは、(経済を成長させる)『成長戦略』を立案している『ふり』もできないと考えてか、今度は『カジノ法案』(統合型リゾート実施法案)も重要法案で、今国会で通すのだといきまいている。
(この法案は、日本人がカジノを利用しにくくするための『制限』を付しているので、『賭博中毒者』を拡大する心配はないなどと政府は言っているが、怪しいものだ。

どうも、安倍内閣は、経済がうまく展開できないあせりからか、『筋悪』の法案ばかりを通そうとしていると感じる。)


その前に、『働き方改革』法案のほうだが、これに含まれていて、最大の争点化している『高度プロフェッショナル制度』については、先日、NHKの『クローズアップ現代+』で取り上げ、賛成・反対両派の議論の模様を生中継する(時間は非常に短いが)などの状態になっている。

このように関心は高まっているが、どうにも内容が分かりにくい。
私も、前の記事に書いたように、この『法案』の条文もチェックしてみたけど、分かりづらい。
(というか、わざとわかりにくくしているのではないか、という気がする。)



というのは、この『高プロ』制度というのは、『労働法』のなかに、『労働法を破壊する時限爆弾』を仕込んだもののような気がするからだ。

一番のポイントは、この『高プロ』は、『成果で労働者を評価する制度』などという宣伝文句が付けられているが、そんなことは、『法案』のどこにも書かれていないということだ。

書かれているのは、『高プロ』制度が適用されると、<「労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定」が適用されなくなる>ということだけである。
(つまり、運よく)『理解のある経営者』に恵まれれば、この制度が善用される可能性が『ゼロ』とは言えないが、そうでない場合、この制度は、広く害悪を及ぼす危険性があるということだ。


これはどういうことかと考えていたら、自分自身が、これまでどういう『労働の仕方』をしてきたかを思い出された。

私は、大企業や中小企業で、雇用されたのちに、1995年に(当時務めていた)中小企業を退職して、(当時の『流行り言葉』で言えば)『独立』した。

これは、当時、『中小企業診断士』という資格(現在では、国家資格になっている)を取得して、一定の年数がたっていたことと関係していた。


この資格だけで、食っていけるとはなかなか思えなかったが、当時、勤務していた中小企業(というか零細企業)で、社長との折り合いが悪くなってしまい、(ある意味で)『独立せざるを得ない』状況になってしまったからだった。
(1995年という年は、阪神淡路大震災やら、地下鉄サリン事件などが起きて、ある種、騒然とした年であったことも、その背景としてあった。
つまり、『いつどうなるか分からない』世の中だから、思い切った行動をしても『許される』?ような気分が自分のなかでしたからである。)


だが、勢い込んで『独立』して、『経営コンサルタント』を自称してみても、そもそも私自身に、そのような経験が十分、あったわけではない。
(第一、性格的に果たして、そのような職種が向いていたのかという疑問すら、今となってはわいてくる。)

そこで、何年かすると、今度は『中小企業診断士』の資格取得のための『予備校』(もともとは、税理士のための専門学校から出発した学校法人)のために、教材を作ったり、あるいは時には、教壇にたって教えたりするのが、自分の収入のかなりの部分を占めるようになってしまった。
(どちらかというと、『ミイラ取り』が『ミイラ』になってしまったような気分だった。)


この時、体験したのが、『業務委託』と呼ぶべきなのか、つまり自営業者として『業務』(教材作成あるいは授業の実施など)を請け負うという仕事である。

これは、表面的には、『労働者』としての雇用契約と似ているが、その『契約』としての性格は異なっている。
(これは、通常、『フリーランス』などといって、『自由』で『気楽』な働き方のように宣伝されることが多いが、全くそうではない。
いつ仕事が入ってくるかわからず、また、仮に自分が病気になっても、何にも保証のない『厳しい働きかた』である。)


そうこうするうちに、この『業務委託』と『雇用契約』の中間のような形態で、いつの間にか働くようになってしまった。
(これが、数年近く続いたと記憶する。)

今、考えてみると、あの仕事の仕方を(さらにもう少し)『ひねった形』が、今、言う『高プロ』の働き方ではないか、という気がするのだ。
そこで、ここにどのような『問題点』がありそうか、自分の記憶をたどりながら、書いてみたいと思う。
(つづく)










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『産経新聞』の毎週土曜日の紙面は、元『週刊文春・編集長』という経歴を最大限の売り?にしているらしい花田紀凱(かずよし)氏の『週刊誌ウォッチング』というノーテンキなコラムを読むのを楽しみにしている。

この人は、いつも大抵、『週刊文春』と『週刊新潮』の記事を取り上げる。そしてほとんどの場合、『週刊文春』の記事に軍配をあげる。

そういうことをしながら、絶えず自分が、『週刊文春』元編集長であることをチラチラさせている。
(なお、ネタが尽きると、時々、『ニューズウイーク・日本版』の記事をほめている。)

これは、大企業?を辞めた会社員が、中小企業に移ってからもいつまでも、大企業時代の自慢話をしているようなもので、あまりみっとも良いものではない。


それが最近では、少し(というか、かなり)論調が変わっている。
その原因の一つは、『文藝春秋社』内部で内紛が起きていることのようだ。
(最終的には、6月21日の株主総会、取締役会で決着がつくようだが、30日には、『松井清人社長の退任、中部嘉人常務の社長昇格』の人事が内定したと発表している。)

いろんなところに、やれ松井社長が『独裁的な運営』をしているだの、『セクハラ』をやっているだの部分的な情報が流出しているようだが、どうもよくわからない。
そのバックに、松井社長の『安倍嫌い』の体質?があったとの説も流れている。

例の(安倍首相お抱えの『ジャーナリスト?』)元TBS記者の山口敬之氏が起こした伊藤詩織さんに対する『準強姦』事件にからんで、詩織さんの手記『BLACK BOX』が昨年(2017年)10月、文藝春秋社から発刊されたが、それは、実は松井社長自身が担当編集者となって、文藝春秋社から発行したものだという話が、一部のメディアに流れている。
(それに対して、私の印象では、文春砲=『週刊文春』がこの事件に関して、積極的に切り込んでいたという記憶がない。むしろ、『週刊新潮』が積極的だったと感じている。)


仮にこのような事情が背景にあるのであれば、(また松井社長に『セクハラ』の事実があるのならば、それはそれで指弾されなければならないが)この『文藝春秋社の内紛劇』は違った様相を呈してくる。


まあ、それはそれとして、今日の花田氏のコラムの一部を紹介する。
冒頭は、こうなっている。

<それにしても、このタイトルはひど過ぎる。
『週刊文春』(6月7日号)の「嘘つきは安倍晋三の始まり」。

『文春』らしくない。批判するのはもちろんいい。しかし、相手は仮にも一国の首相、そこには十分ある根拠と節度が必要だろう。>

普通の人が、この問題について論じるのであれば、このような『感想』を持つ可能性はある。
(ただし、私は近年の『週刊文春』を基本的に信じない。『月刊文藝春秋』のほうには、これまで時々、読むべき記事があったと感じている。
そのような『文春砲』=『週刊文春』の書いていることなど、あまりまともに受け止める気はしないのが、率直なところだ。)

花田氏の文章は続く。

『たとえば昭恵夫人付職員の谷査恵子氏が財務省に問い合わせの電話をかけた件。』
『こんなことは下は区議会議員から、上は国会議員まで、みんなやっている。』
『籠池夫妻があまりにしつこいから、人のいい昭恵夫人が谷氏に頼んで「優遇制度」について問い合わせをした。財務省側は、「それはできません」と断った。
ただ、それだけのことではないか。何が問題なのか。』

このように花田氏はおっしゃっているのである。

もしそうならば、さっさと昭恵夫人が『記者会見』を開くなり、あるいは国会に堂々と出てきて、自身の釈明をすれば良いだけの話である。
ところが、それが全くできていない。
それどころか、財務省で『文書改ざん』がなされていて、しかもまだ『隠蔽している』文書があるかもしれないという。
(麻生大臣が、しゃしゃあとそう述べている。)

文書の改ざん・隠ぺいに関連して、『職員の自殺』まで起きている。


しかも、しかもである。
このようなしおらしいことを、本日(2日)の『産経新聞』にお書きになっている花田氏が、実は片方で、次のような雑誌を『責任編集』されているというのだから、一体、どうなっているのだろうか…。

これは、非常に不可解な感じがしてしまうのだ。

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これは、1週間前、5月26日の『産経新聞』に掲載された『月刊Hanada』の最新号の広告(の一部)である。
煽情的な見出しがならぶが、これらのタイトルは、『筆者の方々』が考えたものではなく、『編集者』が付けるものらしい。

(まあ、これはスーパーの『安売りチラシ』の文面みたいなものと、考えれば良いのかもしれない。
つまり、一つ一つの文章は、『商品』に過ぎない。それをどういう『タイトル』を付けてアピールするかは、編集者の勝手?である。

こうしたことを嫌う、執筆家はこのような雑誌には、自身の文章を掲載しなくなる。
まあ、言葉を大切にしたい人なら、そうしたいだろう。
これは、『保守』の方でもというより、本当に『保守』の方であればこそ、そういう態度をとっているようだ。)

このような『見出し』の付け方では、本日のコラムに醸し出されていた、『人のいい昭恵夫人、気の毒じゃない』というような(しおらしい?)ニュアンスはほとんど見られないと思うが、どうなのだろうか?











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