屯倉風信−《本》…《旅》…《回帰》

人生の持ち時間は少ないが、願わくはいつの日か、慈悲と智慧のあわいに寂かに着地せん……

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[居士の仏道・最初の解脱体験]──ドストエフスキーの『白痴』の中にこういう文章がある。
 
 《さまざまなもの思いのうちに、彼はまたこういうことも思ってみた。彼のてんかんに近い精神状態には一つの段階がある。(ただし、それは意識が醒めているときに発作がおこった場合のことである)それは発作の来るほとんどすぐ前で、憂愁と精神的暗黒と圧迫を破ってふいに脳髄がぱっと炎でも上げるように活動し、ありとあらゆる生の力が一時にものすごい勢いで緊張する。
 生の直覚や自己意識はほとんど十倍の力を増してくる。が、それはほんの一瞬の間で、たちまち稲妻のごとく過ぎてしまうのだ。その間、知恵と情緒は異常な光をもって照らし出され、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、諧調に満ちた歓喜と希望のあふれる神聖な平穏境に忽然と溶け込んでしまうかのように思われる。》(ドストエフスキー『白痴』米川正夫訳・ネット掲載からの引用)
 
 ──ドストエフスキーが直截簡明に書きとめたてんかん発作直前の歓喜に満ちた意識の状態には、先に引いた玉城居士の「解脱」体験と共通するものがあることは明らかであろう。比較しやすいようにもう一度、『瞑想と経験』の該当箇所を引用しておく。
 
 《(前略)その混沌の袋が突然に爆発したのである。同時に悶えも苦しみも虚空にけし飛んで、自己も世界も万物も一つになってしまった。驚くべき忽然の大転換。ことばでは云い表せない。カーッとなった全体感、一如感、実感。世界も我も、一切が吹き抜けていた。「天地、我と一体」という語はあるが、天地もなく我もなく、ただ素っ裸の虚空が踊り出ている。大生命の露堂々たる一如界。瞬間であると同時に生々しいほどの永遠。(後略)》(玉城康四郎『瞑想と経験』春秋社・18頁)
 
 ──ここで筆者が表明しておきたいのは、この二つの文章に見られるような圧倒的な多幸感や一如感、あるいは爆発的な力強さを伴った平安や、瞬間と永遠が一つに融け合ったかのような意識(無意識の境域をも含めた)の状態は、確かに大脳生理学的な境位(レベル)の問題として説明ができそうだ、ということである。
 すなわち従来、不立文字・教外別伝、あるいは直指人心・頓悟成仏などと云い、「悟り」の境地とは言語道断、言語をもって表すことのできないものであるとされてきたその内実は、上記の引用文のなかで玉城居士が赤裸に記したような心身の状態を指すのであり、そのことはドストエフスキーが、てんかん発作直前の意識の状態を記した文章から類推できるように、大脳の器質的・生理学的なある種の境位に起因すると考えることによって、「悟り=解脱」の体験を、より具体的かつ鮮明に展望できるのではないかと思われるのである。(ちなみに、玉城居士が記した「心身一如感」が、真に悟りの内実を指すものであろうことは、道元の解脱体験の識語が「心身脱落」であったことからも推測できる。)
 
 あるいはこのような言い方は、玉城居士とドストエフスキーに対して、引いては「解脱」体験そのものをも貶めるように受け取られるかもしれないが、決してそうではない。何故なら、大脳生理学的な境位の変化が、思考や感覚や意志といったヒトの身心状態を様々に変化させるものであることは、紛れもない科学的かつ実感的な事実として断定できるのであり、しかもそうした心身の状態をどのように受けとめ、それを如何に自らの実存の問題として展望させてゆくかという問題は、一に我々の主体性に関わってくるものだからである。
 すなわち、ドストエフスキーであれば、自らのてんかん発作という「疾患」を、人間の複雑怪奇な内面性への洞察や、その根底に横たわる生きる意志の問題として捉える契機となし得たのであるし、玉城居士の場合には、仏教における信仰と悟りを求める「発心」と「精進」の積み重ねがあればこそ、ある種の生理学的な境位が産み出されもし、さらにそれを「心身一如」の解脱体験として自覚することができたわけである。
 
 さて、筆者は平成18年の暮れ、玉城居士の上記の文章を読んだとき(その渦中で筆者自身ほんの少しばかりの解脱感のようなものを体験したが、そのことは後に記す)、すぐに『白痴』におけるムイシュキン公爵のてんかん発作に触れた部分を想い起こしたものだが、その部分をここで引用しようとして、手元に『白痴』の文庫本がないことに気づき、やむをえずネットで検索してみたところ、「ドストエーフスキイ全作品を読む会『読書会通信』2003.12」というサイトにヒットした。上記の米川正夫訳の引用文もこのサイトから転載したものだが、そこで紹介されている「ドストエフスキーのてんかん:ある症例との比較」という論文は、ドストエフスキー自身がてんかん発作直前に味わった多幸感や明晰な意識の状態を、脳神経外科の立場から考察した非常に面白いものでもあり、筆者のいう「大脳の器質的・生理学的な境位」に関する格好の解説と思われるので、少し長くなるが紹介しておきたい。
 
 まず論文の論題や著者については次のような記載がある。
 《【ドストエフスキーのてんかん:ある症例との比較】
 論 題:Dostoevsky's Epilepsy: A Case Report and Comparison
 著 者:Howard Morgan, M.D.
 所 属:Methodist Hospital, Lubbock, Texas
 掲載誌:Surgical Neurology 1990;33:413-6.
 (下原康子 訳)》 
 (「ドストエーフスキイ全作品を読む会『読書会通信』2003.12」というサイトに掲載された論文より引用。上記の米川正夫訳による『白痴』の引用も同じ。)
 
 ──これによるとこの論文は、テキサス州ラボックにあるメソヂスト総合病院に所属している医学博士ハワード・モルガン氏が、1990年に「脳神経外科」という医学誌に発表したものを下原康子という方が訳出したものであるらしい。論文の冒頭でモルガン氏は、ドストエフスキーの小説におけるてんかん症に関する記述と、その臨床への応用についてこのように述べている。
 
 《ロシアの作家ドストエフスキー(1821〜1881)はその稀な症状のために「エクスタシーてんかん」と名付けられた側頭葉てんかんにかかっていた。彼はムイシュキン(白痴の主人公)の創造に自らのてんかん体験を利用している。最近、側頭葉脳腫瘍からエクスタシーてんかんを来たした患者を経験したので、ムイシュキンとの比較を試みた。
 ドストエフスキーを読むことによって、てんかん患者の内面に対する洞察力が得られた。芸術作品が実際の診療に直接的に有益であったという一例である。》
 
 ──ドストエフスキーが書きとめたような多幸感を伴うてんかん発作が稀な症例であることが記されれているが、このことから、発作直前の生理学的な境位に起因するある種の状態を、ドストエフスキーが作家としての主体性のもとに受けとめ、その主体性の表出として言語表現を行ったものであることが推測される。いいかえれば、他にもそのような症状を持つ患者は多くいたかもしれないが、その症状を人間の内面洞察の機縁として受けとめた者は殆どいなかった、ということになろうか。
 モルガン博士はこうした「稀な症例」をもつ患者を診察したことがあり、この論文で、ドストエフスキーがその作品に書き残した発作直前の状態との比較を試みているわけである。
 
 《ここでは、稀な症状をもつてんかんの、1世紀以上隔てた2つの症例を比較する。第1の症例はムイシュキンである。第2の症例は最近、著者が経験した脳腫瘍の患者である。
 ドストエフスキーは世界で最も偉大な作家の一人であり、中でも『罪と罰』(1866)と『カラマーゾフの兄弟』(l880)は、異常心理の研究における先駆的作品として評価されている。
 エクスタシーてんかんは、極度の愉悦、歓喜、満足感を伴う側頭葉発作の症状と定義され、2つの型が見られる。第1の型は、突然、意識が低下すると共に、強烈で不可解な歓喜の感覚が起こるもので、この場合は他の発作は伴わない。第2の型は全般てんかんあるいは大発作に至る直前に前兆としてエクスタシーの感覚が起こるタイプである。
 エクスタシー発作ならびにエクスタシー前兆はてんかんの症状の一つである。しかしながら、神経病学教科書に言及はなく、症例報告も稀である。PenfieldおよびKristiansenはエクスタシーてんかんに言及しているが、1回のみである。医学論文での報告は1ダースに満たない。
 1980年にイタリアのボローニャでCirignotta らが報告したエクスタシーてんかんの症例はよく記録されており、側頭葉に焦点を持つ患者の発作中の脳波が完全に記録されている。通常、医学文献では、エクスタシーてんかんをドストエフスキーてんかんと名付けている。数少ないエクスタシーてんかんの報告を見る限り、脳腫瘍によって引き起こされた例はみあたらない。》(同上)
 
 ──「エクスタシーてんかん」を医学文献で「ドストエフスキーてんかん」と名づけているとは初耳だが、それだけ「極度の愉悦、歓喜、満足感を伴う」発作という症例が稀なものであることを示しているのだろう。また「エクスタシーてんかん」は「側頭葉発作の症状と定義」されていて、それには二つの型があり、ドストエフスキーの場合は、「大発作に至る直前に前兆としてエクスタシーの感覚」が起るタイプであることが述べられているが、明記されていないにせよ、第1の型である「エクスタシー発作」よりも、第2の型である「エクスタシー前兆」のほうが重症であり、それだけにエクスタシーの強度も強い、と解釈してよさそうである。
 
 (つづく)

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