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仙台入りしたら東京よりさらに激しい大雨。
寒さを警戒し、予定していた新しいホテルがフローリングだったために、プラザに変更。ちょうど到着が大雨と夕方のラッシュ(仙台の渋滞はホントに凄いです)にぶつかり、タクシーがなかなか進まないが、それでも意味なく模型店立ち寄り、予定ホテルで荷物受け取り>プラザにチェックイン、またタクシーで渋滞のなか会場の県民会館へ。この日は(金曜日)夜の会場リハ。
前回までのリハで、情報過多になるまでお願い事項を重ねていたため、今度はそれが慣熟して、自動的に、すんなり音になるように慣らし運転をするのが重要なことだった。
基本的には通すだけ。
通すだけの練習はオケに座っていると時としてひどく無駄なことに思えるので面はゆいわけだが、だからといって細かいことでいちいち停めていると、本番で流れがなくなる。
こうしたことは外山先生が「第9」のリハーサルを見に来てくださった、いまから思えば非常に貴重な機会に、真っ先に指摘されたことであった。
自分は、それを「練習内容の現像時間」とか、模型で言えば「塗料の乾燥時間」みたいに捉えている。
まあ、ぱっと夕方久しぶりに集まって、とにかく問題なく曲が通ってしまうのだから、やはりオケが本当に優秀なのだ。
一度も食っていなかった牛タンのお店に連れて行っていただき、焼酎飲んで寝る。
翌日GPは14:00.
ここでも、通すこともやめて、軽く練習しておく。塗り重ねないで我慢して乾燥させた塗料が良い具合に定着して、美しい被膜が作られているのに満足。
その被膜や合奏の安定から、また夜中や、広上指揮クラスの年に数回という貴重なレッスン見学をあきらめて行った金曜日の譜読み直しから、今まで考えたこともなかったフレーズのつなぎ方や、ある種の楽句のアゴーギク上の処理が発想されてきていたのだが、それが、指揮の技術と、オケの反応の確約された範囲で可能なのに、おそらく演奏上とても効果のある、「いい演奏」につながる種類のコトガラであることに、自分ながら驚く。
それを実行してみるわけだが、確かに。
「どうして、いままでそんないいことをやらなかったのか?」と思うオケマンもいるのではないか、という気持ちが脳裏を走るわけだが、「いま、思いついたわけで・・」と説明する時間もないし、必要も多分ないでしょう。
今まで、古典の音楽ばかりを自分の中心に据えて指揮してきたし、そういう音楽が最も本質的(ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、バッハ)である、という思いは変らない。しかし、大きなオケを貰うチャンスはなかなかなく、今回のように、非常に重要なブラームス「悲劇的」やスコッチなどに取り組めることは、ロマン派音楽の指揮体験としてとても貴重だった。
ロマン派ならではの、論理的(完全にイン・テンポこそが、ベートーヴェンやハイドンを奇跡的に強力な説得力で推進すると自分は信じている)なだけではない、時間構成の「ゆるさ」や、構成が大き過ぎる故の「構造の強調」も、許されるし、必要なのだった。
時間の流れのなかで音型の記憶が積み重なり、重みに耐えかねて崩壊するような瞬間や、つぎの場面に切り替える照明の変化が決して一種類ではないということ、演奏していて自然にやっているアレを、指揮していてもやればよいのだ、という当たり前のことを、少しづつでも実行できるだけ、充分なリハーサルを重ねてきたという手応えがあった。
まるで本番のようなブラームスができ上がってしまい、心臓が苦しいし汗だくとなるが満足。アクリルの美しい塗膜の上に、エナメルや油絵の具で「音楽がホンモノになるような」塗装を施すことができました。これまた乾燥時間が必要だ。
本番まで、2時間半を残してGP終了、昼飯を食いソファで昼寝。乾燥したら銀や白をさして、完成だ。
18:30本番。大雨だが、結構なお客様であり、あとは、オケのみなさんが驚かず、落ち着いて、楽しく演奏できるように振る、見るばかり。
心配した、ここ数日ときおりよぎった頭痛もなく、快調な気分と体調で最後まで振ることができた。
実は今回一番重要作品と見込んでいたブラームス「悲劇的序曲」の、アマチュアとは到底思えない音の重さ、豊かさ、暗さ、真実味のある「大人な音楽」、難所の低音金管楽器群の卓越、弦楽器の太さ温かさ、木管ソロの孤独な文学性、冒頭からいきなり音楽の全貌を支配してしまうティンパニの「悪天候の暗示」など、望んだものの全てを手に入れることができ、ハイドン、シューベルト、シューマンを振り切ろうとして疾走するブラームスの「疾風怒濤」の遅い歩みと、胸をかきむしる弦楽器のトレモロは今も耳に残る。指揮のせいで最後の和音が合わず、申し訳ない。
グノーのバレ。重要なことは、「悲劇的」の最後の和音から、いきなりパリ・オペラ座に飛ばなくてはならないことだった。
トロンボーンのメンバーが入れ替わっていると言うアマオケならではの出来事が、このチェンジを偶然にも物凄く助けてくれたのではなかったか。
素晴らしいコンマスの横田君の技術、音色、センスが、「ファンタジーとエスプリ」だけを問われ続けるこの音楽を豊かで軽やかな7枚の油絵(タブロー)にしてくれた。フリュート、ピッコロ、クラリネット、やすやすと難しいフレーズを踊る踊り子たち。コントラバスのPizz.が目に見えるようにするPoint(ポワント:トウシューズのつま先)。指揮のせいでアダージョの精気が少し落ち、Fermataのあとに2を振るか振らないか、もっと決心をしておくべきであった。
ハープの加わる最愛の6/8が夢見るテンポになり、幾度も重ねてきた練習の基礎工事に支えられて自由に歌う至福があった。
短い前半、短い後半の音楽会。トークもないので自分には仕事が半分位に思える。
スコットランド、困難な冒頭から見事なアンサンブル。
第1主題が本当に完璧に決まり、ここもしつこくしつこく練習したことがすべて実現されていて感動する。テンポを少し遅くトル、というか、なってしまう、というか、聴きながら、音の行きたい方向に振ろうとすると、そうなる。面食らっている人もいるのかも、と申し訳ない。「この曲本番を10回振ってから初めて振れよ」、という、自分がオケに座っていたら自分に言う、絶対不可能なクレームが頭に響く。
2楽章、楽しく、軽やかに、生き生きと。よくぞこの難しい楽譜をこの雰囲気で。もう、アマチュアオケという感覚はなく、運転をセーブしたりなにかを諦めたりすることが全然ない。余談だが、メンバーと話していると、若い方の多くはオケを3つも4つも掛け持ちしており、交響樂プログラム3つくらいを同時進行している人もいる。プロそのものではないのか?
3楽章。
突然、この長い旋律の正しいテンポをみつけるためには、「歌う」ことが必要なのだという啓示に打たれる。
歌詞を、適当な、ドイツ語の、春や恋や自然や邂逅や別離や・・・そういう歌詞を、思い浮かべながら振る。
In sich zu fuehlen,des freudig und gemuehte,waere den Frueling nicht wieder erwarten.とかな。即興歌詞セッションだ。
やっとわかりました。こういうものの振り方が。本番で。
歌詞の語尾にある子音を運び、次の音節に結ぶあのドイツ語リートの心地よさ。ああ、10回振ってから振ればもっと上に行けるのか?でも、充分に美しく、豊かなアダージョでした。第1ヴァイオリンの難所の装飾オブリガートが春の庭先の花壇のように陽光にきらめき、ブラームスの雨が止む。
フィナーレ。古代の戦士。オーボエもフルートも大変ブラボーで自分よりウマイ。フレーズの、全体構成のどこをゆったり、どこを急いで接続するのか、興味がそこに集中する。
5楽章のバグパイプ前、全休を長めに取って静けさを作る。
このバグパイプは本当に聞こえるものか、メンデルスゾーンの幻聴なのか、いまだにわからない。しかし、すくなくとも疾走してゴールに駆け込むような、ブラボーの降り注ぐような曲の終りを彼が望まなかったことは確かでしょうね。
もしかしたら死の世界で見る巨大な昇天の天井画なのかもしれず、上昇してゆく弦楽器はなにかの賛歌のようであった。
3次会、ピアノを弾いて「三時かい?」
伝統と技術、美しい音と音楽的教養、大人の知性を持った素晴らしい名門仙台ニューフィルを指揮し、このような充実したプログラムを体験できて非常に幸福であった。皆様、お疲れさまでした。また、雨の中御来場の皆様にも深くお礼申し上げます。
*翌日10/28は快晴。ドイツに留学した記念日であり、もうそれは26年も前のことになる。牛タンを買って帰り、うまいうまいと食って寝た。
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一昨日の演奏会の裏にこんなにも様々なドラマがあったのですね。私事ですが、もぎぎ先生の指揮するお姿を初めて生で拝見することが叶い、夢見心地でした。ステージから温かいお人柄が直接伝わってくるようで、また素晴らしい音楽に包まれ、とても幸せな時間でした。本当にありがとうございました。
2007/10/30(火) 午前 0:25 [ noe*522* ]