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*ごあいさつ
今年は、1809年5月31日にオーストリアの作曲家、ヨーゼフ・ハイドンが亡くなってから200年の年に当たります。
モーツアルトの心からの友人であり、楽聖ベートーヴェンを教え、自らは18世紀の音楽家として空前の大成功と人気、評価を得て亡くなったばかりでなく、その後の音楽の歴史に大きく貢献したのがハイドンです。
ハイドンは多くの歌劇、オラトリオ、ミサ、歌曲、鍵盤楽器音楽、弦楽4重奏曲を初めとする室内楽の膨大な創作、数多くの協奏曲と並んで、生涯に107曲もの交響曲(現在確認できるものの数)を残しています。そのひとつひとつが極めて美しく磨き上げられた洗練と、常になにかを新しく作って行こうと言う実験精神で貫かれています。現在と違い、わずかな人数と楽器で、閉ざされた宮廷のなかだけで演奏され、同じ貴族たちに毎週の喜びを提供してきたハイドンの交響曲は、決して安易なマンネリに陥ることなく、しかも高貴に仕上げるための様々な工夫とアイデア、新鮮な喜びと輝きに満ちているのです。
ハイドンの曲でおそらく最も有名なのは弦楽4重奏曲「皇帝」からの第2楽章ですが、もともと「皇帝賛歌」として書かれたこの旋律は、今でもドイツ国歌になっています。オリンピックやサッカーなどでドイツが優勝してこの曲を聴くとき、宮廷の崩壊とともに失われていった贅沢な文化を彩った一人の丹念な作曲家、ハイドンのことを想い出してあげて下さい。
今夜は、これほど偉大でありながら、ハイドンの死後に起こった音楽の大きな革命、音楽の聞き手が貴族からわれわれ一般の市民に移ったこと、コンサート・ホールと、そこで演奏する管弦楽の巨大化やコンサート時間の短縮など、様々な理由によっていまや通常のコンサートではなかなか聴くことが出来なくなってしまったハイドンの交響曲を、皆様に御紹介したいと思います。
その多様さ、時代や注文主、演奏環境による変化を総括できるように素晴らしい4曲を厳選しました。年代順に並べて比較していただきながら、知られざるハイドン交響曲の無限の面白さ、深さ、美しさ、活力、憂鬱などの魅力を生で味わっていただきたいと思っています。途中には、ハイドンの同じく重要な創作であった声楽作品から、アリアや重唱を抜粋して聴いて頂き、モーツアルトに決して劣らないその音楽の魅力にも触れていただく予定です。
バッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、ショパンばかりが神格化されて愛好されてきたクラシック音楽の歴史には、その価値や魅力において決して劣ることのないハイドンのような作曲家を、いつのまにか日陰に追いやってしまったいきさつが隠されているのかも知れません。そのことにも思いをいたして頂けたら幸いです。
この音楽会をきっかけに、107曲もある知られざる魅力の宝庫、ハイドン交響曲に皆様が興味を持って下されば、一人のハイドン・ファンとして無上の喜びです。
最後までごゆっくりとお楽しみ下さい。
茂木大輔(もぎぎ)
* ハイドンの生涯
ハイドンの生涯は、ほとんど事件というものがない。
田舎町で大工の息子として生まれ、貧しい為に子供時代からウィーンのシュテファン教会の合唱団員になっていた。声変りでそこを追い出されてから、町楽師などをして職を探し、モルツィン伯爵の宮廷楽師を経て、ハンガリーの大貴族エステルハージ家の副楽長に採用された。楽長ウェルナーの死に伴って楽長に昇進、以後、ひたすらにこの宮廷の内部において教会音楽、劇場音楽、交響曲、室内楽などを生産、演奏、楽団の統括をし続けた。ウィーンとアイゼンシュタット(宮廷任地)、エステルハーザ(夏の離宮:劇場までを併設した豪華なもの)を往復する以外に旅行らしい旅行は全くしておらず、次第に国際的になってゆく名声の中での出版やパリからの新作委嘱の交渉も、すべて手紙で行われていた。また、作品の多くはハイドンの知らぬ間に海賊版として出版され、その作品は全ヨーロッパで愛好されて響き渡っていた。
長く使えた君主ニコラウスの逝去とともに楽団は解散され、ハイドンは名目上の楽長職にはあったものの実質的に職務から解放されて自由の身となった。
そのため長く招聘されていたロンドンからの呼びかけに答えて、ハイドンは2度にわたる長期のロンドン滞在を行って、現地で合計12曲の交響曲を発表、大センセーションと名声を巻き起こしたばかりか、巨万の富を得た。
ウィーンに戻ってから、ロンドンで体験したヘンデルのオラトリオ演奏への感銘からオラトリオ「天地創造」「四季」という二つの大作を発表し、ウイーンでの大人気作品となった。1809年5月31、ナポレオン軍のウイーン侵攻のさ中に、老衰で自宅にて永眠。
というわけで、人生としては、非の打ち所の無い宮廷勤務の優秀な音楽家であり、大病をすることも、失業することも、冒険をすることも、未婚のまま人生を終えることも(結婚生活は不幸であった:子供はいない)なく、大金持ちになって最後には自作品のカタログを作り、伝記作者のインタビューに答えてから、ひっそりと老衰で死ぬという、いささか拍子抜けのする記述になってしまう。
モーツアルトやベートーヴェンの不幸は言うに及ばず、若死にしたシューベルト、狂気寸前のベルリオーズ、リスト、ワグナー、自殺同様のシューマン、肺病のショパンや独身者のブラームスやチャイコフスキー、放蕩と結婚を繰り返したヨハン・シュトラウスなど、どうしてもわれわれが抱きがちな、「芸術家=破綻者=不幸」という太宰治的文学性は、ことハイドンとリヒャルト・シュトラウスについては、どうひねっても当てはめようがないのである。しかしそれは、バッハやヘンデルさえも含む、18世紀までの宮廷勤務型音楽家の基本的なあり方だった。お気持ちはよく解りますが、幸福に死んだハイドンの人生が破綻しなかったからといって、作品がつまらないとは全く限らないのであります。よろしくお願いいたします。
(余談)面白いのは、ハイドンを研究する学者、アマチュア(インターネットなど)の方々には、大変綿密で冷静、知的な作業を好む方が多いのではないか、ということだ。膨大な作品の年代研究や資料調べ、統計などを、労をいとうことなく客観的に、熱心に展開している研究が多い。
モーツアルトにまつわる本がどこか女流小説のような雰囲気を持っていたり、バッハのそれが複雑で神秘的、ベートーヴェン研究が人間的、哲学的だったりするように、特定の音楽家に関心を持ってなにかを書いたり研究したりすると、その音楽の持つ性質が研究書にも反映してきてしまうのではないだろうか。
生活も規則正しく、緻密で無駄のないハイドンには、そうした知的な遊び心を刺激する魅力があるのかも知れない。
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