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NHK文化センター青山校で講座を持ちます。
「スコアを読みながらオーケストラを聴きましょう!」シリーズ
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄(エロイカ)」を中心に
4/9、5/21、6/18(月)18:30〜20:30
音源を聴いて頂きながら、シンフォニーというジャンルが持っていた意味の決定的な転換点となった、長大な「英雄(エロイカ)」交響曲に、その前、その後を見ながら親しんで頂きます。
第1回:「英雄」以前のシンフォニー
ベートーヴェン以外の作家のシンフォニーと社会的な機能、演奏実態
(ハイドンの宮廷型、ロンドン型交響曲、モーツアルトのシンフォニーの、記録に残っている演奏会プログラムにおける位置づけ)
ベートーヴェンの交響曲第1番、第2番の内実、進歩性と初演状況、作家にとっての意味
*シンフォニー=器楽楽章=歌がないだけ、ポップスでは「インストゥルメンタル」(前奏、間奏、箸休め程度の意味。)であった。ベートーヴェンはシンフォニー公開の当初から、それを演奏会のメイン演目として意識していた。
第2回;「英雄」とプロメテウス音楽
英雄交響曲の4つの楽章の、先立つシンフォニーとの相違点
プロメテウス音楽と英雄
英雄交響曲の楽器法、構成法
変ホ長調の意味と性格
変奏曲フィナーレとプロメテウス:「最初、隠されている」ことの意味
持ち込まれている多彩なイメージ
初演(非公開、公開)と「独占演奏権」
*「英雄」はそれまでの交響曲とはあらゆる意味で大きく違っていた。それは実験であったか?実験の結果であったか。
第3回:「英雄」以後のシンフォニー ベートーヴェンの、後続するシンフォニー(おもに5,6,7,9)と、そこに見る英雄創作の意義
ベートーヴェン以外の作家におけるシンフォニー(シューベルト、シューマン、ブラームスなど)と、エロイカへのオマージュ(マーラー第2番、ブルックナー4番、「英雄の生涯」ほか)
*「エロイカ」を作ったことは音楽を変えて行ったが、ベートーヴェン自身も変えて行った。「エロイカ」という履歴・過去を持つ作曲家としてのベートーヴェン、「運命・田園・第9」を素通ししてエロイカを見つめる後世の視線とは?
*内容は予定です。集まって下さった方と質疑応答を通じてお話ししながら自由に取捨選択して進めて行きます。
よろしくお願いいたします。
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ロプコヴィッツ邸に行かれたことはありますか?美しいですが、学校の教室の二つ分より少し大きな程度で、意外に小さかったです。当時、この交響曲は、ケルントナー・トーア劇場等の劇場以外では、パトロンのためにとても小さな編成で演奏したのだと思いました。それがベートーヴェンの望む演奏形態かと思うと、かなり疑問を感じます。
「エロイカ」が作曲される直前に完成されたアン・デア・ウィーン劇場は、現在のドイツにある一般的なオペラ劇場と同じぐらいの、現在で考える中規模なサイズなので、現代のオーケストラが、十分演奏できるステージがあると思います。革命児であったベートーヴェンは、当時、改良が進んでいたピアノや管楽器に精通していましたし、どんな演奏形態を望んでいたのかを考えると、新しい見方で作品に向き合えるように思っています。
茂木さんの講座、是非とも参加してみたいです。でも、兵庫県からでは遠いです…残念。
2012/4/6(金) 午後 9:05
行った事がなく、大変うらやましく思います。現在の研究でエロイカを試演したのは別の邸ということが判明したらしいですが、ロプコヴィッツが日常的にこの私邸でも宮廷の私用楽団で音楽生活していたことは確かなので、そうした空間に身を置く体験はイマジネーション上重要と思っています。編成については、当然理想の編成があったと考えるのが自然ですが、このころまだ定番の組み方はなく、この試演でもセロとコントラバスの数、第1と第2ヴァイオリンの数などが今日的考えからすればアンバランスですね。第9初演時の会話帳から友人たちも編成についていろいろ提案・助言していたことも解りますので、むしろ演奏空間を決定した後にその空間にあった量的編成を模索するという流れだったように思います。
2012/4/7(土) 午前 8:42 [ 茂木大輔 ]
兵庫にお住まいとのことですが、ちょうどこの6月にエロイカを県立芸術劇場の小ホールで「試演」してみます。オケはPACです。この編成そのままには今回はしませんでしたが、呈示部の繰り返しのみ、この編成の数量そのままにしてみようかと(過去にも試みて聴覚的に比較してもらっています)思います。ほかにプロメテウス音楽の抜粋とハイドンの43番を取り上げます。よろしければぜひ小編成小空間のエロイカをお聴きにお越し下さい。
2012/4/7(土) 午前 8:42 [ 茂木大輔 ]
「エロイカを試演した別の邸」とはどこなのか、もし良かったら教えていただけませんか?キンスキー邸でしょうか。ところで、エロイカ・ハウスは、実はエロイカが作曲された建物ではない、というのも最近分かっています。
県立芸術劇場はとても良いホールで、近いので何度か行ったことがあります。仕事と重ならなければ、是非とも聴いてみたいです。よろしくお願いします。
2012/4/7(土) 午後 3:49
いえ、ロプコヴィッツの保有していた別の邸宅らしいということしか僕の手元ではわかりませんでした。演奏会は6/15,16でした。そのうちブログでも告知しますが:http://hpac-orc.jp/concert/20120615.php
2012/4/7(土) 午後 4:24 [ 茂木大輔 ]
Wikipediaの英語版とドイツ語版では、試演場所がウィーンではなく、チェコのアイゼンベルク宮殿(Schloss Jezeří (Schloss Eisenberg))と書かれていることを、今、確認しました。6月の演奏会はウィーンのロプコヴィッツ侯爵邸と考えられていたと思いますが、新たな資料が出てきたのでしょうか。僕の理解では、ウィーンでの試演の後で、チェコなど別邸で演奏されたと考えていました。1804年6月にベートーヴェンがボヘミアに行ったこという事自体、僕も初めて知りました。それが事実だとしても、ウィーンのロプコヴィッツ侯爵邸で複数回「エロイカ」が演奏されているので、「エロイカ・ザール」の命名は問題がないと思います。ロプコヴィッツ侯爵のオーケストラは28人だったと、Nelson著”Vienna For The Music Lover”に書かれていました。
西宮での演奏会、行けるとしたら土曜日の方ですが、まだ分かりません。もし行く事があれば、もしお邪魔でなければ、演奏会後にご挨拶に伺うかもしれません。その時にはよろしくお願いします。
2012/4/7(土) 午後 11:45
http://blogs.yahoo.co.jp/nypky810/archive/2010/04/03
上記ブログのように、僕が以前書いた元の資料を確認しました。
『音楽ファンのためのウィーン完全ガイド』長島喜一郎・編(音楽之友社 2003年)p. 21-22に『エロイカ』が「ここで初演されたとする解説書が多いが、最近の研究によると、このホールで何回か試演された後、侯爵の領地があったチェコの宮殿で初演されたようだ」とエロイカ・ザールについて、説明が書かれていました。ウィーンのロプコヴィッツ侯爵邸にある博物館のHPも確認しました。そこには、エロイカ・ザールで、いつ「エロイカ」が演奏されたかについては、年月日について、全く書かれていませんでした。
2012/4/8(日) 午前 1:00