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ベートーヴェン:「ウエリントンの勝利」または「ヴィットリアの戦い」(戦争交響曲)Op.91
いまから199年前の1813年に、一時はヨーロッパ中で無敵を誇ったナポレオン(フランス)軍はスペインのヴィットリアでイギリスのウェリントン公爵の率いる連合軍に敗退して、決定的に戦力を失う事になりました。ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」は、この戦いの模様を描いた音楽で、1813年12月8日に、ウィーンで行われた戦争負傷者のための義援音楽会において交響曲第7番などと一緒に初演され、大成功を収めました。
*曲の概要:
第1部
皆さんから見て右側にイギリス軍、左側にフランス軍の太鼓とラッパが位置しています。
曲は、まず両方の軍隊が近づいてきて対峙する様を、イギリス軍(「ルール・ブリタニア行進曲」、フランス軍(「マールボロー行進曲」)の順に演奏して表します。
続いて大砲の音とともに「戦闘」が起ります。大砲、機関砲などの描写、風を切って飛び交う砲弾や馬の蹄の音が交錯し、やがて両軍は接近(3/8拍子)して白兵戦となり、混乱が起ります。
次第にイギリス軍のラッパが優勢となり、「突撃(吶喊)」と題された2/2の部分に飛び込むと、テンポが次第に上がって、やがてイギリス軍の圧勝と、フランスの敗退(6/8,フランスのマーチが惨めな感じに演奏されます。)が描かれて、第1部が終ります。
第2部
「勝利の交響曲」と題された部分です。
華やかなファンファーレに始まるベートーヴェン得意の歓喜に満ちたフィナーレですが、途中、テンポを変えて3/4となり、イギリス国家が2回、厳かに演奏されます。二度目には、そのままイギリス国家によるフーガに連続して曲を閉じます。
・ちなみに、この前年(1812年)ナポレオンはロシア(ボロジノの戦い)でも全軍を失うほどの手痛い敗北を喫しています。今からちょうど200年前のことですね。その戦いの模様は、チャイコフスキーが「幻想序曲・1812年」として残しているので、聴き比べて頂ければと思います。
ベートーヴェン:交響曲第九番ニ短調op.125
(シラーの頌歌「歓喜に寄す」に基づく終結合唱を伴う)
レシタティーヴォの謎
19世紀の音楽学者ノッテボームは、ベートーヴェンが作曲に用いていたスケッチ帳を研究して、「第九」交響曲のフィナーレ冒頭にあるチェロ+コントラバスのレシタティーヴォ(語るように歌う)的部分には、もともと歌詞があったことを発見しました。第1、第2、第3楽章が次々に断片的に回想されながら第4楽章のテーマが最初に紹介されるまでを導くこの部分には、「それもよいが、まだ充分ではない」「もっと素晴しいものはないのか?そうだ!これではないか!」など、先立つ楽章をさらに超越した価値を探し求め、ついにそれを発見(第4楽章)するまでのプロセスが、おそらく男声の独唱と合唱さえも動員して、歌われる予定だったのです。
御存知のようにベートーヴェンは後にこれらの歌詞を取り去って、完成時には器楽だけの謎めいた部分としました。器楽による歓喜主題の呈示に続く二度目の嵐のようなファンファーレのあとに「おお友よ、このような音ではなく、より心地よい、喜びに満ちた(調べに)心を合わせよう!」と初めて歌い出すバリトン・ソロは、これらの歌詞を端的に集約したものと言えるでしょう。ちなみにこの2行(および、計画され破棄された葛藤の歌詞)はシラーの原詩には含まれず、ベートーヴェンの作ったものです。
2つの主題が「抱きあう」2重フーガ
ベートーヴェンは、当時非常に人気のあったシラーの「歓喜に寄す」からいくつかの部分を選んで作曲しましたが、大きく分けると人類の理想郷を歌う「歓喜の主題」、そして、人々が偉大な創造主を感じてひざまずき、抱擁し、接吻する神秘的な「抱擁主題」(バス・トロンボーンと男声合唱によって単声部で歌われる部分)が、音楽的には主題に相当する旋律です。ベートーヴェンは楽章の後半でこの二つの主題を2重フーガとして同時に響き渡らせ、文字通り「抱き合わせる」ように昇華させており、この部分こそが全体のクライマックスであると思います。
先行する3つの楽章
第1楽章(ニ短調:2/4)は厳しい、重苦しい歩みが、かいま見る希望や慰めをことごとく打ち消しながら進む音楽で、ことに再現部冒頭のティンパニの荒れ狂うトレモロは、演奏していて気が遠くなるほどの苦しみです。
第2楽章(ニ短調。3/4)もまた、一瞬の休みもなく持続し、跳躍しつづける無限舞踏であり、中間部でニ長調に転調し2/2となっても、慌ただしい伴奏句がやすらぎを禁じているかのようです。ここでもティンパニの活躍は顕著です。
第3楽章(変ロ長調:4/4)にいたって、ようやく聴き手も、演奏者も安らぐことができる美しい音楽です。二つの拍子と調を持って始まりますが、やがて第1の主題の変奏に終始して第2のテーマ(ニ長調、3/4)は消え去ってしまいます。
声楽を第4楽章で登場させたことなど
これら3つの、哲学的+躍動的+叙情的な音楽をそれぞれに呈示していながら、さらに上位の理想郷を求めて行くという構図は、「それまで(誰も)見た事のなかった世界=理想郷」を第4楽章に来て初めて展開する、という意味において、「声楽を含むシンフォニー」という、当時誰も作った事のなかった前代未聞の音楽に一致しています。
こうした、先行楽章の否定の上に理想郷を描き出すシンフォニーのひな形、前例としては、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」があると思います。
「田園(楽園の意味)交響曲」のフィナーレでは、先行楽章で意図的に抑制していた多くの作曲技法が絢爛と言えるほどに投入されて人間と神の偉大な調和が表現されていました。「第九」においてはそれが、声楽の投入という奇跡的な音楽に結実したのだと思います。
「田園」こそは「第九」に先立つ先例であり、そうして見ていくならば両者の緩徐楽章の共通性(調性、拍子)や、お互いが空虚5度によって開始される異例性などにも、なにか意味合いを感じられるのではないでしょうか。
この神秘と興奮に満ちたシンフォニーを、一緒に学んできた皆様と演奏できることに、本当に幸せを感じております。
茂木大輔
指揮科大学院科目等履修生2年
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