茂木大輔:もぎ議録

クラシック音楽は理解して聴けば感動100倍!が活動のモットー。まずは自分が理解しよう・・・(笑)

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3:チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調:作品36の実体
 
第1楽章
序奏部:アンダンテ・ソステヌート、3/4
「エフゲニ・オネーギン」のポロネーズと同じリズムのファンファーレで開始される。短い序奏の間に頻繁に転調する、というよりも調性が安定しない不安な構成と、ほとんど同じ音(Ab=G#)を反復しているファンファーレの対照が鮮烈。
(譜例:ホルン1,2冒頭4小節間)
 
主部:ヘ短調:モデラート・コン・アニマ(動きを持って、中庸に)、9/8
第1主題から静かに始まるが、「ワルツの動きで」と注記されている。
(譜例:第1ヴァイオリン27〜31小節/3個目の音まで)
この主題は本来、3/8が3つ集まった拍子である筈の9/8を、3/4のワルツにもうひとつ小さなワルツ(3/8)がくっついた非常に複雑、憂鬱なリズムを持つ。
ちなみにチャイコフスキーはビゼーの「カルメン」を珍しく激賞しているほど評価していたが、この主題にはカルメン第3幕への前奏曲(アラゴネーズ)へのオマージュも感じられる。
(可能なら譜例:カルメンよりアラゴネーズ、オーボエ・ソロの4〜5小節)
 
第2主題:変イ短調:モデラート・アッサイ・クワジ・アンダンテ(充分にゆっくり)
譜例(クラリネット1;115-117)
ファゴットによって夢見るように導かれ、これまたワルツの動きをもって迷いながら歌われる。最後の溜め息は多くの楽器にエコーして拡がって行く。
要所要所のクライマックスに、序奏のファンファーレが回帰して形式を明瞭に示している。
第1楽章は全曲の中で最も長く、また主題自体が無限旋律的でとりとめなくどこまでも続いて行くような印象があるため、演奏も観賞もやや苦痛です。(笑)
 
第2楽章:アンダンティーノ・イン・モド・ディ・カンツオーナ(やや遅く、民謡の様式で)、2/4
 
 
第1楽章が唐突な軍隊行進曲と崩壊するワルツの中でバレエの幕切れのように終わると、オーボエ独奏で第2楽章が始まる。
 
第1主題:変ロ短調
譜例(オーボエT1〜5/1)
 
オーボエには、「素朴に、しかし上品に」と、上記のテンポ表記と強弱を含めると5つもの要求が書かれている。
 
中間部 :ヘ長調:ピウ・モッソ(少し速く)
譜例:(クラリネット126-129)
 
再現部では第1楽章の第2主題にあった、「溜め息」の音型が回想される。
 
第3楽章:「ピチカート・オスティナート」(ずっとピチカート)
ヘ長調:アレグロ(快活に)2/4
譜例:(第1ヴァイオリン;T1〜8)
 
主部は弦楽器のピチカートのみで演奏される独創的なもの。連想されるヨハン・シュトラウス兄弟の「ピチカート・ポルカ」は1869年、ロシアのサンクト・ペテルブルクで書かれたと言われている。なお、チャイコフスキーの管弦楽作品を一番最初に公開演奏したのは、ロシアを訪れていたヨハン・シュトラウスの楽団であった。(性格的舞曲。1865年8月30日、パバロフスク。)
 
 
中間部:イ長調、メノ・モッソ(少し遅く)*管楽器のみ
 
突如としてオーボエが永遠に続くピチカートを破って飛び出してきて、たちまちバレエの男性舞踊手のような賑やかな場面となる。金管楽器は軍隊行進曲で参入し、テンポ・プリモ(最初のテンポで。)となる。
 
主部が再現されて、全楽器が入り乱れ唐突に転調するユーモラスなコーダがフィナーレを準備する。
 
第4楽章:ヘ長調 アレグロ・コン・フオッコ(燃えるように快活に)、4/4
 
全合奏に打楽器が加わり華々しく第1主題が演奏される。
譜例:(第1ヴァイオリン:1〜4)
 
すぐに静まってまだその位置ではないが第2主題が演奏されてしまうのは、この旋律の役割を「経過句と同時にのちには主題である」という、複雑なものにしている。なお、このテーマはロシアの有名な民謡「野に立つ白樺」の引用である。
 
譜例:フルート1(10〜13)
(第1主題の大興奮が終わったあとには、オーボエで改めて演奏される。)
 
このふたつの主題は展開部をもたないまま比較的単純に反復されて、クライマックスには冒頭のファンファーレが大々的に回帰して、狂乱のコーダを導く。
 
*全体を貫く「野に立つ白樺」(民謡)
 
全体を俯瞰すると、上記の譜例を参照して頂けば明瞭なように、この交響曲の重要な旋律はすべて、3,ないし4個、あるいはそれ以上の音が順次(音階のように)「下がってくる」ことによって作られている(統一されている)のがわかる。一見、民謡的で歌謡的な旋律を散発的に並べているようにも思えるこのシンフォニーは実はブラームスなどのように強固な作曲技法によって統一感が作られていた。
この下降旋律は、唯一チャイコフスキーの創作ではない民謡の引用である「野に立つ白樺」(第4楽章の第2主題)に由来していると考えるのが自然である。
ベートーヴェンのようにスケッチなどから作曲の具体的な経緯が判明していないため、一番最初にこの民謡の引用を決めてから全体を作っていったのか、あるいはこうした統一を作りながら作曲して、フィナーレに来てからあまり深い意味無く、下降旋律を持つからと引用したのかは不明だが、結果としてこの民謡は非常に重要な位置におかれることになった。
・・・・・・・・・・・・・
まとめてみましょう。
*一見民謡風、バレエ風で気軽に書かれたように思われるテーマは、全て下降旋律を冒頭に持っていて厳格に統一感が作られています。
また、冒頭から鳴り響くファンファーレ、チャイコフスキーの言葉で「運命」は、展開部の冒頭や再現部直前、コーダへの突入前などの形式上の要所で鳴り響き、形式を解りやすくする際立った効果を持っています。
結果的に、このシンフォニーの魅力は
 
・大きな構成感と、静寂と爆発の間、主題同士、それぞれの楽章の間などに作られた大きなコントラスト
 
・逆に、長い時間を聞いても散漫にならない統一感、緊張感の維持
 
・バレエ音楽で培ったリズム、ことにワルツなどの扱いと、音楽だけで(歌がなくても)ストーリー性を感じさせる運び。
 
・ソロからユニゾン、トゥッティ、複雑な拡散にいたるまで、木管、金管(ホルン)、打楽器、弦楽器、様々な楽器の魅力を効果的に配置する管弦楽法に熟達していること。また、オーケストラの楽器もこの時代にはベートーヴェンのころよりも格段に進歩していて、そうした楽器を前提に長いソロ、迫力あるオーケストレーションなどが可能になった。これも作品に大きなドラマと緊張、魅力を与えている。
 
・ロシア民謡を引用し、その旋律に下降旋律の源泉を求めるなど、諦観のある、メランコリック、ノスタルジックな旋律の魅力と、ドイツ音楽と大きく異なった雰囲気、色彩感を得ている事。
 
言わば「非常に巧みに作られた、しかもロシア人ならではの交響曲である。」ということになります。
 
 
さて、ここまで理解した上で、メック夫人にあてた本人の解説を読んで見て下さい。

 
 
 
4;メック夫人への手紙に書かれた「交響曲第4番」の解説
 

*メック夫人にあてた手紙に残るチャイコフスキー自身の解説(引用)
訳:宮澤淳一
 

4:メック夫人への手紙に書かれた「交響曲第4番」の解説
*メック夫人にあてた手紙に残るチャイコフスキー自身の解説(引用)
 
…… 私たちの交響曲には確かに標題があります。つまり、この交響曲が表現しようとしていることは言葉で表現可能です。ほかならぬ貴方にだけは、交響曲全体と個々の楽章の意味を説明できますし、またそうしたい。
 導入部は交響曲全体の核で、絶対的に重要な楽想となっています:
 
 これは宿命です。幸福追求の情熱を妨げる、あの運命の力です。幸運と安らぎがきちんと成就しないように嫉妬深く見守っている。ダモクレスの剣のように常に頭上につり下がり、絶えず心を苦しめる。避けられないし、とどめることもできない。おとなしくして、嘆くことしかできない:
 
 喜びも希望もない気持ちは、いっそう強まり、激しさを増します。現実から背を向けて、夢想に耽る方がよさそうです:
 
 ああ、実に心地よい!少なくともこれは甘美でやさしい夢です。ありがたいことに、立派な人物らしき姿が現われ、どこかへ手招きします:
 
 ああ、何て素晴らしいのでしょう!アレグロのしつこい主題ももはや彼方です。夢はほんの少しずつ心を満たしていきます。陰鬱で嬉しくないものは、すべて忘れ去られる。ええそうです。これが幸福なのです!
 だめだ、所詮は夢だ!宿命は、夢の中からさえ立ち現われる:
 
 結局、人生とは、つらい現実と、幸福をめぐる束の間の夢とが絶えず交替しているにすぎない。安らぎの停泊地などないのです。海に呑み込まれて深みに連れ去られるまで、せいぜい航海を続けているがいい。第1楽章の標題とは、ほぼこのようなものです。
 交響曲の第2楽章は、憂愁(タスカー)の別の段階を表現しています。夕方、ひとり腰掛け、仕事で疲れたまま、本を手に取るが、ふと落としてしまう。そんなときに催すメランコリックな感情です。次々と思い出が浮かぶ。いかに多くのことが過ぎ去ったのかと嘆き、青春を思い出して懐かしむ。過去を嘆くばかりで、人生をやり直す気はない。人生に疲れたのです。休んで周囲をみまわすばかりでいる方が楽しい。いろいろな思い出が甦る。若い血が燃えたぎり、充実感に満ちた悦ばしい時もあった。辛い時も、償いがたい損失もあった。みんな遠い昔の話だ。思い出に浸るのは悲しいが、甘美でもある。
 第3楽章は、特定の心情を表現していません。気まぐれなアラベスクであり、酒を飲み、酩酊の第1段階を体験しているときに空想の中で駆け抜けていくような捉えにくいイメージです。愉快でもなければ悲しくもない。何を考えているわけでもない。想像をたくましくすると、なぜか奇妙な素描を導いてしまった。そんなイメージの中で、いきなりほろ酔い気分の農民たちの絵が思い出され、町の歌が聞こえてくる……。どこか遠くで軍隊の行進が通り過ぎる。寝入りばなの脳裡にうかぶ脈絡のないイメージです。現実とは無関係で、奇妙で、突飛で、何のつながりもない……。
 第4楽章。自分自身の中に喜びの動機が見つからないならば、他人に目を向けよ。そして民衆の中に足を踏み入れるのだ。彼らが無限の喜びに浸って楽しむ様子を見たまえ。民衆がお祭り騒ぎをしている絵です。我を忘れ、他人の喜びの場面に浸り切りかけたとたんに、執拗な宿命がまた現われ、自己主張をする。だが人々は気に留めない。振り向きもしなければ、一瞥もかけてくれない。こちらが孤独で悲しんでいるのを知らないのだ。それにしても彼らは何て陽気なのだろう。率直で飾りがない。悪いのは自分なのだから、この世は悲しみだらけなどと言うべきでない。素朴で力強い喜びはある。他人の喜びを喜ぶがいい。とにかく生きていけるのだから。さあ私の親愛なる友よ、交響曲をめぐる私の説明は以上です。やはり不明確かつ不完全であって、そもそも器楽は仔細な分析にはそぐわない。ハイネの指摘どおり、言葉の終わるところから、音楽は始まるのです。  ……
(訳:宮澤淳一)
 
宮澤淳一著:「チャイコフスキー・宿命と憧れのはざまで」
ユーラシア・ブックレット92
ユーラシア研究所企画/東洋書店
より引用させて頂きました。



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