茂木大輔:もぎ議録

クラシック音楽は理解して聴けば感動100倍!が活動のモットー。まずは自分が理解しよう・・・(笑)

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5:まとめ:私見・この交響曲と書簡をどう読むのか
 
さあ。この解説を皆様はどんな風にお読みになったでしょうか。
ぼくは、作曲家が自分自身の完成した作品について長文を書き残すと言う非常に貴重な資料であることを踏まえた上で、この文章の解説を全面的に信じて盲目的に依存することをどこか不安にさせる要素を感じます。
まず、書き始めの決意(「この交響曲が表現しようとしている事は言葉で表現可能です」)と、文章の終わりの尻切れトンボ的な投げやり感(「そもそも器楽には子細な分析はそぐわない」)のアンバランスが気になります。もしかしたら書いている途中で嫌になってきたのではないでしょうか?笑。
最初は丁寧に楽譜まで書いているもののそれは第1楽章だけであることや、第3と第4楽章の説明があまりにも漠然として同じようになってしまっていることがそれを裏付けているようにも思います。
なによりも気になる事は、第1楽章での「ワルツ」という概念や、重要である筈の民謡の引用についても言及がないことです。
 
そもそも、チャイコフスキーは生涯で唯一、この機会だけに自作の説明を(メック夫人に請われて)書いたわけですが、どうしてそのようなことをする必要があったのか?と考えてみました。
上記で見てきたように、メック夫人は熱烈なチャイコフスキーのファンであって、会わない約束をして文通していたというのも、ロマンティックな「秘め事」的雰囲気をメック夫人が求めていたからだと考える事は容易です。
二人の関係は少なくともメック夫人にとっては疑似恋愛的なものに近く、それをチャイコフスキーは敏感に理解していたと思います。
一方チャイコフスキーにとってメック夫人がもたらす富、経済的支援は非常に重要なもので、なにがあっても彼女を失望させたり、怒らせたりする事は避けなくてはならない関係がそこには存在していたはずですね。
この書簡に先立ってチャイコフスキーはあの不幸な結婚についてもメック夫人に報告しなくてはなりませんでしたが、その事実もまたチャイコフスキーとメック夫人の関係にとって大変「危険」な材料であったことは勿論でしょう。
この書簡での説明には、そうした背景から、また、もしかしたら本当の意味、解説が書けないというもどかしさからも、どこか不自然になってしまった義務的な、こわばった調子が感じられるように思います。
実は、「ダモクレスの剣」のような、もっとはるかに大きなな危機を、チャイコフスキーは常に感じながら生きていました。それはチャイコフスキーの同性愛的な性質です。そのことが露見すれば、メック夫人どころではなく(当時の)社会全体から抹殺されてしまうかもしれない不名誉な習癖と彼自身が理解していたに違いない問題でした。
あの不幸な結婚の前年(1876)に、弟モデストにあてて結婚を決意したという手紙を書いているのですが、特定の相手がいるとかそういう事ではなく、結婚によって自分の危機を回避でき、家族も含めた名誉が守れるから、という調子が読み取れます。多くの学者が、この時期、チャイコフスキーが自分の同性愛的傾向が露見することを防止するため、女性との結婚を企てていたと理解しているようです。
そして、偶然に降って湧いた77年のアントーニナとの押しかけ結婚は、まさにそうした決意への「渡りに船」だったのではないでしょうか。そして、そうしたことの一切は、貴重なパトロンであったメック夫人には知られてはならなかったことが理解できるではありませんか。皆様はどうお感じになるでしょうか。
最後に、あの、交響曲第4番の第4楽章を圧倒し、秘密裏には全曲を統一さえしている民謡「野に立つ白樺」の歌詞について触れたいと思います。この民謡には一般的な歌詞として、年老いた男に嫁いだ若い娘(嫁)が甲斐甲斐しく世話をするというストーリーがあるそうで、この歌は結婚式の民謡としても知られているようです。
しかし、36番までもあるという長大な歌詞の全部を読んで見ると、実はこの花嫁は(おそらく貧しさ故にやむなく行った)老人との結婚に不満を持ち、早く老人を追い出して若い男と遊びに行きたいという意味を歌っているのだそうです。
この民謡の引用がいつ、どのタイミングで決意されたことか、あるいはチャイコフスキーがそこにどの程度の意味をおいていたのかは、今となっては謎のままです。しかし、「したくない結婚」を社会的な事情からさせられた花嫁の心理と、それを嫌がってノイローゼとなり、即座に家を出てしまったチャイコフスキーの行動は、この民謡の描き出している情景と一致していることは確かなのです。
チャイコフスキーは、同じく同性愛者であったサン・サーンスと、パリで一緒にバレエを踊った事があるそうです。幼い頃から繊細で内気なチャイコフスキーは、そうした秘密の、楽しい時間のさなかにも、自分の頭上に運命の衝撃が墜ちてくることにおびえていたのではないでしょうか。それが、この交響曲第4番の冒頭、そして第5番にも書かれた「平和な夢に襲いかかる運命」なのかもしれません。
 
 
 

付記:チャイコフスキーの交響曲と、その隣接ジャンルについて
 
 
現在のチャイコフスキー・ファンにとって、交響曲と、協奏曲や序曲などの管弦楽曲は最も頻繁に耳にする中心的な存在です。
ベートーヴェンや、ドイツの交響曲作曲家(シューマン、ブラームスなど)においては、「交響曲、協奏曲、管弦楽曲」と、「ピアノ・ソナタ(などのピアノ曲)」、「弦楽4重奏曲などの室内楽」は創作の3本柱と言っても良いもので、交響曲はこれらの集大成であると同時に、大衆にも解りやすい音楽としての位置づけを持っていました。しかし、チャイコフスキーにおいては、ピアノ曲、室内楽曲には傑作は少なく、なによりも熱心に生涯を通じて取り組んでいたのは歌劇(オペラ)の作曲でした。完成しているものだけでも10曲もあり、ことに「エフゲニ・オネーギン」と「スペードの女王」は、言葉の困難さを越えても世界の歌劇場で上演され続けている名作となっています。
もちろん、チャイコフスキーを語る上で「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」の、3つのバレエ音楽の大傑作を忘れる事はできません。チャイコフスキーの創作全体の中でのバレエ音楽の位置づけと言うよりも、バレエ音楽というジャンルの中でこの3曲は決定的な大傑作なのであり、この分野における最大の作曲家はチャイコフスキーということになります。
交響曲や協奏曲のなかに、舞曲が用いられている頻度もほかの作曲家よりずっと高く、ことに、「ワルツ」への偏愛はこの4番、5番、6番のいずれにも用いられている事からも明らかと言えるでしょう。
したがって、チャイコフスキーにとっての3本柱は、「歌劇、バレエ、交響曲」ということになるかも知れませんね。では、その中での交響曲を見ていきます。
 
 
まず、チャイコフスキーの交響曲を年表として並べてみるとつぎのようになります。(二つ目以降の年号は改訂)
 
*交響曲
交響曲第1番ト短調作品13「冬の日の幻想」(1866,1874)
交響曲第2番ハ短調作品17「小ロシア」(1872,1879)
交響曲第3番ニ長調作品29「ポーランド」(1875)
交響曲第4番ヘ短調作品36(1877-78)
マンフレ-ト交響曲作品58 (1885)
交響曲 第5番ホ短調作品64(1888)
交響曲 第6番ロ短調作品74「悲愴(Pathétique)」 (1893)
*管弦楽のための組曲
組曲第1番 ニ短調・作品43(1878-79)
組曲第2番 ハ長調 作品53 (1883)
組曲第3番 ト長調 作品55 (1884)
組曲(第4番)ト長調「モーツァティアーナ」作品61 (1887)
*協奏曲
ピアノ協奏曲第1番(1875)
同:第2番(1880)
同:第3番(1893)
ヴァイオリン協奏曲(1878)
チェロと管弦楽のための「ロココの主題による変奏曲」(1876)
 
 
ロシアの民謡の収集も熱心に行っていたチャイコフスキーですが、交響曲第1番から3番までは、それぞれロシア民謡を主要な主題の一部として扱って、民俗的な雰囲気の舞曲集、という趣のシンフォニーとなっていました。いずれも水準の高い、まとまった作品であることは確かですが、気軽に楽しむ事の出来る軽快、センチメンタル、ダイナミックなシンフォニーでした。
この状況が「第4番」に至って一変してしまったのは明らかです。また、これ以降の第5番ホ短調,6番ロ短調(「悲愴」)も、第4番で提言された世界を踏襲しています。すなわち、深刻、かつ精神的な苦悩をメランコリック(憂鬱)に、また、必ずしも最後まで聞いても解放されない形で(もっと言うならば一見フィナーレを迎えて解放されたように見えていてもその実は空虚な喜びに過ぎなかった、というような複雑な取り扱われ方で)表現している音楽となっているのです。
 
また、「交響曲第4番」(1878)の作曲後、「交響曲第5番」(1885)の完成までの7年にも及ぶ期間には、第3番までの交響曲に性格的には接近した、「管弦楽組曲」が4曲も集中的に作られていますが、長さ、密度、充実度からもまるでシンフォニーのようであり、異なっているのはたたえている精神世界が平和で純音楽的であるか(組曲)、深刻で私小説的であるか(交響曲4,5,6)という違いです。このことから見ても、チャイコフスキーが「交響曲第4番」の創作を契機として「交響曲」というジャンルに極めて具体的なイメージと制約を持つようになった、(それ以外の創作霊感は、「組曲」などの別ジャンルで表現することにした)と考えられます。
また、見逃す事が出来ない作品として、バイロンの原作に基づく標題交響曲「マンフレート交響曲」(1885)が上げられます。先輩バラキレフがベルリオーズに倣って作曲を薦めた素材に、シューマンの同じ題材による序曲からの影響を語りながらも苦心して作曲した大曲で、「交響曲」と「交響詩」の両方の性格を持つ深い作品になっています。もっとも、チャイコフスキーの予言通りこの曲は10年に一度くらいしか演奏されず、その真価は今後次第に普及して行くものと思われるのですが・・・
その、文学的素材による管弦楽曲(単一楽章)も、リスト風の「交響詩」という題名ではなく「序曲」と名付けてはいるものの、チャイコフスキーは熱心に作曲していました。有名な「ロミオとジュリエット」のほか「テンペスト」「ハムレット」とシェークスピア3部作といえる作品群も、大成功していないとはいえ、残しています。(茂木大輔:2013年1月:禁・無断転載)
 
 
参考文献
森田稔:「新チャイコフスキー考」:NHK出版
エヴェレット・ヘルム著・許光俊訳「チャイコフスキー」音楽之友社
宮澤淳一:「チャイコフスキー・宿命と憧れのはざまで」東洋書店
大崎滋生:「文化としてのシンフォニー・第2巻」 平凡社
伊藤恵子:作曲家・人と作品シリーズ〜「チャイコフスキー」:音楽之友社
作曲家別名曲解説ライブラリー〜「チャイコフスキー」音楽之友社
増田良介:「チャイコフスキー:交響曲第4番:ワルツに秘められたドラマ」〜N響機関誌「フィルハーモニー」連載より
インターネットWebsite「原語で歌う海外曲」ロシア語篇


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