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http://iwaki-alios.jp/cd/app/index.cgi?CID=event&TID=PAGE&dataID=00944ベートーヴェンの時代のコンサート、オーケストラ ベートーヴェンの作った、9曲ある交響曲はいずれも規模が大きく、濃い、深い、衝撃的な内容を湛えていて、オーケストラがコンサートで演奏するにはもっともふさわしい音楽になっています。 こう、わざわざ書くと不思議な気持ちがするかも知れないのですが、ベートーヴェンの時代にはシンフォニー(交響曲)は決してコンサートのメインの出し物ではなく、そもそも、公開で切符を売って行われる「コンサート」という催し自体が珍しいものでした。今日「音楽の都」とまで言われるウィーンに、当時はコンサート専用のホール、さらには公開コンサートを主任務にする「交響楽団」はひとつもなかった、ということを、皆さんは信じられますか? 何より好まれていたのはオペラ(歌劇)であり、そこで活躍する歌手や楽器の名手たちが時折、レストラン、貴族の館、舞踏会場、大学の講堂などを借りて開かれる「予約演奏会」を企画し、あるいは相互に出演して、一定の収入をあげていたのが当時の公開演奏会の実際でした。「公開」と書くのにも理由があります。当時は全てのオーケストラは貴族の宮廷、または教会(教会が宮廷に付属していることも多々ありました。)に所属するものであり、当然、雇い主の貴族とその賓客だけのために晩餐や娯楽としての宮廷音楽会のなかで演奏していました。大きな意味ではウィーンなどの「宮廷歌劇場」のオーケストラもまた宮廷管弦楽団の一種でした。 こうしたコンサートのなかでシンフォニーが占める位置は、多くは演奏会の開会、閉会にさいして演奏され、雰囲気を作ったり、遅刻しても(当時はロビーや桟敷で食事やカードをするのが当たり前でした。)大丈夫なようにワンクッションおいてスター歌手が登場したりという、「前座」の意味が大きかったのであり、ハイドンやモーツアルトのシンフォニーも、多くはこの目的で演奏されていました。(ロンドンにおけるハイドン交響曲の大人気には、一歩進んだ意味があり、交響曲はすでにメインの呼び物でしたが、これは例外と言えるでしょう。) ベートーヴェンのシンフォニー こうした環境のなかで、ベートーヴェンは、自らの交響曲を、それまでとは大きく違った位置づけで聴衆にアピールしようとしました。 彼の9つのシンフォニーのほとんどは、ベートーヴェン自身が自らの企画と投資によって自主的+公開で行った演奏会で初演されました。ことに、この「運命」と「田園」が同時に初演された1808年12月22日の演奏会は巨大なもので、演奏時間が4時間を越えたとされています。 こうした演奏会のためには、ベートーヴェンはまず会場を抑えなくてはならず、この時は(アン・デア・ウィーン劇場)さらに、宮廷歌劇場管弦楽団のメンバーや、そのほかの宮廷楽師、フリーの音楽家などを個別に契約してオーケストラを編成する必要がありました。オペラは通常ほぼ毎日上演されていたために、会場や楽団をチャーターするには4月と12月にあるキリスト教の理由からオペラが上演できない時期(四旬節・降待節)にコンサートを開くのが都合よく、ベートーヴェンの演奏会は多くがこの季節に集中していました。 こうした苦労の背景には、ベートーヴェンが、宮廷のためにお仕着せの作品をハイペースで生産していく「楽長」ではなく、自らの作品に圧倒的な魅力・深み・規模を与えて、貴族、市民などの階級を問わず聴く者を大きな感動に導けるという自信と、その象徴としての大オーケストラによる交響曲を創る意識がありました。結果として歴史は、こうした自らの確立した創作に生涯を捧げる「作曲家」と、彼らの作品を市民が公開の演奏会で聴く「コンサート」、そのために編成された「交響楽団(オーケストラ)」そして、作曲家たちの死後にも演奏全体を統括するため必然的に発生した専門職としての「指揮者」が主流となって行ったことは、皆様が今日も体験されている通りです。 「運命」と「田園」 上記のように、同時に作曲され初演された二つの交響曲は、音楽史の中でも最も愛され、繰り返し演奏されてきた音楽となりました。 厳しく、闘争的で男性的、かたや素朴で心暖まるのんびり系、など、様々な意味で対照的な二つの作品ですが、そもそも題名が、「運命」はあやふやな伝記作家(シントラー)の発言による俗称でベートーヴェンとは関係がない反面、田園(パストラール)はベートーヴェン自身の命名であることや、「運命」が伝統的な4つの楽章で作られているのに対して「田園」は5つの楽章を持つことなど、様々に異なっています。 しかし、この二つの交響曲は、どちらもそれ以前のシンフォニーからは大きく逸脱・飛躍した、全く独自の意味を湛えた音楽であるという点で(だけ)は共通しているのです。 「運命」(交響曲第5番ハ短調)について 「運命」は、苦闘とも言える苦しく緊張に満ちた音楽から開始され、かいま見る慰めはことごとく激しい音響によって打ち砕かれるという極めて悲劇的な第1楽章を持っています。英雄の行進と短い勝利のような第2楽章にも闘争の緊迫はつねに忍び寄っておりますし、楽章の後半には傷ついた兵士の行進さえもが聴かれます。第3楽章の、地獄からの呼び声のような開始に答えるホルンの咆哮は、本来ここに置かれるべき宮廷舞曲の優雅なメヌエットを遠く蹴散らしたグロテスクで残酷とも言える音楽。中間部の、コントラバスの踊りに不器用なユーモアが漂えば、あとは骸骨の乾いた音が響くばかりの死の世界となります。しかし、この絶望と虚無が、変イ長調への偽終止と同時に温かな風とティンパニの連打によってかすかに呼び起こされるとき、みるみる差し込んでくるまばゆき光は、ついに大管弦楽の爆発のような歓喜となって我々を包みます。この音楽を聴いて勇気づけられない、元気にならない人間はきっといないでしょう。 言わば、この作品は、あらゆる人間の人生にきっと存在する深い苦しみ、心の葛藤や迷い、絶望を経て、ついには勝利に至るという強い激励のメッセージを持つ「人間交響曲」であると言えるのです。 「田園」(交響曲第6番ヘ長調) 日本語の「田園」という言葉は田んぼ、人工的にお米を作るために整えられた場所、を含みますが、ヨーロッパの「田園」パストラールは、羊飼い、毎日の平和、奏楽、ひいてはキリスト生誕とのイメージの接近などを持つ言葉です。 この作品にはベートーヴェン自身が、田舎の生活の想い出、と書き添えたり、5つの楽章それぞれにも「田舎に着いた時の愉快な気分の目覚め」や、「小川のほとり」「田舎の人々の愉快な集い」「夕立・嵐」「羊飼いの歌・嵐の後の、神への感謝に結びついた満ち足りた気持ち」などの標題をつけているために、一種の「描写音楽」として考えられてきました。しかし、ベートーヴェンは「絵画と言うよりも感覚の表現である」と副題しており、その性格は極めて特定し難いものをはらんでいると言えるでしょう。 現象面から見るならば、音楽において伝統的に用いられてきた「パストラール」の象徴であるバグパイプの響き(空虚5度)と、12/8,6/8などのリズムは、それぞれの楽章で注意深く分散されて(不完全なまま)準備され、この交響曲は最後の第5楽章において初めて完全なパストラールの形を表すように設計されていると見る事ができます。美しく心地よさに満ちているがほとんど変化や緊張のない自然そのものを描く第1、2楽章、素朴で無知な(作曲上のおかしな音をわざと使っています。)人間を描く第3楽章、その楽しい集いを大音響で一気に押しつぶす嵐の第4楽章。そして、その後に訪れる神への感謝が、初めて人間の心を自然と一体として、おだやかで美しい祈りの音楽が紡がれて行く第5楽章。楽園はここで完成することになるのです。 「運命」がまさに人間の(内面の葛藤の)交響曲だとするならば、「田園」は、人間の外にある自然と、それを創りたもうた創造主(神)、そしてその創造物の一つ、自然の一部である人間という存在を問う、「自然と神の交響曲」であると言えるのです。 大きな自然の脅威、災害に遭遇したとき、人間は神の意志、采配、恐怖を感じ、それが過ぎ去ったとき、感謝と安堵を覚えることでしょう。ベートーヴェンは、人間の、苦悩に打ち勝つ強い力を信じるとともに、そうした神への畏怖と尊敬をも、このような美しい音楽の中に表現していたことになります。 皆様がこの二つの交響曲を、今まで以上に深く愛して下さり、これからの人生の友として時折耳を傾けて下さるならば、演奏家・解説者としてこれ以上の喜びはありません。最後までゆっくりとお楽しみ下さい。 茂木大輔 |
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ベートーヴェン
交響曲第9番の楽器編成・楽器法メモ
初演時(1824.5.7:ケルントナートーア劇場:夜7時)人数:管楽器2重:弦楽器12.12.10.12(合計で?)
初演時、ピアノで補強していたという資料あり。伝タールベルク:「ウムラウフとベートーヴェンの指揮のほか、コンラーディン・クロイツァーがピアノ演奏を務めていた。」(西原稔「音楽家の社会史」p63)
再演時:(Redoutensaal)14.14.10.
合唱:ケルントナー門劇場:少年合唱S16A16,男性34+アマチュア4声部に(女性)8〜9人づつ。
ヘンリエッテ・ゾンターク(S)18歳1806-1854>1823年10月、ウェーバー「オイリュアンテ」初演Wienでタイトルロール(大変な役)
カロリーネ・ウンガー(A)21歳1803-1877
アントン・ハインツィンガー(T)(28?)1798-1867
ヨーゼフ・ザイベルト(B)(36?)1796-1865
参考
7番初演:倍管:18.18.14.12.7(コントラファゴット2)
全体的な問題:
長さ(80分?)密度、緊張感
最も画期的な構造>3つの前提楽章の終局における否定。理想郷の追求。
声楽導入はその理想郷の「未だ見ぬ世界」?
楽器そのものは教会(トロンボーン)劇場(トルコ楽器)などで耳慣れたもの。
創作史的に:交響曲フィナーレの構造はハイドン以来、いまだに決定的な姿に到達していない。
(例)
モーツアルト最終3部作
変ホ長調:ロンド
ト短調:ソナタ
ジュピター:疑似フーガ
ハイドンのロンドン交響曲:快速ロンド。内容は軽妙で喜劇的。
ベートーヴェン:
1,2番:ソナタ
エロイカ:変奏曲
4番:ソナタ
運命:ソナタ、3楽章回想を含む(重要関連)
田園:フィナーレがない。踊り>嵐>賛歌。
7番:ソナタ。エネルギッシュで単調。
8番:ソナタだが、構造が3段構え実験的。長いコーダ。
楽章別楽器法ポイント
第1楽章
2.2.2(Bb).2./4(D,Bb-basso).2(D).0.0./Pk(D,A)
・冒頭からセロとコントラバスの独立用法(セロ:6連符、コントラバスはリズム動機を受ける。)
・ホルン1,2には頻繁にEb-E,F,Bbなどが用いられている。ことに調性決定音である実音F-F#の急速な交代(T51〜74)。
・3,4ホルンはより自然ホルン的な用法だが、第2主題調で選択されている。(T76の主題の2重奏:再現部341ではD、1,2番に。)>用法に差がある。
(446−3番にもEb=C#dim.7として)
・第1楽章全体に、solo-Tuttiという明確なブロックがなく、全体的に常に演奏している、弦楽器、木管楽器的に密度の高い用法。ホルンもそれに準ずる。
管楽器だけのフレーズは:
104のみ
138〜(断続的弦楽器の合いの手を含み)
144〜4小節間
192(F)〜6小節間(rit.-a.tempo)>印象的
210(G)〜6小節間(rit.~a tempo)
266〜は、低音を伴うが木管のみの16分音符埋め尽くし。
371.375(2小節づつ)
407(N)~416(合いの手を含み)
469(Q)〜弦楽器の保続を伴いつつ:ホルンの長いソロ。2番ホルンに閉塞用法。(半音)
505〜4小節
弦楽器のみのフレーズ:皆無
・保続が非常に多い。呈示部分ほか。(弦楽器は6連で)
一例:160-187までのホルン
・301(K)再現部からのVc.Kb.F#音3オクターブ跳躍・主和音の第1展開型
Pkは32分音符の保続。(D)
第2楽章
編成:
2.2.2C.2./4(D,Bb)2(D)3.0/Pk(F-f)/Str.
クラリネットがC管に:同じ調なのに楽器が変わる。
Pkの調律。音域ギリギリのオクターブ(F−f)主音も属音もない。
参考:「魔弾の射手」序曲(1821:ベルリン)に音替えの指示。>楽器は手締めではなかった?または数を多く使用した?
9〜主題の弦楽器の入りを木管の短音で縁どる用法。
77(B)〜木管のベルトーン的(入った楽器を追うとメロディに聴こえる)用法。
3拍子部分(186〜)Pk.の、異なった強弱で割り込む用法。
248(F)〜ホルンの交代で旋律を作る用法。転調までする。Bb管では「ドミソ」で、演奏可能な音なので、分散は意識的?用法である。
・414トリオ:木管のコラール用法、オーボエとクラリネットを密に。この主題全体に保続、ベルトーンも。(ホルン:438(L)〜)
・454:対旋律はオーボエの難所。
・475(M)〜トロンボーン:バスの補強:活動的パート
トロンボーンは、そもそも合唱導入を意図したための投入。
・この楽章では、弦楽器のみで演奏するのは冒頭の4小節のみ。
・管楽器のみで演奏するのは:360-366まで(ごく僅か)
第3楽章
(変化事項)クラリネットがBb管に。
ホルンは1,2Bb,3,4Es
TpはBb管に。(重要:軍隊的?)
Pos沈黙
PKはBb-f(トニカが下。)>下のFの鳴りが悪いためでもあるが、上のFも鳴りが悪い。>第8番の調律はF-c(下のF使用)
・冒頭の管楽器のみの開始。2番ファゴットの難所。Kl.Fg.Hr.をユニットとして、弦楽器を応答として交互に。今まで密度が高かったため印象的。
・15:4番ホルンの特別な活躍が開始。
・19.20:Pkの印象的ソロ
・25〜拍子も変わるが、楽器用法は古典的(ユニゾン)管と弦は対比でなく混色。
・65〜同じ3/4で、管と弦の役割が入れ替わる。混色用法。クラリネットが休んでいるのでバロック的。
・83Adagio:墓場の音楽?ピチカートだけを伴う管楽器コラール。4番ホルンは音域を跳躍しながら名人芸を。(今日では分業すること多し)
・96:4番ホルンのソロ。演奏法は謎。111/117も。
・99:Pkの、ピチカート的用法。139なども。
・121Tp:F音が堂々と。Es管的用法。
・153〜Pkの重音。
第4楽章
追加楽器:picc,Kfg.Pos,Bk,Gt,Tri.
Kl=Bb
Hr,=D,Bb
Tp-D
Pk=A,d(アタッカの場合:両方の楽器を調律する必要がある。)
冒頭騒乱;実音F(一番ホルン)閉塞音か?
・8〜:Vc,Kbの長いRecit.歌詞のあったものを器楽にした。回想部分。
結果として重要主題の呈示(92)も低弦のみ。ドラゴネッティがロンドン初演で独奏で弾いた(ソース未確認)。
・116〜Fg,のオブリガート問題:LvBの「colBasso」記入の見落としにより長く第1ファゴットの独奏オブリガートとなっていた。
・164(B)〜Tuttiによる主題。Hr,TpにF音。
・216〜声楽の導入。
・237〜合唱の投入。>初演事情:初演演奏会では荘厳ミサ3章が先立つ。声楽は「温存された」最終兵器ではない。むしろ各所に響き合う共有イメージ。
・297〜2番ホルンのみのバス(刻み)
・330“VorGott!”のdim混乱。Pkのみ?
・331トルコ楽器の投入。(ピッコロ・ソロ含む)
*コントラファゴットのオクターブ問題
・367:マーチへのTp参加は2番のみ。Bb管持ち替え。軍隊ラッパの調。
参考:「荘厳ミサ」AgnusDeiの軍隊トランペット(1,2番、Bb)
>ハイドン:交響曲第100番軍隊(2番、C)
・595トロンボーンの投入(オラトリオ?)
・627:ヴィオラの見せ場。宗教的。古代的。
・648〜木管に星の瞬き。
・655〜2重フーガ(「抱き合い」)
・751〜昇天:荘厳ミサ(Credo464~)との比較
・851フィナーレ:トルコ楽器投入。
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ベートーヴェン:「ウエリントンの勝利」または「ヴィットリアの戦い」(戦争交響曲)Op.91
いまから199年前の1813年に、一時はヨーロッパ中で無敵を誇ったナポレオン(フランス)軍はスペインのヴィットリアでイギリスのウェリントン公爵の率いる連合軍に敗退して、決定的に戦力を失う事になりました。ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」は、この戦いの模様を描いた音楽で、1813年12月8日に、ウィーンで行われた戦争負傷者のための義援音楽会において交響曲第7番などと一緒に初演され、大成功を収めました。
*曲の概要:
第1部
皆さんから見て右側にイギリス軍、左側にフランス軍の太鼓とラッパが位置しています。
曲は、まず両方の軍隊が近づいてきて対峙する様を、イギリス軍(「ルール・ブリタニア行進曲」、フランス軍(「マールボロー行進曲」)の順に演奏して表します。
続いて大砲の音とともに「戦闘」が起ります。大砲、機関砲などの描写、風を切って飛び交う砲弾や馬の蹄の音が交錯し、やがて両軍は接近(3/8拍子)して白兵戦となり、混乱が起ります。
次第にイギリス軍のラッパが優勢となり、「突撃(吶喊)」と題された2/2の部分に飛び込むと、テンポが次第に上がって、やがてイギリス軍の圧勝と、フランスの敗退(6/8,フランスのマーチが惨めな感じに演奏されます。)が描かれて、第1部が終ります。
第2部
「勝利の交響曲」と題された部分です。
華やかなファンファーレに始まるベートーヴェン得意の歓喜に満ちたフィナーレですが、途中、テンポを変えて3/4となり、イギリス国家が2回、厳かに演奏されます。二度目には、そのままイギリス国家によるフーガに連続して曲を閉じます。
・ちなみに、この前年(1812年)ナポレオンはロシア(ボロジノの戦い)でも全軍を失うほどの手痛い敗北を喫しています。今からちょうど200年前のことですね。その戦いの模様は、チャイコフスキーが「幻想序曲・1812年」として残しているので、聴き比べて頂ければと思います。
ベートーヴェン:交響曲第九番ニ短調op.125
(シラーの頌歌「歓喜に寄す」に基づく終結合唱を伴う)
レシタティーヴォの謎
19世紀の音楽学者ノッテボームは、ベートーヴェンが作曲に用いていたスケッチ帳を研究して、「第九」交響曲のフィナーレ冒頭にあるチェロ+コントラバスのレシタティーヴォ(語るように歌う)的部分には、もともと歌詞があったことを発見しました。第1、第2、第3楽章が次々に断片的に回想されながら第4楽章のテーマが最初に紹介されるまでを導くこの部分には、「それもよいが、まだ充分ではない」「もっと素晴しいものはないのか?そうだ!これではないか!」など、先立つ楽章をさらに超越した価値を探し求め、ついにそれを発見(第4楽章)するまでのプロセスが、おそらく男声の独唱と合唱さえも動員して、歌われる予定だったのです。
御存知のようにベートーヴェンは後にこれらの歌詞を取り去って、完成時には器楽だけの謎めいた部分としました。器楽による歓喜主題の呈示に続く二度目の嵐のようなファンファーレのあとに「おお友よ、このような音ではなく、より心地よい、喜びに満ちた(調べに)心を合わせよう!」と初めて歌い出すバリトン・ソロは、これらの歌詞を端的に集約したものと言えるでしょう。ちなみにこの2行(および、計画され破棄された葛藤の歌詞)はシラーの原詩には含まれず、ベートーヴェンの作ったものです。
2つの主題が「抱きあう」2重フーガ
ベートーヴェンは、当時非常に人気のあったシラーの「歓喜に寄す」からいくつかの部分を選んで作曲しましたが、大きく分けると人類の理想郷を歌う「歓喜の主題」、そして、人々が偉大な創造主を感じてひざまずき、抱擁し、接吻する神秘的な「抱擁主題」(バス・トロンボーンと男声合唱によって単声部で歌われる部分)が、音楽的には主題に相当する旋律です。ベートーヴェンは楽章の後半でこの二つの主題を2重フーガとして同時に響き渡らせ、文字通り「抱き合わせる」ように昇華させており、この部分こそが全体のクライマックスであると思います。
先行する3つの楽章
第1楽章(ニ短調:2/4)は厳しい、重苦しい歩みが、かいま見る希望や慰めをことごとく打ち消しながら進む音楽で、ことに再現部冒頭のティンパニの荒れ狂うトレモロは、演奏していて気が遠くなるほどの苦しみです。
第2楽章(ニ短調。3/4)もまた、一瞬の休みもなく持続し、跳躍しつづける無限舞踏であり、中間部でニ長調に転調し2/2となっても、慌ただしい伴奏句がやすらぎを禁じているかのようです。ここでもティンパニの活躍は顕著です。
第3楽章(変ロ長調:4/4)にいたって、ようやく聴き手も、演奏者も安らぐことができる美しい音楽です。二つの拍子と調を持って始まりますが、やがて第1の主題の変奏に終始して第2のテーマ(ニ長調、3/4)は消え去ってしまいます。
声楽を第4楽章で登場させたことなど
これら3つの、哲学的+躍動的+叙情的な音楽をそれぞれに呈示していながら、さらに上位の理想郷を求めて行くという構図は、「それまで(誰も)見た事のなかった世界=理想郷」を第4楽章に来て初めて展開する、という意味において、「声楽を含むシンフォニー」という、当時誰も作った事のなかった前代未聞の音楽に一致しています。
こうした、先行楽章の否定の上に理想郷を描き出すシンフォニーのひな形、前例としては、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」があると思います。
「田園(楽園の意味)交響曲」のフィナーレでは、先行楽章で意図的に抑制していた多くの作曲技法が絢爛と言えるほどに投入されて人間と神の偉大な調和が表現されていました。「第九」においてはそれが、声楽の投入という奇跡的な音楽に結実したのだと思います。
「田園」こそは「第九」に先立つ先例であり、そうして見ていくならば両者の緩徐楽章の共通性(調性、拍子)や、お互いが空虚5度によって開始される異例性などにも、なにか意味合いを感じられるのではないでしょうか。
この神秘と興奮に満ちたシンフォニーを、一緒に学んできた皆様と演奏できることに、本当に幸せを感じております。
茂木大輔
指揮科大学院科目等履修生2年
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かんさい土曜ほっとタイム(NHKラジオ第1放送・全国放送)
11/3に出演者します。14:00台、約1時間。 「ぼやき川柳」が有名な本来生放送の番組ですが、生出演に大阪まで行ったところ、自民党の総裁選に重なって、収録に変更。11/3に放送されます。11/4に指揮する「第九」のハナシを中心にしていますので、プレオケの皆様、聴きに来て下さる方々、ぜひお聴き下さい。よろしくお願いいたします。 http://www.nhk.or.jp/kansaihot/ |
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NHK=FM10/26(金曜)夜
http://www.nhk.or.jp/classic/dj/
DJクラシック、一年間のスケジュールで一回だけの、オーボエ尽くし企画。
オーボエ奏者のオーディションをテーマに、この楽器の得意不得意、オケへの入団とはどんなことが課せられるのかを御話ししています。
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