茂木大輔:もぎ議録

クラシック音楽は理解して聴けば感動100倍!が活動のモットー。まずは自分が理解しよう・・・(笑)

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2/8が第2回(室内楽)です。久しぶりにオーボエで2曲。カルテット・ソレイユのベートーヴェン6番にも期待集まります。是非お越し下さい!

http://www.aac.pref.aichi.jp/sinkou/event/rakuen2013/index3.html



ごあいさつ

 

ようこそお越し下さいました!

ベートーヴェンの原点と到達点を探るこの3回シリーズ、前回には彼が音楽史に革命的な足跡を残した最初の音楽(原点)である交響曲第3番「英雄」を聴いて頂きました。

当初ナポレオンに献呈される予定であったその「英雄」交響曲を買い取り、私邸のオーケストラを試演やリハーサルに提供して協力したのが、大富豪の貴族フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・ロプコヴィッツ侯爵(1772-1816:画像?)でした。コンサート第2回目である今日は、その時期のロプコヴィッツ侯爵のサロンを彩ったベートーヴェン周辺の音楽家たちを御紹介しながら、ベートーヴェンの自由な創作を貴族たちが庇護していた時代を想像して頂こうと思います。最後までごゆっくりお楽しみ下さい。

 
 

茂木大輔

 
 

1:モーツアルト:オーボエ4重奏曲ヘ長調K370

 

ロプコヴィッツ侯の私邸で、リハーサルを兼ねた「英雄」交響曲の「試演」が行われていた時のこと。ミュンヘンから高名なオーボエ奏者、フリードリッヒ・ラムが招かれていて、ベートーヴェンの「ピアノと木管楽器のための5重奏曲」を一緒に演奏したのだが、第3楽章のロンドでベートーヴェンがたびたび非常に長いピアノの即興演奏を繰り広げたために、ラムを始めとする管楽器奏者たちは何回も楽器を口に当ててはまた待たされる、という目にあって、ラムはうんざりして怒り出した。という逸話をベートーヴェンの弟子リースが伝えている。

この人物は、モーツアルトが1777年、「就活」のためにやってきたマンハイムで知りあった当時超一流のヴィルトゥオーゾ(マンハイム宮廷楽団の首席奏者)であった。二人はすぐに親しくなり、友情は生涯続いた。当時33歳のラムは「ちょっと不良のオジサン」に見えていたらしいことが、モーツアルトの書簡から伺える。

数年後にモーツアルトがミュンヘン宮廷からオペラ「イドメネオ」の依頼を受けて当地に赴いた時(1781)、ラムはこの4重奏曲をモーツアルトに書いてもらったらしい。

これはオーボエ奏者を最高に幸福にする「ミニ協奏曲」であり、オーボエという楽器の魅力と演奏の快感はこの17分にすべて天国的な喜びと深みとともに詰め込まれている。一方で、この超絶技巧、ことに高音域でのパッセージを、ラム先輩が当時の簡素な楽器で演奏していたことを思うと、彼の信じ難い演奏技巧とファンタジーに深い敬愛の念を抱く。

まずは、この曲から、ロプコヴィッツ侯爵のサロンで起きた愉快な事件と、「(早世した)モーツアルトの親友」がまだ生きていて、若いベートーヴェンと共演している、という時代を御想像いただこうと思います。

 
 

2:ベートーヴェン;弦楽四重奏曲第6番変ロ長調op18-6

 

ハイドンとも親しかったロプコヴィッツ侯爵は、1799年ごろのほとんど同じ時期に、ハイドンとベートーヴェンの二人に対して6曲の弦楽四重奏曲を作曲するよう注文した。

この依頼に対してハイドンは2曲だけ(作品77:「ロプコヴィッツ四重奏曲」)しか完成できず、ベートーヴェンは依頼通り、6曲を完成した。今日はこの6曲セットのなかから、終曲となっている第6番を演奏して頂くこととした。

この曲(1800年の夏作曲)は、上記ハイドンのロプコヴィッツ4重奏曲(第81番:ト長調:179910月にロプコヴィッツ邸で初演)と驚くほどソックリな始まり方をする。ハイドンへの尊敬から来るオマージュなのか、はたまた挑戦か、からかいか。

2楽章も極めて美しいが、この四重奏曲の本質は、かかって第4楽章にある。アダージオの長い序奏部には「マリンコニア」(憂鬱、悲哀)と書かれ、「最大の繊細な神経を以て演奏すること」とイタリア語で指示されている。この異様な緊張感を持つ音楽は、快活な主部が始まってもまた、突然のように時間を中断してたびたび挿入される。その結果、フィナーレ全体、いや、この一見明るく平和な「ハイドン風」カルテットの全体が、なにか空ろに、脅かされるべき存在として見えて来るほど、その不安、衝撃は大きい。

 

演奏して下さるクワルテット・ソレイユは、4人の若い女性による、日本国内には数少ない常設の弦楽四重奏団。見た目も美しいためよく誤解されているのだが、こう見えて彼らはすでに8年もの凄絶なレパートリー開拓の歴史を持ち、サントリー財団のアカデミーで世界的演奏家たちの指導をびっしりと受けている超本格派団体候補生なのである。真剣きわまりないリハーサルを見ていて鳥肌が立つほどだ。近い将来きっと有名になってしまうに違いない彼女たちをこうして御紹介できることに、おじさんは少し鼻が高いのであります。

 
 

3:ハイドン:弦楽4重奏曲第83番ニ短調より

2(?)楽章:アンダンテ・グラツィオーソ

 

 

ロプコヴィッツ侯爵からの依頼競作という「師弟対決」に「敗北」した数年後(1803)に、ハイドンは改めてもう1曲のカルテットを作曲している。

これが、ロプコヴィッツ侯爵からの依頼に答えようとして果たせなかった断章なのか、新しく発想されたのかは不明だが、2つの楽章のみが作られて(別の人に献呈された。)、それがハイドンの最後の弦楽4重奏曲となった。

そして「齢を重ね、わが力、すでに衰えたり。」というハイドンの歌曲「白鳥の歌」の冒頭の歌詞を添えて、1806年に出版されている。辞世の句であろうか。

このアンダンテ・グラツィオーソはあまりにも澄みきった美しい音楽で、すべての俗世から身を引いた、音楽の巨匠晩年の内心を吐露しているように聞こえ、涙をそそる。中間部は、楽譜として最多の♭6コがつくGes-Dur(変ト長調)となっており、「限界」を暗示していると思われる。

 
 

休憩

 
 

4:ベートーヴェン:オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンとピアノのための5重奏曲:変ホ長調op.16

 
 

ベートーヴェンはモーツアルトを深く尊敬していたが交流はほとんど叶わなかった。上述の逸話に伝わる、モーツアルトをよく知る親友、大先輩であるラムと自作を共演し、即興演奏でいつまでも待たせて喜んでいるベートーヴェンの姿は、どこか反骨精神や過去の偉業への挑戦も感じさせる。

この、当時としても珍しい特殊な楽器編成の作品は、モーツアルトの、同じ楽器編成による偉大な先例(K452:1784)との関係を以て語られなくてはならない。

この曲は1797年に、彼の人生全体にとっておそらく最大の芸術的関係を保ったヴァイオリニスト、イグナーツ・シュパンツィヒ(画像?)の演奏会で初演されたことが解っているが、作曲経緯は不明。おそらくは、モーツアルトの先述の作品が大きな人気を博していたために、類似の曲を希望する需要があったのだろう。

モーツアルトの5重奏曲は、4つの異なる管楽器それぞれがその特徴を最大限に発揮し、実にいろいろな役割の組み合わせを試みる。それをピアノが優雅に伴奏し、あるときは対話に加わり・・というふうに進む「究極の室内楽の楽しみ」であった。同じ編成でベートーヴェンが書いて見せたのは、楽器編成、楽章構成、調の選択などに一見似通った衣装こそ着けているものの、本質において全く異なる、そして、はるかに挑戦的な、「ミニ・ピアノ協奏曲、または、大きなピアノ・ソナタ」なのであった。尊敬する先人の作品に臆する事なく、徹底的に学び取り、さらに新しく、凌駕した作品を造ろうとする。それが、ベートーヴェンの基本的な態度だったということになるだろうか。

 

毎日真剣に音を交えてきたN響の素晴しい先輩・同僚は、演奏はもちろん、様式への理解や共感など、この作品に何の心配もなく取り組む上で不可欠だった。ピアノの平松さんは、音大の学費がコンクールの賞金で払えてしまったという逸話の持ち主。自分の力でミュンヘン、モスクワと世界的先生に習いながら留学し、戻ってきたばかり。幾度も協奏曲を御一緒している信頼感から、今回頼んで良かった〜、と思っています。

 
 

*シュパンツィヒのこと

 
 

このピアノ5重奏曲が初演された演奏会は、ヴァイオリニスト、シュパンツィヒの主催だった。この人物は、ロプコヴィッツ侯爵のサロンにも頻繁に登場し、本日演奏する作品18のカルテットを含むほとんどのベートーヴェンの室内楽を初演している。初期から後期まで、シュパンツィヒなくしてはベートーヴェンのカルテットは書かれる事がなかったというほど、その影響力は大きい。「第九」交響曲の初演にあたっても、ベートーヴェンは、コンサートマスターはどうしてもシュパンツィヒにしたいという強い希望を表明していた。この演奏会ではこのシリーズの次回取り上げる「荘厳ミサ曲」からの3章もウイーン初演されている。

長大なヴァイオリン・ソロを含む「サンクトゥス」はこのとき選曲の都合から演奏されなかったが、その輝かしい書法には、後期弦楽4重奏曲に共通する精神の高みが宿っていて、それはとりもなおさずシュパンツィヒの演奏なくしてはベートーヴェンが至る事のなかった境地だったはずである。

来月38日の最終回(祈りと到達点:「荘厳ミサ曲」全曲)では、今日の演奏会(パトロンのサロン)のキーパーソン、ロプコヴィッツ侯爵からルドルフ大公へと話題をリレーする。そのバトンを渡すのは、初期から後期までベートーヴェンを理解し続けたこのシュパンツィヒに違いない。

 
 

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