茂木大輔:もぎ議録

クラシック音楽は理解して聴けば感動100倍!が活動のモットー。まずは自分が理解しよう・・・(笑)

もぎぎの日常雑感

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明日出発して西ノ宮入り。
今回、オケが兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)ということで、ガイジンさんもたくさんいる、若い人たちのオケ(佐渡さんとよく「題名」に出ています。)、非常に「のだめワールド」をリアルに、視覚的にも体験して頂けるかと思います。千秋と指揮者の現実とのギャップに苦しんでいる皆様は、イケメンのガイジンさんを眺めて心を癒して下さい。笑泣

今回のプログラムは、映画「のだめカンタービレ最終楽章」を彩った音楽(サウンドトラック選曲)を中心にのだめ物語のクライマックスをめぐる、のだめコンサート史上最も爆発的なものです。


(西ノ宮公演)
4/29:15:00開演
4/30:13:00開演
兵庫県立芸術劇場大ホール

・ラヴェル:「ボレロ」(千秋の就任前のボロボロマルレオケ)
・デュカス:「魔法使いの弟子」(千秋のオケ特訓)
・エルガー:「エニグマ変奏曲」より「ニムロッド」(マルレオケメンバーの悲哀と練習)
・チャイコフスキー:序曲1812年(千秋+マルレの爆発!大砲!)
休憩
・マーラー:交響曲第5番より「アダージェット」(のだめの雨と憂鬱)
・ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調全曲
(清良のカントナ国際コンクール挑戦、峰の応援)ヴァイオリンは、映画で吹きかえの演奏を担当した韓国人の国際的ソリスト、ペク・ジュヤンさんを特別招聘いたします。
ほか

お問い合わせ、御予約など

堺公演

5/5:15:00開演

ブラームスにかえて、ついに登場したヴァイオリン界の本格的大スター松田理奈を迎えて、清良の弾いた「カルメン幻想曲」と、マルレ・オケのオーディションシーンで用いられた「チゴイネルワイゼン」を両方聴いて頂きます。
また、人気曲のトップにランクインするモーツアルトの「オーボエ協奏曲」全曲を、オーボエ界イチ押しの若手、日本フィル首席奏者の杉原由希子を迎えて演奏いたします。

連休の一日、美しい音楽と、背後の巨大スクリーンに投影される「のだめカンタービレ」原作(マンガ)の画像、作曲家、作品への解りやすいリアルタイムコメントや映像とともにお楽しみ下さい。出演者サイン会も予定されています。よろしくお願いいたします。

茂木大輔

イメージ 2イメージ 1
ペク・ジュヤンさん。パガニーニ国際コンクールなど多数に入賞。
松田理奈さんにはこのアルバムの「カルメン幻想曲」を。夏(8月)の名古屋のだめコンサートではブラームスも共演の予定です。お楽しみに!(まもなく詳細発表・発売。)


 
・「英雄」以前の2つのシンフォニーの実体
 
(1)交響曲第1番ハ長調作品21
 
ハイドン・モーツアルト的な影響下にあり、あるいは当時の常識的なシンフォニーの形を踏襲している要素としては:
>4楽章構成、序奏つきアレグロ、緩徐楽章、メヌエット的舞曲、フィナーレという4つの楽章。
>その性格は、ドイツ的重厚感と推進力を持つ、ソナタ形式のアレグロ、歌謡性のある第2楽章、テンポの速い舞曲、愉快で爽快感のあるフィナーレ。
>長さは30分前後。
>管弦楽編成はモーツアルトのほとんどのシンフォニーを凌ぐ(「パリ交響曲(第31番)」「ハフナー(第35番)」とは同じ)が、実は当時は交代に用いられていた木管楽器を全部同時に4種類、2本づつにしたということ。
 
逆に:
革新的であるポイント(大きなもの)として
>序奏部冒頭がその調の主和音で始まらないという冗談、スリリングな開始。
>第2楽章は3拍子の遅過ぎることのないテンポで、ユーモラスな舞曲のようになっている。(まるで、第3楽章がメヌエットでなくなったことを補完するかのようでもある。)ただしこうした3拍子の緩徐楽章は一時期のハイドンが好んで用いたスタイルでも有る。ハイドンのそれは澄んで冷たく、ベートーヴェンのこれは温かいという違いが有る。
>第3楽章が優雅なメヌエットを離れて、実質的にスケルツオ(諧謔音楽)になっていること。
>第1楽章にも序奏があったのに、フィナーレにももう一度序奏が有る事。
 
などがあります。
 
♪ベートーヴェン:交響曲第1番より第1楽章、第2楽章、第3楽章、第4楽章
茂木大輔指揮もぎオケ室内管弦楽団
 
交響曲第1番は、部分的にはすでにベートーヴェンの個性を充分に表現した、入念で解りやすい交響曲、大きな演奏会に向いた表出力の強い音楽であると言えますが、その外見にはまだ多くのハイドン・モーツアルトが見えています。
 
(2)交響曲第2番ニ長調作品36
 
1番から3年後の1803年4月5日にアン・デア・ウィーン劇場で同じく自主演奏会で初演されました。同時には、交響曲第1番の再演のほか、ピアノ協奏曲第3番、オラトリオの意欲作「オリブ山のキリスト」。全曲がベートーヴェンの作品という構成でした。
詳細な比較は省略しますが、第1番に比べより規模を拡大した序奏部、展開部の精密さ、第2楽章の「田園」を思わせる自然賛歌の幸福感、クラリネット・アンサンブルのロマンティック。ここでは「スケルツオ」と表記された第3楽章の強い強弱対比の諧謔、どこまでも続く馬鹿騒ぎのような爆発的なフィナーレなどは、「この方法」における交響曲創作の限界点を感じさせるほどに充実しきっていて、聴く楽しみにはサービス過剰とも思えるほどの分量があります。この音楽をもって、「ハイドン型交響曲」は、ハイドン自身によらず、弟子たるベートーヴェンによってその臨界点まで運ばれたのではないでしょうか。
 
 
♪ベートーヴェン:交響曲第2番より1,2,3,4の各楽章
エリオット・ガーディナー指揮革命とロマン時代のオーケストラ
 
では、「この方法」ではない、交響曲を作る、「ほかの方法」とは何だったのでしょうか。その、待ち受ける時代を開く答えこそが、この1803年から創作された交響曲第3番「英雄」だったのです。次回はいよいよこの英雄交響曲の実体を聴いて行くことにしましょう。
 
2012年4月6日
茂木大輔
無断転載を禁ず
 

 
・モーツアルト
 
ハイドンの安定した「官僚としての」宮廷音楽家生活とは対照的な人生となったのがモーツアルトでした。天才少年として世界中を回って賞讃を受けた経歴をもちながら、結局楽長の地位を得る事がなくウィーンで早世したモーツアルトの「有名」シンフォニーに地名(パリ、リンツ、プラハなど)がつけられていることからも解るように、モーツアルトのシンフォニーは「旅先」での演奏を想定したものが多く、楽団の素性もよくは解らない状況のなかで、急いで作られたものが含まれています。
一方、父レオポルトとともに(一応)勤務していたザルツブルク宮廷のための多くの交響曲には、なにかの宮廷的な機会、多くは祝祭などを前提とした注文生産があり、モーツアルトの大きなオーケストラ音楽ジャンルであるセレナーデ、ディベルティメントなどと、様式的には大きな違いがないのです。(幾つかのシンフォニーはセレナーデの抜粋から作られたもの。)
早い時期からしかしそれらは、もちろん、モーツアルト音楽に特有の、甘くどこか夢見るような旋律と音色感をたたえていて魅力的です。しかし、それらの作品群が今日オーケストラの定期演奏会を飾る事はこの有名作家としては意外なほどに少なく、(ハイドンも同じ)「ベートーヴェン(エロイカ)以前・以後」の分水嶺の向こう側に、初期・中期モーツアルトの交響曲が置き去られた感は否めないのです。
 

・記録に残るモーツアルトの、自主演奏会におけるシンフォニーの上演状況
 
 
******************
 
1780年(パリ旅行帰還後)318日、ザルツブルク、モーツアルトの自宅で行われたコンサートのプログラム(ナンネルの日記帳から)
 
モーツアルト:シンフォニーK250
イタリア語のアリア
サリエーリの3重唱曲
フィアーラ:チェロ協奏曲
グレトリー作曲のアリア(ハープつき)
モーツアルト「偽りの女庭師」よりアリア
アンフォッシのオペラよりアリア
モーツアルト:アリア
(モーツアルト?)トランペット、ティンパニつき器楽曲?
 
*******************
 
17833月22日:ウィーンのホーフブルク劇場でのモーツアルトの予約演奏会
 
ハフナー交響曲の最初の3楽章
イドメネオよりアリア
コンサート・アリア
セレナーデK320より3,4楽章
ピアノ協奏曲K175,新しいフィナーレで
ルチオ・シッラよりアリア
即興フーガ(皇帝臨席のため)
パイジェッロの主題による変奏曲(ピアノ)
グルックの主題による変奏曲
コンサート・アリア
ハフナー交響曲のフィナーレ
 
*******************
 
17844月1日:ウィーンのホーフブルク劇場でのモーツアルトの演奏会
 
モーツアルト:ハッフナー交響曲
アリア
モーツアルト:ピアノ協奏曲(新作)
モーツアルト:新作交響曲(リンツ)
アリア
新作の5重奏曲(K452)
アリア
ピアノ即興演奏
シンフォニー(リンツのフィナーレ?)
 
************************
 
(ザスラウ:若松茂生訳「モーツアルトのシンフォニー」第2巻より)
 
 
 
・モーツアルトのシンフォニーがベートーヴェンに与えた影響
 
ハイドンからの影響が、シンフォニーの社会的機能と実験性にあったとするならば、モーツアルトからの影響は、ことに後期3大交響曲(39,40,41番)
からの、
>(3曲を一体に構想している)巨大な構想と一音もゆるがせにできない完成度
>緊張感と幸福感、旋律性と緊密性の同時実現
>非常に深い精神性
 
にあると思われます。作曲目的も上演史も不明なこの3曲ですが、その芸術性は上記のポイントにおいて突然それまでの創作を大きく超えています。
ベートーヴェンはことに第40番ト短調をウィーンで指揮、「運命」第3楽章の主題をそのフィナーレから取るなど、強いこだわりを示しています。
 
 
♪モーツアルト:ハッフナー・セレナーデK250より
コーリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団
 
♪モーツアルト;交響曲40番ト短調より第1、第4楽章、
リンデン指揮:アムステルダム・モーツアルト・アカデミー
 
♪交響曲第41番ハ長調「ジュピター」より第1、第4楽章
茂木大輔指揮もぎオケ室内管弦楽団
 
 
 
総括:
ヴァイオリンの、人数の多い合奏にオーボエを始めとする管楽器を加えてオーケストラが定着し、まずイタリアで、やがてドイツのでシンフォニー・コンサートが流行した。その中で才能ある楽長たちが日常の繰り返しのなか、実験や芸術性の盛り込み器としてシンフォニーを選び、やがてハイドンらによってそれは大きなジャンルに成長した。
18世紀の終わりまでに、シンフォニーは
>楽器編成の概要を弦楽器5部、オーボエ、ホルンそれぞれ2,補強または独立声部としてのファゴット1または2,とした。
以下状況により、フルート(1)の参加するもの、トランペット2とティンパニを含む「祝祭的交響曲」、(おもに西方において)クラリネット2本の参加するものなどがあった。
宮廷内のシンフォニーはハイドンの初期においては13〜15名、モーツアルトの一般的シンフォニーでも20名程度の人数で演奏できた。宮廷楽師のほか、執事などもヴァイオリンを習得して演奏に参加したし、トランペットなどは軍隊から応援された。
ロンドン交響曲はパート数で10〜15人の管楽器・ティンパニ、それに対応する弦楽器(20〜30名)で創作された。
 
 
>楽章構成を、急・緩・急の3部構成から、メヌエットを含む4楽章制とした。ハイドンは、ソナタ形式による第1楽章(しばしば荘重な序奏つき)、歌謡的で緩徐な第2楽章(変奏曲なども)メヌエットの第3楽章、軽快でユーモラス、最もテンポが速い、ロンド的なフィナーレの第4楽章、という構成でほとんど全てのパリ・ロンドン交響曲を作り、これを一つの定型とした。モーツアルトの後期シンフォニーもほとんどがこの形をとっている。後期モーツアルト、ハイドンのロンドン交響曲などは、長さが概略20〜25分、「繰り返し」を行えば30分以上という規模に成長していた。
 
>作曲家単位での創作ペースは、ハイドン(106)、モーツアルト(50曲程度)で、生涯に数十曲を残すシンフォニーストは普通であった。ほかに、オペラ、教会音楽、室内楽などを生産していたことを考えるならば、1曲にかけるおおよその生産時間が、モーツアルト後期3曲の2ヶ月余りという期間が、標準的とは言えないにしても能力を示しているものと考えられるだろう。この生産ペースは、19世紀の作曲家においては大幅にダウンすることになる。逆に言えば、作曲家はひとつのシンフォニーにかける時間を大幅に増やすことになっていったのである。
 
 
これが、ベートーヴェンが18世紀の終ろうとする時にシンフォニーを書こうとした取り組みの「前提」となった量的・質的なシンフォニーの「常識的外観」であった。
 
参考:
ハイドン、モーツアルト双方からベートーヴェンの受けた影響は、もちろん、シンフォニーというジャンルの中だけでは語る事ができない。ハイドンの天地創造等のオラトリオ、弦楽4重奏曲、モーツアルトのピアノ協奏曲やオペラは、ベートーヴェンが深く感銘を受けて模倣・習得しようとした音楽であった。
 

2
*ベートーヴェン(1770-1827)の(英雄以前の)交響曲
 
 
1800年(18世紀最後の年)4月2日、(午後6時半開演)ウィーンのホーフブルク宮廷劇場で、ベートーヴェンは自らの企画・投資によって自主演奏会を開催しました。
そのプログラムは
 
・モーツアルト:大交響曲(おそらく第39番、または「ジュピター」?など)
・ハイドン:「天地創造」よりアリア
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1
・ベートーヴェン:7重奏曲
・「天地創造」より2重唱
・ピアノ即興演奏
・「『新しい』、大きな、『完全な編成のオーケストラによる』交響曲」(第1番)
 
でした。(演奏会のポスターによる)
『』で示した事には大きな意味があります。
まずこれが「初演」であるということです。
ハイドン、モーツアルトのシンフォニーは、多くは宮廷関連のコンサートで消費されていて、「初演」という記録さえもほとんど残っていません。(ハイドンのロンドンでの活動を除く。)
交響曲を作曲し、その初演がこのように市民層までも含めた一般公開であったことが、まず非常に注目されるということ。このことは、楽団もまた、特定の宮廷楽団などをイメージせず、ウィーン在住の音楽家を自由に集めて大編成を取ったと考えられます。(注)次ぎに、「完全な編成のオーケストラ」と書かれていることで、この曲が持つ2本づつのフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペットの管楽器、ティンパニ、そして弦楽5部の編成が、この時点で「完全な」という理解であったこと。このことは、遡って、モーツアルトの後期3大シンフォニーや、ハイドンの多くの交響曲が(そこから見れば)「小編成」であった、という観念を認めるものです。
さらに重要なことは、この演奏会の選曲が、「シンフォニーで開始してシンフォニーで終る」という、上記に挙げてきた18世紀の習慣に則っているようでいながら、実は観賞の一番の重点を交響曲第1番の初演に置いている事が明らかである、ということです。今風にいえば「メイン」がシンフォニーの初演という図式でこの演奏会は企画されているということになります。
交響曲の実体についてはまもなく触れますが、ベートーヴェンはそのシンフォニー創作のスタートを(音楽的内容の全面的な刷新に先駆けて)、まずその「置き場所」「用い方」「聴かせ方」という対社会的な方法論を革新することからスタートしたということが言えるのです。
 
 
(注)大崎滋生先生は、この初演演奏会の非常に近い日程で、ハイドンの「天地創造」の大規模なチャリティー公演が毎年恒例で行われていた資料から、オケ、独唱者、さらには指揮者としてのハイドン、さらにはサリエリも、この公演にそのまま参加していたのではないかという説を話しておられます。
 
 
NHK文化センター講座
「スコアを読みながらオーケストラを聴きましょう!」シリーズ
2012年4〜6月期
 
4/95/216/18(月)18302030 
 
ベートーヴェン;交響曲第3番変ホ長調「英雄」を中心に
 
 
講座の概要予定
 
 
第1回:「英雄」以前のシンフォニー
 
ベートーヴェン以外の作家のシンフォニーと社会的な機能、演奏実態
(ハイドンの宮廷型、ロンドン型交響曲、モーツアルトのシンフォニーの、記録に残っている演奏会プログラムにおける位置づけ)
 
ベートーヴェンの交響曲第1番、第2番の内実、進歩性と初演状況、作家にとっての意味
 
*シンフォニー=器楽楽章=歌がないだけ、ポップスでは「インストゥルメンタル」(前奏、間奏、箸休め程度の意味。)であった。ベートーヴェンはシンフォニー公開の当初から、それを演奏会のメイン演目として意識していた。
 
 
第2回;「英雄」とプロメテウス音楽
 
 
英雄交響曲の4つの楽章の、先立つシンフォニーとの相違点
プロメテウス音楽と英雄
英雄交響曲の楽器法、構成法
変ホ長調の意味と性格
変奏曲フィナーレとプロメテウス:「最初、隠されている」ことの意味
持ち込まれている多彩なイメージ
初演(非公開、公開)と「独占演奏権」
 
*「英雄」はそれまでの交響曲とはあらゆる意味で大きく違っていた。それは実験であったか?実験の結果であったか。
 
 
第3回:「英雄」以後のシンフォニー
 
ベートーヴェンの、後続するシンフォニー(おもに5,6,7,9)と、そこに見る英雄創作の意義
ベートーヴェン以外の作家におけるシンフォニー(シューベルト、シューマン、ブラームスなど)と、エロイカへのオマージュ(マーラー第2番、ブルックナー4番、「英雄の生涯」ほか)
 
*「エロイカ」を作ったことは音楽を変えて行ったが、ベートーヴェン自身も変えて行った。「エロイカ」という履歴・過去を持つ作曲家としてのベートーヴェン、「運命・田園・第9」を素通ししてエロイカを見つめる後世の視線とは?
 
 
*内容は予定です。集まって下さった方と質疑応答を通じてお話ししながら自由に取捨選択して進めて行きます。
 
 
よろしくお願いいたします。

第1回レジュメ
「英雄」以前のシンフォニー
 
 
♪(音源を聴く記号です。)ベートーヴェン;交響曲第3番「英雄」第1楽章より
エマニュエル・クリヴィヌ指揮:ラ・シャンブル・フィルハーモニーク(当時の楽器による演奏)
 
*ベートーヴェン以外(以前)の作家のシンフォニー
 
・ベートーヴェンが1800年に交響曲第1番を初演して、19世紀型交響曲の歴史が開始されました。第3番「英雄」は、ベートーヴェンが創作上受けていた先人たちからの影響を大きく脱却したところから書かれています。
では、ベートーヴェンが受けていた影響とは誰からの、どのようなものであり、当時の作家・聴衆にとってシンフォニー(交響曲)とはどのようなものであったのでしょうか。言い換えれば、どんな前提でシンフォニーは提供され、受け取られるものと認識されていたのでしょうか。
それを知っておく事が、「英雄」の革命性・衝撃を理解する上でとても重要なことなのです。
 
・ベートーヴェン以前の(18世紀の)交響曲と言っても、我々が今日一般的に演奏し、聞くことが出来る曲は、その創作数の膨大さに比較して、非常に限定されています。それは、我々の時代の耳、精神が、その後の時代に作られた巨大な:チャイコフスキーやマーラーなどの:シンフォニーを聞き慣れていて、演奏会場も、コンサートという時間も、楽団も、指揮者という存在も、そうした(19世紀型の)交響曲を演奏・鑑賞するためのモノにほかならないからです。
(この淘汰はしかしすでに18世紀から開始されてもいたと言えます。)交響曲が、その起源とは全く異なる意味、魅力を備えて、「音楽史」を単独で作り上げて行くほどの力を持つ中心ジャンルとなったのは、間違いなくベートーヴェンの創作があったからであり、その転換点が「英雄」なのです。
 
 
・今日の研究では17世紀の終り頃から「ヴァイオリン・オーケストラ」としての合奏体が産まれて、イタリアで「コンチェルト」と「シンフォニア」などを演奏する「コンサート」(オペラ劇場以外の場所で)が発達したことが、シンフォニーの起源と考えられています。このころのシンフォニーは室内楽と区別が判然としないような、少人数、小規模な音楽でした。(例:サンマルティーニ、ヴィヴァルディの「シンフォニア」など)当時の感覚からは、「歌がなく、名手にしか弾けない独奏楽器もない」という意味の「合奏音楽」の総称が「シンフォニア」であったと言えるでしょう。
こうしたイタリアの文化は楽器・演奏者・楽譜のそれぞれが18世紀前半のドイツ宮廷に輸入(雇用)され、オペラ上演のできない中小宮廷含めて、大きく流行することになりました。やがてドイツ人の楽長たちもこれらを模倣した自作品を提供するようになり、いくつかの宮廷(マンハイムなど)は非常に優れたオーケストラと自前のレパートリー生産力を持つようになって行きました。
 
「ドイツ文化圏最大のバロック宮殿であるマンハイム宮は1742年に完成した。(中略)コンサートは王宮中央の「騎士の間」と呼ばれる大広間で週に1〜2回、水曜日もしくは土曜日に開催された。オーケストラは一方の片隅にしつらえた壇上に乗り、客席には高貴な人々が居並び、市民たちも立ち見で耳を傾ける事が許されたと言う。(中略)コンサートはふつう、始めと終わりにシンフォニーがあり、間になんらかの楽器のためのコンチェルトと声楽曲(アリアなど)が挟まれた。」(大崎滋生)「文化としてのシンフォニー」第1巻より)
 
 
 
・ハイドン
 
 
こうした流行は、オペラと教会音楽において独自の様式と巨大な宮廷楽団を持ちながら一時皇位継承戦争で実質的にそれを失った、ハプスブルク帝国の首都ウィーンとその周辺宮廷(有名修道院などは貴族の次男以降などが着任していて実質宮廷生活)にも進出することになります。その動きのひとつが、ヨーゼフ・ハイドン(17311809)をハンガリー・エステルハージ侯爵宮廷が楽長として(当初名義は副楽長)1761年に雇用したことでした。このとき宮廷には教会音楽を専門とする前任者が存命で、ハイドンは交響曲など器楽音楽の創作とコンサートの運営・指揮を任命されました。この生活は非常に長く、ハイドンが教会音楽やオペラ創作も命じられるようになってからも続きました。この当時多くの宮廷楽団は創立と解散を繰り返す、領主の代替わりや気まぐれ、破産などに容易に影響を受ける不安定な存在でしたが、エステルハージ家は巨大宮廷であって、領主は代替わりした若い時点で楽団を創設して文化に巨大な富を注ぎ込んで安定した地位にあったため、こうした生活が保証された事になります。
この、同じ宮廷(聴衆)、楽団を相手に、長い年月(20年以上)毎週の音楽会のためのシンフォニーを生産し続けたということには:
>飽きないように常に新しい要素を加えなくてはならない。
>楽団・聴衆とのあいだに共通理解があるために、多少複雑・深刻な芸術性を備えていても容認された。
という二つの側面がありました。このことが、ハイドンのシンフォニーを単なる合奏演奏の素材的な音楽から、類い稀な宝石のような芸術性で彩るようになっていったのです。
(1880年代以降のハイドンはまずパリからの、続いては自らも渡航したロンドンでの依頼に答えた公的環境のなかでのシンフォニーを作曲するようになり、様式は大きく平易になり、解りやすく、刺激や瞑想、緊張感は少なく、安定した明るい作風に変化しました。)ハイドンのシンフォニーは104番までと2曲、合計106曲があります。協奏曲風、合奏協奏曲風、教会音楽風、フーガ、冗談、世俗歌曲、変奏曲、劇音楽、オペラからの転用、民俗音楽、パロディ(自作のパロディを含む)など、多彩な、非常に幅広い様式と実験を含むそれらは、当時、全ヨーロッパで出版・複写などによって流通し、爆発的な人気を誇りました。パリでの音楽会のほとんどすべてがハイドンのシンフォニーで開始されていたという記録もあります。本人も知らぬうちにハイドンは超有名作曲家となっていたのです。
 
ここで音源を聴いて見ます。
 
♪ハイドン:交響曲第26番より第3楽章
♪ハイドン:交響曲第70番より第1、第2、第4楽章
♪ハイドン:交響曲第94番「驚愕」より第2楽章、第3楽章、第4楽章
茂木大輔指揮もぎオケ室内管弦楽団
 
 
・ハイドンのシンフォニーがベートーヴェンに与えた影響
 
この二つの側面:
1:シンフォニーが、機会音楽としての単純なもの、マンネリを超えて、作曲家の精神的な緊張・瞑想など芸術的な要素を盛り込む器となり得ること、=個別のシンフォニーが普遍性・実用性よりも作品としての個性を持ち得ることを証明している。
2:一方で、パリ、ロンドンなどの大きな会場で、不特定多数公開の聴衆を相手に上演するためのシンフォニーには、それにふさわしい規模(音量、長さ)を持ち、解りやすく、聴きやすい作風を用いて成功していること。
 
このふたつの、一見相いれないポイントを覚えておいて下さい。
(参考)
器楽だけで長い、大きな作品時間に聴衆の関心を惹きつけ続け、さらに散漫な、あるいは退屈な繰り返しの印象にならない、ということは作曲上非常に難しい課題であったと想像することができますが、ハイドンは、こまかい音のグループ(動機)を組み合わせて記憶しやすい旋律(主題)を作り、それを分解してあちこちで聴き取れるように配置してゆく、「動機的展開」の技法を発達させました。また大きな楽章を作るために「ソナタ形式」という、転調を伴う構成方法を主流に扱って、それを洗練させて行きました。
 
NHK文化センター青山校で講座を持ちます。


「スコアを読みながらオーケストラを聴きましょう!」シリーズ
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄(エロイカ)」を中心に
4/9、5/21、6/18(月)18:30〜20:30 


音源を聴いて頂きながら、シンフォニーというジャンルが持っていた意味の決定的な転換点となった、長大な「英雄(エロイカ)」交響曲に、その前、その後を見ながら親しんで頂きます。


イメージ 1



第1回:「英雄」以前のシンフォニー

ベートーヴェン以外の作家のシンフォニーと社会的な機能、演奏実態
(ハイドンの宮廷型、ロンドン型交響曲、モーツアルトのシンフォニーの、記録に残っている演奏会プログラムにおける位置づけ)

ベートーヴェンの交響曲第1番、第2番の内実、進歩性と初演状況、作家にとっての意味

*シンフォニー=器楽楽章=歌がないだけ、ポップスでは「インストゥルメンタル」(前奏、間奏、箸休め程度の意味。)であった。ベートーヴェンはシンフォニー公開の当初から、それを演奏会のメイン演目として意識していた。


第2回;「英雄」とプロメテウス音楽


英雄交響曲の4つの楽章の、先立つシンフォニーとの相違点
プロメテウス音楽と英雄
英雄交響曲の楽器法、構成法
変ホ長調の意味と性格
変奏曲フィナーレとプロメテウス:「最初、隠されている」ことの意味
持ち込まれている多彩なイメージ
初演(非公開、公開)と「独占演奏権」

*「英雄」はそれまでの交響曲とはあらゆる意味で大きく違っていた。それは実験であったか?実験の結果であったか。


第3回:「英雄」以後のシンフォニー

ベートーヴェンの、後続するシンフォニー(おもに5,6,7,9)と、そこに見る英雄創作の意義
ベートーヴェン以外の作家におけるシンフォニー(シューベルト、シューマン、ブラームスなど)と、エロイカへのオマージュ(マーラー第2番、ブルックナー4番、「英雄の生涯」ほか)

*「エロイカ」を作ったことは音楽を変えて行ったが、ベートーヴェン自身も変えて行った。「エロイカ」という履歴・過去を持つ作曲家としてのベートーヴェン、「運命・田園・第9」を素通ししてエロイカを見つめる後世の視線とは?


*内容は予定です。集まって下さった方と質疑応答を通じてお話ししながら自由に取捨選択して進めて行きます。


よろしくお願いいたします。


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