茂木大輔:もぎ議録

クラシック音楽は理解して聴けば感動100倍!が活動のモットー。まずは自分が理解しよう・・・(笑)

もぎぎの日常雑感

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3:チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調:作品36の実体
 
第1楽章
序奏部:アンダンテ・ソステヌート、3/4
「エフゲニ・オネーギン」のポロネーズと同じリズムのファンファーレで開始される。短い序奏の間に頻繁に転調する、というよりも調性が安定しない不安な構成と、ほとんど同じ音(Ab=G#)を反復しているファンファーレの対照が鮮烈。
(譜例:ホルン1,2冒頭4小節間)
 
主部:ヘ短調:モデラート・コン・アニマ(動きを持って、中庸に)、9/8
第1主題から静かに始まるが、「ワルツの動きで」と注記されている。
(譜例:第1ヴァイオリン27〜31小節/3個目の音まで)
この主題は本来、3/8が3つ集まった拍子である筈の9/8を、3/4のワルツにもうひとつ小さなワルツ(3/8)がくっついた非常に複雑、憂鬱なリズムを持つ。
ちなみにチャイコフスキーはビゼーの「カルメン」を珍しく激賞しているほど評価していたが、この主題にはカルメン第3幕への前奏曲(アラゴネーズ)へのオマージュも感じられる。
(可能なら譜例:カルメンよりアラゴネーズ、オーボエ・ソロの4〜5小節)
 
第2主題:変イ短調:モデラート・アッサイ・クワジ・アンダンテ(充分にゆっくり)
譜例(クラリネット1;115-117)
ファゴットによって夢見るように導かれ、これまたワルツの動きをもって迷いながら歌われる。最後の溜め息は多くの楽器にエコーして拡がって行く。
要所要所のクライマックスに、序奏のファンファーレが回帰して形式を明瞭に示している。
第1楽章は全曲の中で最も長く、また主題自体が無限旋律的でとりとめなくどこまでも続いて行くような印象があるため、演奏も観賞もやや苦痛です。(笑)
 
第2楽章:アンダンティーノ・イン・モド・ディ・カンツオーナ(やや遅く、民謡の様式で)、2/4
 
 
第1楽章が唐突な軍隊行進曲と崩壊するワルツの中でバレエの幕切れのように終わると、オーボエ独奏で第2楽章が始まる。
 
第1主題:変ロ短調
譜例(オーボエT1〜5/1)
 
オーボエには、「素朴に、しかし上品に」と、上記のテンポ表記と強弱を含めると5つもの要求が書かれている。
 
中間部 :ヘ長調:ピウ・モッソ(少し速く)
譜例:(クラリネット126-129)
 
再現部では第1楽章の第2主題にあった、「溜め息」の音型が回想される。
 
第3楽章:「ピチカート・オスティナート」(ずっとピチカート)
ヘ長調:アレグロ(快活に)2/4
譜例:(第1ヴァイオリン;T1〜8)
 
主部は弦楽器のピチカートのみで演奏される独創的なもの。連想されるヨハン・シュトラウス兄弟の「ピチカート・ポルカ」は1869年、ロシアのサンクト・ペテルブルクで書かれたと言われている。なお、チャイコフスキーの管弦楽作品を一番最初に公開演奏したのは、ロシアを訪れていたヨハン・シュトラウスの楽団であった。(性格的舞曲。1865年8月30日、パバロフスク。)
 
 
中間部:イ長調、メノ・モッソ(少し遅く)*管楽器のみ
 
突如としてオーボエが永遠に続くピチカートを破って飛び出してきて、たちまちバレエの男性舞踊手のような賑やかな場面となる。金管楽器は軍隊行進曲で参入し、テンポ・プリモ(最初のテンポで。)となる。
 
主部が再現されて、全楽器が入り乱れ唐突に転調するユーモラスなコーダがフィナーレを準備する。
 
第4楽章:ヘ長調 アレグロ・コン・フオッコ(燃えるように快活に)、4/4
 
全合奏に打楽器が加わり華々しく第1主題が演奏される。
譜例:(第1ヴァイオリン:1〜4)
 
すぐに静まってまだその位置ではないが第2主題が演奏されてしまうのは、この旋律の役割を「経過句と同時にのちには主題である」という、複雑なものにしている。なお、このテーマはロシアの有名な民謡「野に立つ白樺」の引用である。
 
譜例:フルート1(10〜13)
(第1主題の大興奮が終わったあとには、オーボエで改めて演奏される。)
 
このふたつの主題は展開部をもたないまま比較的単純に反復されて、クライマックスには冒頭のファンファーレが大々的に回帰して、狂乱のコーダを導く。
 
*全体を貫く「野に立つ白樺」(民謡)
 
全体を俯瞰すると、上記の譜例を参照して頂けば明瞭なように、この交響曲の重要な旋律はすべて、3,ないし4個、あるいはそれ以上の音が順次(音階のように)「下がってくる」ことによって作られている(統一されている)のがわかる。一見、民謡的で歌謡的な旋律を散発的に並べているようにも思えるこのシンフォニーは実はブラームスなどのように強固な作曲技法によって統一感が作られていた。
この下降旋律は、唯一チャイコフスキーの創作ではない民謡の引用である「野に立つ白樺」(第4楽章の第2主題)に由来していると考えるのが自然である。
ベートーヴェンのようにスケッチなどから作曲の具体的な経緯が判明していないため、一番最初にこの民謡の引用を決めてから全体を作っていったのか、あるいはこうした統一を作りながら作曲して、フィナーレに来てからあまり深い意味無く、下降旋律を持つからと引用したのかは不明だが、結果としてこの民謡は非常に重要な位置におかれることになった。
・・・・・・・・・・・・・
まとめてみましょう。
*一見民謡風、バレエ風で気軽に書かれたように思われるテーマは、全て下降旋律を冒頭に持っていて厳格に統一感が作られています。
また、冒頭から鳴り響くファンファーレ、チャイコフスキーの言葉で「運命」は、展開部の冒頭や再現部直前、コーダへの突入前などの形式上の要所で鳴り響き、形式を解りやすくする際立った効果を持っています。
結果的に、このシンフォニーの魅力は
 
・大きな構成感と、静寂と爆発の間、主題同士、それぞれの楽章の間などに作られた大きなコントラスト
 
・逆に、長い時間を聞いても散漫にならない統一感、緊張感の維持
 
・バレエ音楽で培ったリズム、ことにワルツなどの扱いと、音楽だけで(歌がなくても)ストーリー性を感じさせる運び。
 
・ソロからユニゾン、トゥッティ、複雑な拡散にいたるまで、木管、金管(ホルン)、打楽器、弦楽器、様々な楽器の魅力を効果的に配置する管弦楽法に熟達していること。また、オーケストラの楽器もこの時代にはベートーヴェンのころよりも格段に進歩していて、そうした楽器を前提に長いソロ、迫力あるオーケストレーションなどが可能になった。これも作品に大きなドラマと緊張、魅力を与えている。
 
・ロシア民謡を引用し、その旋律に下降旋律の源泉を求めるなど、諦観のある、メランコリック、ノスタルジックな旋律の魅力と、ドイツ音楽と大きく異なった雰囲気、色彩感を得ている事。
 
言わば「非常に巧みに作られた、しかもロシア人ならではの交響曲である。」ということになります。
 
 
さて、ここまで理解した上で、メック夫人にあてた本人の解説を読んで見て下さい。

 
 
 
4;メック夫人への手紙に書かれた「交響曲第4番」の解説
 

*メック夫人にあてた手紙に残るチャイコフスキー自身の解説(引用)
訳:宮澤淳一
 

4:メック夫人への手紙に書かれた「交響曲第4番」の解説
*メック夫人にあてた手紙に残るチャイコフスキー自身の解説(引用)
 
…… 私たちの交響曲には確かに標題があります。つまり、この交響曲が表現しようとしていることは言葉で表現可能です。ほかならぬ貴方にだけは、交響曲全体と個々の楽章の意味を説明できますし、またそうしたい。
 導入部は交響曲全体の核で、絶対的に重要な楽想となっています:
 
 これは宿命です。幸福追求の情熱を妨げる、あの運命の力です。幸運と安らぎがきちんと成就しないように嫉妬深く見守っている。ダモクレスの剣のように常に頭上につり下がり、絶えず心を苦しめる。避けられないし、とどめることもできない。おとなしくして、嘆くことしかできない:
 
 喜びも希望もない気持ちは、いっそう強まり、激しさを増します。現実から背を向けて、夢想に耽る方がよさそうです:
 
 ああ、実に心地よい!少なくともこれは甘美でやさしい夢です。ありがたいことに、立派な人物らしき姿が現われ、どこかへ手招きします:
 
 ああ、何て素晴らしいのでしょう!アレグロのしつこい主題ももはや彼方です。夢はほんの少しずつ心を満たしていきます。陰鬱で嬉しくないものは、すべて忘れ去られる。ええそうです。これが幸福なのです!
 だめだ、所詮は夢だ!宿命は、夢の中からさえ立ち現われる:
 
 結局、人生とは、つらい現実と、幸福をめぐる束の間の夢とが絶えず交替しているにすぎない。安らぎの停泊地などないのです。海に呑み込まれて深みに連れ去られるまで、せいぜい航海を続けているがいい。第1楽章の標題とは、ほぼこのようなものです。
 交響曲の第2楽章は、憂愁(タスカー)の別の段階を表現しています。夕方、ひとり腰掛け、仕事で疲れたまま、本を手に取るが、ふと落としてしまう。そんなときに催すメランコリックな感情です。次々と思い出が浮かぶ。いかに多くのことが過ぎ去ったのかと嘆き、青春を思い出して懐かしむ。過去を嘆くばかりで、人生をやり直す気はない。人生に疲れたのです。休んで周囲をみまわすばかりでいる方が楽しい。いろいろな思い出が甦る。若い血が燃えたぎり、充実感に満ちた悦ばしい時もあった。辛い時も、償いがたい損失もあった。みんな遠い昔の話だ。思い出に浸るのは悲しいが、甘美でもある。
 第3楽章は、特定の心情を表現していません。気まぐれなアラベスクであり、酒を飲み、酩酊の第1段階を体験しているときに空想の中で駆け抜けていくような捉えにくいイメージです。愉快でもなければ悲しくもない。何を考えているわけでもない。想像をたくましくすると、なぜか奇妙な素描を導いてしまった。そんなイメージの中で、いきなりほろ酔い気分の農民たちの絵が思い出され、町の歌が聞こえてくる……。どこか遠くで軍隊の行進が通り過ぎる。寝入りばなの脳裡にうかぶ脈絡のないイメージです。現実とは無関係で、奇妙で、突飛で、何のつながりもない……。
 第4楽章。自分自身の中に喜びの動機が見つからないならば、他人に目を向けよ。そして民衆の中に足を踏み入れるのだ。彼らが無限の喜びに浸って楽しむ様子を見たまえ。民衆がお祭り騒ぎをしている絵です。我を忘れ、他人の喜びの場面に浸り切りかけたとたんに、執拗な宿命がまた現われ、自己主張をする。だが人々は気に留めない。振り向きもしなければ、一瞥もかけてくれない。こちらが孤独で悲しんでいるのを知らないのだ。それにしても彼らは何て陽気なのだろう。率直で飾りがない。悪いのは自分なのだから、この世は悲しみだらけなどと言うべきでない。素朴で力強い喜びはある。他人の喜びを喜ぶがいい。とにかく生きていけるのだから。さあ私の親愛なる友よ、交響曲をめぐる私の説明は以上です。やはり不明確かつ不完全であって、そもそも器楽は仔細な分析にはそぐわない。ハイネの指摘どおり、言葉の終わるところから、音楽は始まるのです。  ……
(訳:宮澤淳一)
 
宮澤淳一著:「チャイコフスキー・宿命と憧れのはざまで」
ユーラシア・ブックレット92
ユーラシア研究所企画/東洋書店
より引用させて頂きました。


新潟りゅーとぴあでのコンサートです。
チャイコフスキーの人生の大きな転機の年に産まれた劇的すぎる交響曲。お楽しみに!
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チャイコフスキー:交響曲第4番徹底解説
 
 
ごあいさつ
 
皆様、新年あけましておめでとうございます。
「徹底解説」シリーズに長く、熱心な御支持を頂きまして深く感謝しております。こうしたシリーズを継続することには深い意義があると確信しておりますが、全国的にもなかなか成功例のないなかで、着実に、丹念に続けてくる事が出来たのは、なにより聴衆の皆様と、りゅーとぴあのスタッフの熱心なサポートのおかげです。これからも、オーケストラ音楽の奥深さ、知れば知るほど本当に面白いその内容について、少しずつではありますが御一緒に楽しんでいければと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
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さて、今までベートーヴェンの交響曲やウィーン古典派(ハイドン、モーツアルトなど)の音楽を中心にお話ししてきたこのシリーズですが、今回は少し時代を下って、19世紀後半にロシアで活躍したチャイコフスキー(1840-1893)の、「交響曲第4番ヘ短調:作品36」についてお話しして見ようと思います。
チャイコフスキーの音楽は日本でも非常に愛されているもので、「好きな作曲家」のアンケートをしたら上位に入るのは間違いないでしょう。「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」などのバレエ音楽、ピアノやヴァイオリンのための協奏曲、そして第6番「悲愴」やこの4番、5番に代表される交響曲などは、年間を通じて膨大な演奏回数を誇っています。ベートーヴェン、ブラームス、ドボルジャークと並んで、チャイコフスキーの音楽は我々プロのオーケストラのみならず、アマチュア・オーケストラにとっても、初心者、子供たちや女性も含めたすべての聴衆にとっても、最も重要なレパートリーの一つとなっているのは御承知の通りです。
 
しかし、チャイコフスキーの音楽について調べてみようとすると、不思議な、目に見えない壁のようなものにぶつかります。日本でも幾つか読む事の出来るどの伝記も、人生についてはそれなりの記録を同じように紹介し、行動の記録も、年表も、作品表も整っています。かつてはロシア語という言語やロシアーソビエトという国家の秘密主義的体制の壁に阻まれてきたとは言え、今では作家のイメージにマイナスになるような物も含めて、膨大な書簡や資料も次第に公開されてきてもいるようです。
しかし、作品から受けるあの甘く、劇的で、時には憂鬱な特徴と、一度聞いたら忘れられない旋律の魅力が、一体どのような人間性や人生の出来事に裏付けられていたのかをはっきりと描き出してくれる資料・評伝は皆無と言ってもよく、伝記作者、研究者たちは一様にこの点に苦労しているように見えます。そもそもチャイコフスキー自身が非常に内向的で、精神的にも病的な状態にあり、自作についてなにか語った記録や、書き残しているものがほとんど無いのです。
 
こうした、作品への情報の少ないなかで今回、この企画を作るきっかけになったのは、この「交響曲第4番」については作曲家自身がパトロンであったフォン・メック夫人(あとで詳しく書きます。)に宛てて詳しく解説した書簡が残されている、ということでした。
しかし、企画を進めるうちに、実はチャイコフスキーの人生や環境には、伝承することが難しかったいくつかの事情が存在し、この書簡そのものの意味もまた随分変わって読めること、いや、文字通りに受け取ってしまうことが危険であることがわかってきたのです。
今日は、いくつかの視点からこの交響曲とチャイコフスキーの人生を改めて見直して見ると共に、初めてお聴きになる方にも解りやすく楽しんでいただけるような解説を試みて、後半には全曲の実演をお聴き頂きたいと思っています。
最後までごゆっくりとお楽しみ下さい。
 
 
茂木大輔
 
 
 
1:「五人組」とチャイコフスキー
 
 
チャイコフスキーの創作環境を理解するために欠かせない事は、そもそも、19世紀の前半まで、ロシアには交響曲を作曲出来るような作曲家は誰もいなかった、ということです。
歴史上最初にロシアで演奏会に取り上げられるような交響曲などを作曲したのはドイツ系ユダヤ人であったアントン・ルビンシテイン(1829-94)で、第1番は1850年の作曲。ショパン、リスト、メンデルスゾーンなどと交流を持ち、のちにはペテルブルクにロシア音楽院を創設するなどしてロシアにおける芸術音楽の創始者となりました。言い換えれば、音楽を専門に学んだプロの作曲家、音楽家が登場してくるのは、これより後の時代に限られていたということになるのです。
しかも、この後に続いた作曲家たち、ことに「ロシア5人組」と呼ばれた、ボロジン、キュイ、バラキレフ、ムソルグスキー、リムスキー・コルサコフなどは、ロシア・ナショナリズム音楽の推進を目指して、反西欧(ドイツ)、反アカデミズムなどを標榜して活動し、事実彼らの多くは別に科学者、軍人などの職業を持つアマチュア(独学)でした。
そのため、創作の主流はロシアの国民的題材によるオペラなどにおかれ、また、ドイツ的な作曲論に精通するよりは、アマチュア的な粗野で素朴な作風がよしとされる風土を持っていたのです。
 
 
 
バラキレフ
 
 
 
キュイ
 
ムソルグスキー
 
ボロジン
 
リムスキー・コルサコフ
 
チャイコフスキーの創作は、初期においては民謡の用い方などがこうした流れに添うものとして評価されたりしましたが、やがてアカデミックな作曲技術にも長けている事が明らかになるにつれて、彼らから強い批判を受けるようにもなりました。
19世紀半ばに始まったチャイコフスキーの時代当初には、「ドイツ的な交響曲をそのまま踏襲して、シューマン以降の系譜に連なる創作を行う」という選択肢は国内文化人から強い批判を浴びるものであって、ロシアにおける芸術音楽の歴史は、同時にロシア国民的音楽の創作という特殊な限定性と不可分であったことがわかります。チャイコフスキーは法律学校出身で一度は法務省に勤務したインテリですが、ドイツ的な作曲技法の習得に極めて熱心であり、モスクワ音楽院の創立と同時に作曲家の教師に招かれたことからも、その技量が高かったことは間違いありません。
こうした技法習得と、ロシア民謡を用いて「独自の」音楽世界を創造してゆくという両方の命題を満たしたところから、チャイコフスキーのロシア国内、また反対に西欧での評価は高まっていくことになりました。交響曲第4番は、そうした、確立した内外での名声を前提に、いよいよ国際的な芸術家としてチャイコフスキーが踏み出した大いなる一歩であり、世界的に演奏されるようになった最初のロシア交響曲になったのです。
 
2;交響曲第4番の年
 
 
こうした歩みを経て、交響曲第4番が作曲された1877年の近辺は、作曲家としてのチャイコフスキーにとってどのような時期であったかというと:
 
ピアノ協奏曲第1番完成=初演(1875:11/1@ペテルブルク)
バレエ:「白鳥の湖」完成=初演(1877:2/20@ボリショイ劇場)
歌劇「エフゲニ・オネーギン」(1878:1/20完成)
「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」の完成(1778)
 
と、チャイコフスキーが今日最も親しまれている作品群が立て続けに産み出された、いわば、ベートーヴェンの「名作の森」に相当する円熟・最盛期であったことがわかります。
ちなみに、交響曲第3番「ポーランド」は1875年に完成、また、臨席していたトルストイを弦楽4重奏曲第1番(「アンダンテ・カンタービレ」を含む)が涙させたことがチャイコフスキーの幸福な記憶となった演奏会は1876年の12月の出来事でした。
それ以外の、この時期における主要な作品は以下の如くです。
・「ロココ風の主題による変奏曲」(1876)
・「スラブ行進曲」(1876)
・弦楽セレナーデ(1880)
 
さて、この1877年は、大事件の少ないチャイコフスキーの生涯で最大の転機となった年でした。その転機は二人の女性からの手紙によって、全く異なる方向、方法からもたらされました。
一人はナデージダ・フィラトレーヴナ・フォン・メック夫人。前年に、鉄道技師であった大富豪の夫を亡くしたばかりの45歳の未亡人で、非常に音楽を愛している人物でした。86年の手紙(熱烈なファンレターと言える内容でした)をきっかけにメック夫人は14年間にわたってチャイコフスキーと膨大な書簡を交換して文通し、また、非常に高額な年金や、作曲の依頼によってチャイコフスキーを経済的に支援し続けました。
メック夫人
 
二人は「決して実際には会わない」という奇妙な約束を取り交わし、現にたった一回偶然出会ってしまったことを除いては本当に文通だけの関係を続けました。
彼女の支援によってチャイコフスキーはそれまで少なからず負担を感じていたモスクワ音楽院での教職を離れて、生活の心配をすることなく自由に作曲に没頭できる身分となったばかりか、パリやイタリアなどにたびたび旅行して贅沢に豪遊する生活を手に入れる事になりました。
手紙には内面を深く打ち明ける部分も時としては見られ、チャイコフスキーの生涯にとっておそらく最も重要な人物の一人は間違いなくこのメック夫人だったと言えるでしょう。
 
もう一人の女性とは、77年の4月に手紙を寄越したアントニーナ・ミリューコヴァという、自称もとモスクワ音楽院の学生でした。この女性は非常に積極的にチャイコフスキーに接近し、7月には突然のように結婚式が行われて二人は夫婦となります。しかし、チャイコフスキーはすぐさま逃亡し、自殺を図るなどノイローゼとなり関係は破綻。以後この女性と会う事はないままに、離婚もままならず仕送りだけを続けると言う束縛関係に陥りました。
 
 
チャイコフスキー夫妻(1877)
 
 
こうした、天国からの恵みと地獄の束縛が同時に訪れていた最中、「交響曲第4番」は着手、作曲され、77年の終わりには滞在していたヴェネツィアのホテルで完成しました。チャイコフスキーはこの作曲の進行状況についてメック夫人に伝えていたほか、完成後にその内容について解説さえ書き送っています。
そしてこの作品はメック夫人に「最良の友に」という言葉で献呈されました。
 
この手紙の全文はあとで引用することとして、まず、交響曲第4番のおおまかな説明をいたします。
 

御挨拶

年頭に当たり、皆様に御挨拶を申し上げます。本年が皆様にとって素晴しい、健康な、不安や悲しみのない一年でありますように、心よりお祈り申し上げます。また、旧年中はひとかたならぬ御厚情を賜りまして、心から御礼申し上げます。
2013年元旦 茂木大輔・拝
 
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今回は「第九」のお話しです。意外と知られていない、知って聴くと長い第九も怖くないポイントを御話ししています。ぜひ!

ちなみに来月は年末特番のためおやすみです。



http://iwaki-alios.jp/cd/app/index.cgi?CID=event&TID=PAGE&dataID=00944ベートーヴェンの時代のコンサート、オーケストラ

 

ベートーヴェンの作った、9曲ある交響曲はいずれも規模が大きく、濃い、深い、衝撃的な内容を湛えていて、オーケストラがコンサートで演奏するにはもっともふさわしい音楽になっています。

こう、わざわざ書くと不思議な気持ちがするかも知れないのですが、ベートーヴェンの時代にはシンフォニー(交響曲)は決してコンサートのメインの出し物ではなく、そもそも、公開で切符を売って行われる「コンサート」という催し自体が珍しいものでした。今日「音楽の都」とまで言われるウィーンに、当時はコンサート専用のホール、さらには公開コンサートを主任務にする「交響楽団」はひとつもなかった、ということを、皆さんは信じられますか?

何より好まれていたのはオペラ(歌劇)であり、そこで活躍する歌手や楽器の名手たちが時折、レストラン、貴族の館、舞踏会場、大学の講堂などを借りて開かれる「予約演奏会」を企画し、あるいは相互に出演して、一定の収入をあげていたのが当時の公開演奏会の実際でした。「公開」と書くのにも理由があります。当時は全てのオーケストラは貴族の宮廷、または教会(教会が宮廷に付属していることも多々ありました。)に所属するものであり、当然、雇い主の貴族とその賓客だけのために晩餐や娯楽としての宮廷音楽会のなかで演奏していました。大きな意味ではウィーンなどの「宮廷歌劇場」のオーケストラもまた宮廷管弦楽団の一種でした。

こうしたコンサートのなかでシンフォニーが占める位置は、多くは演奏会の開会、閉会にさいして演奏され、雰囲気を作ったり、遅刻しても(当時はロビーや桟敷で食事やカードをするのが当たり前でした。)大丈夫なようにワンクッションおいてスター歌手が登場したりという、「前座」の意味が大きかったのであり、ハイドンやモーツアルトのシンフォニーも、多くはこの目的で演奏されていました。(ロンドンにおけるハイドン交響曲の大人気には、一歩進んだ意味があり、交響曲はすでにメインの呼び物でしたが、これは例外と言えるでしょう。)

 
 

ベートーヴェンのシンフォニー

 

こうした環境のなかで、ベートーヴェンは、自らの交響曲を、それまでとは大きく違った位置づけで聴衆にアピールしようとしました。

彼の9つのシンフォニーのほとんどは、ベートーヴェン自身が自らの企画と投資によって自主的+公開で行った演奏会で初演されました。ことに、この「運命」と「田園」が同時に初演された18081222日の演奏会は巨大なもので、演奏時間が4時間を越えたとされています。

こうした演奏会のためには、ベートーヴェンはまず会場を抑えなくてはならず、この時は(アン・デア・ウィーン劇場)さらに、宮廷歌劇場管弦楽団のメンバーや、そのほかの宮廷楽師、フリーの音楽家などを個別に契約してオーケストラを編成する必要がありました。オペラは通常ほぼ毎日上演されていたために、会場や楽団をチャーターするには4月と12月にあるキリスト教の理由からオペラが上演できない時期(四旬節・降待節)にコンサートを開くのが都合よく、ベートーヴェンの演奏会は多くがこの季節に集中していました。

こうした苦労の背景には、ベートーヴェンが、宮廷のためにお仕着せの作品をハイペースで生産していく「楽長」ではなく、自らの作品に圧倒的な魅力・深み・規模を与えて、貴族、市民などの階級を問わず聴く者を大きな感動に導けるという自信と、その象徴としての大オーケストラによる交響曲を創る意識がありました。結果として歴史は、こうした自らの確立した創作に生涯を捧げる「作曲家」と、彼らの作品を市民が公開の演奏会で聴く「コンサート」、そのために編成された「交響楽団(オーケストラ)」そして、作曲家たちの死後にも演奏全体を統括するため必然的に発生した専門職としての「指揮者」が主流となって行ったことは、皆様が今日も体験されている通りです。

 
 

「運命」と「田園」

 

上記のように、同時に作曲され初演された二つの交響曲は、音楽史の中でも最も愛され、繰り返し演奏されてきた音楽となりました。

厳しく、闘争的で男性的、かたや素朴で心暖まるのんびり系、など、様々な意味で対照的な二つの作品ですが、そもそも題名が、「運命」はあやふやな伝記作家(シントラー)の発言による俗称でベートーヴェンとは関係がない反面、田園(パストラール)はベートーヴェン自身の命名であることや、「運命」が伝統的な4つの楽章で作られているのに対して「田園」は5つの楽章を持つことなど、様々に異なっています。

しかし、この二つの交響曲は、どちらもそれ以前のシンフォニーからは大きく逸脱・飛躍した、全く独自の意味を湛えた音楽であるという点で(だけ)は共通しているのです。

 
 

「運命」(交響曲第5番ハ短調)について

 
 

「運命」は、苦闘とも言える苦しく緊張に満ちた音楽から開始され、かいま見る慰めはことごとく激しい音響によって打ち砕かれるという極めて悲劇的な第1楽章を持っています。英雄の行進と短い勝利のような第2楽章にも闘争の緊迫はつねに忍び寄っておりますし、楽章の後半には傷ついた兵士の行進さえもが聴かれます。第3楽章の、地獄からの呼び声のような開始に答えるホルンの咆哮は、本来ここに置かれるべき宮廷舞曲の優雅なメヌエットを遠く蹴散らしたグロテスクで残酷とも言える音楽。中間部の、コントラバスの踊りに不器用なユーモアが漂えば、あとは骸骨の乾いた音が響くばかりの死の世界となります。しかし、この絶望と虚無が、変イ長調への偽終止と同時に温かな風とティンパニの連打によってかすかに呼び起こされるとき、みるみる差し込んでくるまばゆき光は、ついに大管弦楽の爆発のような歓喜となって我々を包みます。この音楽を聴いて勇気づけられない、元気にならない人間はきっといないでしょう。

言わば、この作品は、あらゆる人間の人生にきっと存在する深い苦しみ、心の葛藤や迷い、絶望を経て、ついには勝利に至るという強い激励のメッセージを持つ「人間交響曲」であると言えるのです。

 
 

「田園」(交響曲第6番ヘ長調)

 
 

日本語の「田園」という言葉は田んぼ、人工的にお米を作るために整えられた場所、を含みますが、ヨーロッパの「田園」パストラールは、羊飼い、毎日の平和、奏楽、ひいてはキリスト生誕とのイメージの接近などを持つ言葉です。

この作品にはベートーヴェン自身が、田舎の生活の想い出、と書き添えたり、5つの楽章それぞれにも「田舎に着いた時の愉快な気分の目覚め」や、「小川のほとり」「田舎の人々の愉快な集い」「夕立・嵐」「羊飼いの歌・嵐の後の、神への感謝に結びついた満ち足りた気持ち」などの標題をつけているために、一種の「描写音楽」として考えられてきました。しかし、ベートーヴェンは「絵画と言うよりも感覚の表現である」と副題しており、その性格は極めて特定し難いものをはらんでいると言えるでしょう。

現象面から見るならば、音楽において伝統的に用いられてきた「パストラール」の象徴であるバグパイプの響き(空虚5度)と、12/8,6/8などのリズムは、それぞれの楽章で注意深く分散されて(不完全なまま)準備され、この交響曲は最後の第5楽章において初めて完全なパストラールの形を表すように設計されていると見る事ができます。美しく心地よさに満ちているがほとんど変化や緊張のない自然そのものを描く第12楽章、素朴で無知な(作曲上のおかしな音をわざと使っています。)人間を描く第3楽章、その楽しい集いを大音響で一気に押しつぶす嵐の第4楽章。そして、その後に訪れる神への感謝が、初めて人間の心を自然と一体として、おだやかで美しい祈りの音楽が紡がれて行く第5楽章。楽園はここで完成することになるのです。

「運命」がまさに人間の(内面の葛藤の)交響曲だとするならば、「田園」は、人間の外にある自然と、それを創りたもうた創造主(神)、そしてその創造物の一つ、自然の一部である人間という存在を問う、「自然と神の交響曲」であると言えるのです。

大きな自然の脅威、災害に遭遇したとき、人間は神の意志、采配、恐怖を感じ、それが過ぎ去ったとき、感謝と安堵を覚えることでしょう。ベートーヴェンは、人間の、苦悩に打ち勝つ強い力を信じるとともに、そうした神への畏怖と尊敬をも、このような美しい音楽の中に表現していたことになります。

 

皆様がこの二つの交響曲を、今まで以上に深く愛して下さり、これからの人生の友として時折耳を傾けて下さるならば、演奏家・解説者としてこれ以上の喜びはありません。最後までゆっくりとお楽しみ下さい。

 
 

茂木大輔

 

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