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「1993年7月20日・・・ 広島カープの ” 炎のストッパー ” 津田 永眠」 の記事が新聞に掲載。
32歳という若さだけに世間の同情も大きく、広島ファン以外の方も、野球や津田を知らない方からも嘆きの声多々。死因は悪性脳腫瘍。 母親も癌で死去したことから、本人も遺伝性面に対し不安を感じていたようです。
これは遺伝学に基づくデータの一部ですが、癌は細胞の変形性であり、誰にでもその要素はあるそうですが、両親のうち、特に母親に癌発病の要素があると、子供の発病要因が高まる傾向にあるそうです。 胎児は母体から生まれるのですから、そういった傾向が高まる事は自然的ではありますが、細胞変形は生後約30年以降に起こると言われる中、津田の32歳という生涯年数はピタリと当てはまるあたり、不幸だったとしか言いようがありません。
中学時代から速球投手として有名で、南陽工(山口)時代の1978年(昭和53年) 第50回 センバツ甲子園大会に出場。 140km中盤の快速球を武器に、1回戦=刈谷(愛知)1−3 2回戦=東海大四(北海道)1−7 で破り、準々決勝で福井商と対戦。 惜しくも2−1で敗戦するも、「ホップする速球」 「江川二世」 といった好評価を得て、一躍スカウト注目選手となります。 同年の夏の甲子園大会にも出場。 天理(奈良)に2−1で敗れますが、卒業後に就職した協和発酵野球部でも速球投手として活躍。 1981年(昭和56年)のドラフト会議において、念願の広島カープよりドラフト1位指名を受け入団しました。
当初は先発投手。 初年度の1982年(昭和57年)、31試合 27先発 8完投 2完封 とフル回転登板。
166.2イニングを投げ、いきなり11勝 6敗 防御率3.88 で新人王を獲得。
翌年も132イニング 9勝 3敗 防御率3.07 と好投し、勝率750でセ・リーグトップに。 (但し勝率タイトルは13勝以上の投手にしか権限がないため受賞には至らず)
ところが無理が祟り、3年目以降は血行障害等の闘いとなり低迷。
短イニングで速球を活かすべく、1986年(昭和61年)よりリリーフに転向します。
球速は140台中盤まで。 調子が良い時に150km前後。 今の投手なら、二軍にも同じ球速投手がゴロゴロいますが、当時の野球では150kmは未知の数字に近く、投球の9割が速球でありながら、一流のプロ打者が打つことができず、49試合 69.1イニング 4勝 6敗 22セーブ 防御率2.06 と活躍。
以後、右肩痛もあり痛打される事もしばしばながら、1989年、51試合 12勝 5敗 28セーブ 防御率1.63 という成績を挙げ、最優秀救援投手 ファイアマン賞 を獲得。
1990年のオフあたりから頭痛が発生し慢性化。 精密検査の結果は手術のできない場所に悪腫瘍との診断。
闘病生活中も復帰を望み、奇跡的にも一時は退院寸前までになっていたそうですが、1992年6月からは病状が悪化。 1993年7月20日 32歳にして永眠。
2012年の殿堂入り投票では、競技者投票・プレーヤー投票で必要数を得、見事、日本野球殿堂入り。
度々痛恨のサヨナラ安打を食らったり、数字上の成績がイマイチだったりの津田に対し、彼の殿堂入りに関しては 「現役中に亡くなったからくる同情や過剰評価」 として今でも賛否両論があるみたいですが、記憶に残る投手としては認めるところ。 生前の津田の人柄が、たいへん評判だった恩恵でもあります。
= 通算成績 =
49勝 41敗 0ホールド 90セーブ 542奪三振 防御率3.31
新人王 最優秀救援投手1回 ファイアマン賞1回 日本シリーズ優秀選手賞1回
オールスター出場5回 カムバック賞1回 野球殿堂
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南陽工業時代を覚えています。プロでは炎のストッパー、好投手ですが殿堂入りは確かに疑問ですね。ホークス藤井の闘病も壮絶でした。盛田も脳腫瘍で亡くなったけどいいピッチャーだった。
2016/10/16(日) 午前 6:31
日本のマスコミやテレビ番組は、その人のドキュメント番組を制作するにあたり、人物像や実績を過剰に美化したり、捏造する傾向にあります。津田は人間性も良かったと聞きますから、否定的にはとらえてないですが、野球内容や殿堂基準から見たら、ちょっと行き過ぎた選考に思えます。もし盛田が現役中に脳腫瘍で亡くなっていても、殿堂入りできたのでしょうか?
2016/10/16(日) 午後 0:35
ごめんなさい!私は津田の殿堂入りは知りませんでした。
理由は成績自体平凡と言っては言い過ぎかもしれませんが…
お涙感動頂戴的な授与は果たして如何なものかと思います。
バースとの対決が彼いちばんの名シーンでしょうね。
2016/10/16(日) 午後 0:57 [ サルタンスイング ]
日本球界では現役中に絶望的な病気で亡くなると、その選手や家族の気持ちを考慮して、準永久欠番や欠番を与えたり、今回のような殿堂入りといった対応をしたりしますが、特権中の特権の乱発にしか思えない時があります。巨人でも戦中戦後、他球団から数年間移ってきた黒沢がチフスで亡くなると背番号4を永久欠番にしていますが、名球会や殿堂入り者の大半が永久欠番なんて夢のまた夢。津田は全盛期から見ていましたが、救援失敗も多く、球も140km中盤くらい。タイトルや成績も平凡。ちょっと納得できかねる面はあります。
2016/10/16(日) 午後 10:13