もぐら

昭和レトロに思いをよせ・・ 古き良き時代を振り返り・・

その他のサイン集(スポーツ)

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2016年(平成28年)7月15日 第98回 夏の甲子園・大阪予選2回戦において、PL学園は、東大阪大柏原高と対戦(初戦)。 2015年から新入部員を停止しており、3年生のみで戦った結果、6−7で敗退。  無数のプロ野球選手を輩出し、PL学園=日本最強高校 と言われた名門が、その歴史に幕を閉じました。 廃部となった表向きの原因は、”いじめ” 等の暴力事件が引き金と言われますが、実際はPL教信者の減少による経営不振だとの見方が大半。 全盛期には高校の生徒数が1000人にも達した程のマンモス校でしたが、2015年におけるPL小学校の入学者は、わずか3人。 高校も外部からの受験者が28名であり、競争倍率は、大阪府の共学私立において最低の数字。 PL教が公表した信者数は90万人に対して、全信者向き発行機関紙 「芸生新聞」 の発行部数は7万部程度であり、全国に400はあると言われたPL教会も、今では半分程度になっているとか・・・。 これまで信者からの寄付金を基に、全国から有望な選手を集め、特待生として無償で寮生活を送らせながら、全国屈指の強豪校を維持してきただけに、苦しい教団の台所事情が、名門野球部の解散につながったとしたら・・・ 何とも切ない話です。

PL学園が初めて甲子園に姿を現したのが、昭和37年・選抜甲子園大会。 初戦の高鍋高を3−2の接戦で破り甲子園初勝利。 2回戦では強豪・高知商を3−0で下し、初出場ながら準々決勝に進出。 しかし古豪・松山商の前に0−9と大敗。 以後、激戦区・大阪を勝ち抜いては度々甲子園に出場しますが、よくて準々決勝まで。
昭和45年・夏の甲子園大会は決勝進出し、惜しくも東海大相模の前に、6−10で敗れ準優勝を果たすも、昭和46年・夏は初戦、47年・春は2回戦、49年・夏は初戦で敗退。 今一つ結果が残せない状況が続きます。

転機が訪れたのが、昭和51年・夏の甲子園大会。桜美林高校と決勝で対戦し、延長11回 3−4で敗れるも、2度目の準優勝。 昭和53年・夏の甲子園大会でも決勝に進出。 9回まで高知商にリードを許す苦しい展開の中、土壇場で逆転初優勝。(逆転のPLとして流行語に・・) 一躍、全国の強豪校として名を連ねます。
PL学園のOBであった中村順司は、準優勝した昭和51年に、PL野球部コーチに就任。 1980年(昭和55年)秋に監督に就任しました。

中村監督談=「指導者として気をつけた事は、選手に怪我をさせない事。 身体を正しく使う事ができれば、故障はしなくなります。 高校生は身体が発展途上です。 高校で野球を終わらせるのではなく、大学、社会人になってもずっと続けてほしいですから、その為、高校時代に身体を作る。 それでも故障するのであれば、何か要因があるはず。 僕はコーチ時代に、カイロプラクティック(身体の構造と機能的役割を医学的に分析。特に脊髄)を勉強したので、それが指導の基本ですね・・」

それまでの高校野球は「根性」「猛特訓」といった非科学的なものばかり。それを身体力学的観点で指導するという現代指導は効果を発揮。 昭和56年・選抜甲子園優勝。 昭和57年・選抜甲子園優勝 と春連覇を達成。
更に昭和58年・夏の甲子園大会では、史上初となる夏・春・夏三連覇を目指す徳島・池田高校を準決勝で破り、二度目の夏・全国制覇を達成。 翌59年・選抜甲子園でも決勝に進出。 惜しくも岩倉高校に0−1で敗れましたが、中村監督は、この大会の準決勝時点で、甲子園20連勝という不滅の大記録を達成しました。

某選手談=「池田高校と対戦が決まった時、皆、どことなく悲壮感があった。水野君の速球やシュートを、引っ張って打つのは難しいが、中村監督の指示は、下手に流し打ちとかしないで、”思いっきり引っ張ってこい” でした。結果、桑田が特大のホームラン・・ 計3発のホームランにつながりました。 ”池田だって同じ高校生” だと言って、精神的な緊張を解す・・ 中村監督に言われると、何かそんな気分になる。 才能を見抜く目があり、実力があれば1年生でも積極的に使っていく。 昔からの慣例に拘らず、新しい事を取り入れる事ができる。 人を使いこなす事にたけた監督でした・・・」

1985年(昭和60年)夏の甲子園。KKコンビで全国制覇。 1987年(昭和62年)には春・夏連覇を達成。
中村監督談=「PL学園の強さの裏には、上下関係の厳しさもありました。僕も経験者の一人。1年生は先輩に付き、学びながら覚える。それらが身につき、実践に活かされます。またこれらは人間育成にも役立つ。立浪が1年生の時、寮に客がきたので風呂の用意をさせた事があります。 客が風呂に行くと、椅子の上に、ナイロンタオル、石鹸、シャンプーが置いてあったそうで、客が感心していました。 これがPLの強さなんだと・・」

1998年の選抜甲子園・準決勝で、松坂大輔の横浜高に敗れ、18年間務めた監督を勇退。
甲子園通算16回出場 58勝 10敗 勝率853。
(春) 出場10回  31勝 7敗 ・・・ 優勝3回(1981、1982、1987) 準優勝1回(1984)
(夏) 出場 6回  27勝 3敗 ・・・ 優勝3回(1983、1985、1987) 準優勝1回(1984)

1981年春 ○5-0岡山理大付 ○1-0東海大工 ○8-2日立工 ○4-0倉吉北 ○2x-1印旛 (優勝)
1982年春 ○4-1東北 ○2-1浜田 ○1-0箕島 ○3x-2横浜商 ○15-2二松学舎大付 (優勝) 1983年夏 ○6-2所沢商 ○7-0中津工 ○6-2東海大一 ○10-9高知商 ○7-0池田 ○3-0横浜商 (優勝) 1984年春 ○18-7砂川北 ○10-1京都西 ○6-0拓大紅陵 ○1x-0都城 ●0-1岩倉 (準優勝) 1984年夏 ○14-1享栄 ○9-1明石 ○9-1都城 ○2-1松山商 ○3-2金足農 ●4-8取手二 (準優勝) 1985年春 ○11-1浜松商 ○6-2宇部商 ○7-0天理 ●1-3伊野商 (ベスト4) 1985年夏 ○29-7東海大山形 ○3-0津久見 ○6-3高知商 ○15-2甲西 ○4x-3宇部商 (優勝) 1986年春 ●1-8浜松商 1987年春 ○3-1西日本短大付 ○8-0広島商 ○3x-2帝京 ○8-5東海大甲府 ○7-1関東一 (優勝) 1987年夏 ○7-2中央(群馬) ○7-2九州学院 ○4-0高岡商 ○4-1習志野 ○12-5帝京 ○5-2常総学院 (優勝) 1992年春 ○14-1四日市工 ○3-1仙台育英 ●0-2東海大相模 (ベスト8) 1994年春 ○10-0拓大一 ○4-0金沢 ○10-1神戸弘陵 ●4-5智弁和歌山 (ベスト4) 1995年春 ●7-10銚子商 1995年夏 ○12-3北海道工 ○3-1城北(熊本) ○10-5日大藤沢 ●6-8智弁学園 (ベスト8) 1996年夏 ○4-0旭川工 ○11-4県岐阜商 ●6-7高陽東 1998年春 ○5-1樟南 ○9-0創価 ○3-1敦賀気比 ○3x-2明徳義塾 ●2-3横浜 (ベスト4)

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