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巨人に移籍した2009年に大化けし、最優秀投手に選出されたゴンザレス。
1996年、メッツよりドラフト16位、全体468位の指名を受け入団。 アメリカ球界はメジャー30球団と傘下に幾層もあるマイナー・リーグにより、ドラフト指名も日本球界とは桁違い。 指名される者たちも、高校野球で活躍した程度の者だと中巡くらいの扱いという層の厚さ。 国土の広さや人口密度による事情等もあるので、一概に日本とアメリカ球界を比較できませんが、アメリカ球界では、ドラフト指名順位はあくまで指名評価であり、まずはプロ球団に入る事、そして這い上がりレギュラーをつかむ事こそが全て。
プエルトリコ・バヤモン出身。 身長178cm ながら、体重90kg とがっしりとした体格。 若き日には150km近い速球をコンスタントに投げ込み、2001年、念願のメジャーデビュー。 この時、同僚だったのが新庄剛志。 「異星人」「新人類」と呼ばれた新庄の明るさと、情熱のプエルトリコ魂がマッチしたのか、日本来日時、「新庄の影響を受けて日本に来た」とコメントした程。
2004年にはデビルレイズに移籍し、メジャーに再昇格するも、トータル的にはマイナー暮らしが長く、マイナー通算71勝をマーク。
こういった実力あるマイナー選手に目をつけ、安価で獲得するのが日本流。 特にヤクルト球団はダン野村をはじめエージェント(交渉代理人)やマネジメント面も強い事から、実力あるマイナー狩りが得意。
2004年6月、ヤクルト・スワローズに入団。15登板で4勝2敗という成績ながら、手薄な抑え・中継ぎをカバーした事から残留。 2005年は先発と中継ぎを兼任する働き。 更に2006年には第1回WBC大会において、プエルトリコ代表入り。
しかし・・ 毎年のように怪我をしては戦線離脱。ヤクルト在籍の5年間において評価できるのは、2006年の9勝7敗 防御率3・15くらいのもの。 2007年は春季キャンプから右肘痛を起こし、靭帯移植手術の為、シーズンを棒に振りますが、2年契約を結んでいた事もあって解雇とならず、2008年もヤクルトでプレーするも、わずか1勝しかできず12月2日、自由契約選手に・・・。
決して実績を残したわけではないゴンザレスですが、巨人は投手事情や右肘の回復具合等から2009年1月13日、1年契約での獲得を発表。 外人枠関係で、2軍スタートとなりますが、5月に不振のエドガルドにかわり1軍昇格。 球速は平均140km前後ながら制球力やコントロールが良く、スライダー、カーブ、変化する速球(ツーシーム、フォーシーム)の他、巨人にきて習得したチェンジアップが効果を発揮し、5月を5勝0敗 防御率1.56で乗り切り月間MVPを獲得。 8月11日 広島戦に勝利し10勝に到達。 最多勝は逃しますが、15勝2敗 防御率2.11の成績を残し、最高勝率のタイトルを獲得。 CSファイナルステージでは不調ながら、日本シリーズでは2戦に登板し1勝をあげ、第5戦も好投した事が評価され、日本シリーズ優秀選手賞を受賞。
また野手経験もある事から、守りも得意でゴロ捌きが良く、ゴールデングラブ賞も受賞。
2009年の大活躍もあって、巨人は2010年の投手陣の柱としてローテを組みますが、オフに慢心があったのか、90kgだった体重は110kgにまで達しており、前年、41回1/3 連続無四球を記録した制球力は消え、別人のような投球内容。 前年、4勝0敗とカモにした中日にも5連敗するお粗末さ。 球団はダイエットを要求しますが身体の切れは戻らず、5勝13敗(セ・リーグ最多敗戦)でシーズン終了。
その後も復調とは至らず、2011年=11先発 3勝3杯 2012年=10先発 4勝1敗 ・・・。 11月9日、自由契約となり、12月13日、ロッテが獲得を発表。
2013年、ロッテ先発の一角を期待されますが、4試合に登板し、0勝2敗 防御率8.10と散々。 10月3日、自由契約が発表され、日本球界を去りました。
日本にはヤクルト=5年、巨人=4年、ロッテ=1年 の計10年在籍。 大化けして活躍したのは2009年のみ。
右肘故障後は、毎試合、好投しても100球に達すると降板する等、起用面にも配慮が必要な投手だけに、本人も自覚をもって自己コンディション維持につとめるべきでした。
=通算成績=
(メジャー) 3勝 2敗 0ホールド 0セーブ 38奪三振 防御率5.02
(日本) 45勝 41敗 6ホールド 0セーブ 508奪三振 防御率3.55
最優秀投手1回 最高勝率1回 ベストナイン1回 ゴールデングラグ賞1回 月間MVP1回
最優秀バッテリー賞1回(阿部) 日本シリーズ優秀選手賞1回 オールスター出場1回
セ・リーグ最多敗戦投手1回
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