もぐら

昭和レトロに思いをよせ・・ 古き良き時代を振り返り・・

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全日本女子プロレスのオーディションにおいて、「バット折り」をした事から合格。 
ついたリングネームも 「バット吉永」 ・・。 身長160cm 体重75kg 兵庫県尼崎市出身。
極真空手を習っていた事もあって、格闘技に対する下地は十分。 
1989年(平成元年)10月8日 後楽園ホール 伊藤薫相手にデビューしますが、その強烈な蹴りは周囲を圧倒。 昭和が終わり平成の世となると、世間は総合格闘技に注目。 かつてのプロレスは男女ともに下火となっていきます。 そういった事情もあってか、全日本女子プロレスも格闘技路線を導入。 その第一人者として選ばれたのが、バット吉永でした。

1991年、全日本女子プロレスは格闘技を売り込む為、WWWA世界格闘技王座を新設。 
1991年3月17日、初代王者をかけて対戦したのは、バット吉永と伊藤薫。 接戦の結果、バット吉永が勝利し、初代王者に君臨します。

但し、総合格闘技路線ではありましたが、総合格闘技自体は行っておらず、ルールもキックやパンチが主体。
その為、プロレスの他、キック・ボクシングやシュート系に共通点が深く、挑戦者選びもキック系から選抜。
1992年11月26日 当時、女子格闘技の第一人者で、シュート・ボクシング女王(第3代 SBクイーン王者)であった神風杏子と、グローブ格闘マッチで対決。
動きに勝る神風のパンチを集中砲火の如く受けるも、頑丈な身体で耐えしのぎ、2R、一瞬の隙をついて右裏拳がヒット。 神風は後方に吹っ飛ぶように崩れ落ちKO負け。 これにより初防衛を果たします。

本業の女子プロレスでは、ブル中野が率いる「獄門党」に所属。 その強さはブルも認めるところで、用心棒的な役割をしていたようです。

その後も、グローブ格闘マッチでは他者を圧倒。 WWWA世界格闘技王座を守り抜きますが、当時はまだこういった格闘技系に対する世間の理解が得られておらず、女子格闘技自体への関心薄。 
また本人も地味な存在で、格闘王者でありながらブレーク無し。 結果、頚椎を痛めて引退する1994年10月9日まで、初代王者を守りましたが、同年代の人気レスラーと比べると、一歩遅れ(人気面)をとっていたように感じます。

引退して二年越しに現役復活しますが、あくまで格闘技限定での復帰。
2代目・WWWA世界格闘技王者となった石本文子と対戦しますが敗戦。 ちなみにWWWA世界格闘技王座を巡るタイトル・マッチは以後組まれる事無く、WWWA世界格闘技王座は封印されてしまいました。
(全日本女子プロレスが格闘技路線から撤退ていった事が、封印の理由でもあります・・・)

さて、リングネームとなった 「バット折り」 とは、どのくらい凄いものなのか・・・?
空手経験をもつ女性のコメントを中心に、幾つもの資料で調べた限りでは、「かなり難しい」そうで、闇雲に蹴るのではなく、持ち手周辺の細くなったあたりをタイミングよく狙った場合のみ折れるのだとか。 その為、スピードや軸足の強さも関わってくるそうで、黒帯クラスでなければ折れないという声もありました。
(空手の演武用に作られた、” 試し割バット ” があるそうですが、こちらも簡単には折れないそうです。)


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