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1977年(昭和52年)の日本プロ野球は、王貞治で始まり、王貞治で終わったと言っても過言ではない程の王フィーバー。 新聞、TV、雑誌の他、少年誌各種でも王・・王・・王・・。 ついには郵便局までが貯金箱を作成。
日本シリーズこそ阪急に敗れ、悲願の日本一奪還ならずでしたが、個人タイトルを総ナメ状態。
首位打者こそ若松(ヤクルト)に譲るも、50本塁打 124打点 の二冠王。
1月5日の契約改正において、日本プロ野球初となる、「6000万プレーヤー」(推定6360万円)で契約更新した実力は、36歳にして老いるどころか益々盛ん。
8月31日 後楽園球場で放った39号はハンク・アーロンと並ぶ通算755号。そして9月3日、後楽園球場において、ヤクルト・鈴木から放った40号は、世界のプロ野球リーグ最多となる通算756号本塁打。
「世界のホームラン王」として、日本中が熱狂の嵐に・・・。
逆にパ・リーグは暗黒の時代。どの球団、どの試合も閑古鳥状態。老若男女問わず、世間の注目が巨人・王に集まった1977年は、特に厳しい暗黒時代となりました。
そんなパ・リーグの中で最も人気がないと言われた球団がロッテ。 素質のある選手は多いのですが、某メジャー選手が「ネズミの巣」と比喩した本拠地を含め、球団自体がやる気なし。
1974年(昭和49年)、金田正一監督によって悲願の日本一となった時の主力外人=ジム・ラフィーバーの仲介により、メジャーでくすぶっていたレロン・リーを獲得。 実はレロンの方からラフィーバーに日本球界を紹介するよう売り込んだようです。
レロンの初来日は1976年(昭和51年)秋。元々明るく社交的なレロンだけに、マスコミウケが良い・・ となるはずですが、空港に現れたレロンの手荷物は、大きなラジコン飛行機。 (リー兄弟は熱烈なラジコンマニア)
不安を覚える球団職員。更にキャンプが始まると、思うように打球が伸びず中距離砲といったところ。 こうなると
鎖国主義(日本人贔屓で外人の活躍を良しとしない)の日本マスコミだけに、連日批判記事の嵐。
普通だったら腐るとこですが、そこは自ら背水の陣で来日した精神力の強さ。 雑音に対し知らん顔・・・。
1977年(昭和52年)4月2日 宮城県で開催された、近鉄・前期1回戦 4番・指名打者で初出場。 この試合は無安打で終わるも、翌日の近鉄・前期2回戦において、6回、柳田から初安打がホームランという快挙。
徐々に日本野球に慣れてくると、シーズン通じて安定した成績を維持し、終わってみれば34本塁打、109打点の二冠王を獲得。 首位打者となった有藤(ロッテ)が打率329に対し、レロンは打率317であった事から、あと少しで史上初の外人三冠王が生まれる大活躍に、各マスコミも大慌て。
中には 「リーさん、ごめんなさい」 と見出しをつけ記事にしたスポーツ新聞があった程です。
翌1978年、実弟のレオン・リーもロッテに入団。 ここに日本史上初となる 「兄弟・助っ人」 が誕生します。
兄のレロンがメジャーではくすぶりながらも在籍した実績をもつのに対し、実弟のレオンはメジャー経験なし。
この日本球界入りはレロンの呼びかけだった事もあって、「コネ入団」 と批判もありましたが、4年連続3割をマークする等、兄・レロン並みの大活躍。 リー兄弟は、日本球界の最強助っ人コンビとして定着。
生涯打率(4000打席以上が対象)では、青木宣親に抜かれるまでは、歴代一位の打率320を残した他、日本球界在籍11年で規定打席到達は9年あり、9年ともに打率3割以上をマーク。 1982年は故障で規定打席に到達できませんでしたが、打率は3割をキープしており、実質は11年の内、10回もの打率3割という離れ業を達成しています。
通算安打1579本は、2008年にタフィ・ローズが抜くまで、助っ人最多安打記録。
11年連続 シーズン100安打以上をマーク。(最高は1980年の175安打)
当初問題視されていた長打力不足も、通算283安打と克服。 鈍足と言われながらも33盗塁を決め、1977年には最多二塁打王にもなっています。
日本をこよなく愛する助っ人として評判も良く、兄弟でレコードデビューを飾った他、好きなラジコンやインベーダーゲームでファンと交流する等、「日本人以上の助っ人」 とも言われました。
(1983年には、自動車会社勤務に通訳として働いていた日本人女性と結婚しています)
引退後は、日本球界在留を望むも、何故かオファー無し。 アトランタ・ブレーブスのスカウトに就任。
=通算成績=
(メジャー) 404安打 31本塁打 152打点 19盗塁 打率250
(日本) 1579安打 283本塁打 912打点 33盗塁 打率320
首位打者1回 本塁打王1回 打点王1回 打撃二冠王1回(本塁打&打点) 最多安打王1回
ベストナイン4回 月間MVP1回 パ・リーグ プレーオフ技能賞1回 オールスター出場4回
シーズン最多二塁打1回 シーズン最多塁打1回
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伝説のプロ野球選手サイン集(外人
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リーが来日した年のキャンプの打撃をテレビで見て癖のない非常にナチュラルなスイングだったのが印象的でした。マスコミが酷評した記憶は残っていないですね。バランスの良さは歴代助っ人でもトップクラスでしょう。HR狙いの外人とは違い穴が無かったです。
2019/2/12(火) 午後 1:02
いくら時代が時代とはいえ、毎年3割に達する打率を残すなんて至難の業。イチローの出現で、ちょっと麻痺?してしまいましたが、張本以来の3割常連打者。こんな選手、今後もなかなか出現しないように思います。ロッテという地味な球団だったのもよかったのかも。また時代は王の晩年にあたり、注目がそれた分、集中して自分の打撃ができたのかもしれませんね。もしマスコミがリーに過剰反応して、「リー特集」でも組むような事になったら、流石にリーもここまでの成績は無理だったかもしれません。
2019/2/13(水) 午前 0:03
少年期からプロ野球の助っ人は「リー兄弟」でした。プロ野球が滅多にこない愛媛県松山市に、クラウンとロッテがオープン戦できたことがあり、親子で観戦。狭い松山球場でしたが、リーがライト場外にライナー性のホームランを放った事を覚えています。通算成績を振り返ると、意外にも30本打つのがやっと・・という成績ですが、試合数がシーズン130制だったからか、長打もあった印象があります。
2019/2/13(水) 午前 0:06