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昭和レトロに思いをよせ・・ 古き良き時代を振り返り・・

伝説のプロ野球選手サイン集(外人

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               (背番号5= 兄レロン・リー   背番号7= 弟レオン・リー)


「東大に合格するよりも難関」 と言われる日本プロ野球入り。 
アマでは抜群の成績を残しながら一軍にあがれず解雇・・・ なんてザラの厳しい世界。 それだけに、けっして日本プロ野球が甘いとは思いませんが、メジャーの過酷な生き残り競争を知ると、やはり総合的には恵まれていると思わざるえない点が多々あります。

ネットで調べてみると・・・
「マイナー・リーグ(3A)選手の年棒は、40人ロースター枠に入っている選手の場合、年棒は約41,400$。 但し同一シーズンにメジャーで(25人ロースターで) 1日以上在籍した場合は82,700$となっています。 加えて(アウェイ試合の場合)ミール・マネーとして1日25$が支給されます。
AAA級だと1シーズンに144試合あるので、半分の72試合のロードゲームにすべて出たと仮定すると、25×72
=1,800$が別途支給されます。最高クラスのAAA級にいて、前年1試合もメジャー枠登録の経験がなく、しかし40人ロースター契約している選手の場合、サラリーは41,400+1,800=43,200$となります。
マイナーリーグの場合、サラリーはシーズンの間しか支払われないので、たとえばAAA級の場合、10月〜2月までは原則として無給です。 多くのマイナー選手はオフに自分でアルバイトを見つけて働いているようです。」 との事。

3A選手ですら日本円で年収450万円程度の平均年収ですから、2A以下の選手はバイト無しでは生活できず。
その上、3年間を目途に、昇格できない選手は実力無しと判断され、自由移籍や契約解除という厳しさ。
2A〜3Aでくすぶっている選手が、日本球界にきて活躍し、大金と名誉を手に入れたいと思うのは、当然の成り行きなのかもしれません。

1978年(昭和53年) 実兄の紹介で日本球界に参戦したレオン・リーは、高校卒業後の1971年(昭和46年)、名門カージナルスと契約しプロ入り。 
アメリカ球界では捕手。 鈍足だった為 アメリカの野球評論家は 「もう少し足が速かったら、メジャーで活躍できたはず」 と太鼓判を押す程の巧打者として一定の評価は受けるも、厚い選手層の壁に阻まれ、メジャー昇格ができないまま苦悩していた折、1977年に日本球界に参戦し、パ・リーグ二冠王となった実兄 レロン・リーの仲介もあってロッテ入りが決まります。

初年度の1978年には日本球界に順応し、いきなり打率316 16本塁打 をマーク。 
翌1979年(昭和54年)、打率304 35本塁打 を放ち、長打力がある面を披露。
そして1980年には、兄レロン・リーと共に大暴れ。 打撃3部門において、自身キャリアハイとなる 打率340 41本塁打 116打点 と打ちまくり 「無冠の最強助っ人」 と呼ばれました。
この年の10月3日 近鉄戦(藤井寺)では、レロン・リーが3本塁打、レオン・リーが2本塁打を放ち、兄弟で一試合5ホームランという快挙を達成。

兄同様に明るく陽気な性格で、日本文化を理解し、特に契約等でも球団とトラブルが生じた様子はありませんでしたが、1982年(昭和57年)オフ、突然ロッテを解雇され、大洋に移籍。
本人談=「大洋が一番居心地が良かったよ」 と言うように、移籍すぐにチームに馴染み、1983年(昭和58年)は打率288 30本塁打の好成績。 1984年はフル出場を果たし、打率321 21本塁打。
1985年には三塁コンバートを成功させ、8月10日 広島戦では1試合10打点のセ・リーグ記録を樹立。
打率303 31本塁打 110打点の大活躍を見せます。 しかしオフ、またも解雇・・・。
(大洋球団は解雇理由として、”チャンスに弱いから” と公表しましたが、翌年から加入するローマンを売り込みにきた代理人が、レオンが高額な年棒を要求しようとしているとウソついた事が原因とも言われています。)

1986年からはヤクルトに入団。いきなり打率319 34本塁打 97打点の大活躍。
翌1987年は夏場に足の負傷で離脱がありますが、120試合に出場し、打率300 22本塁打をマーク。
しかし、オフにまさかの解雇を受け帰国。 本人談=「まだ日本球界でやりたかった。不完全燃焼だよ」

インベーダーゲームや兄同様にラジコンが好き。 兄・レロンと共に歌手デビューも果たしています。
休日は日本庭園を散策したり、チームメートを自宅に招待する等、積極的に日本に馴染もうと努力。
3球団、セ・パ関係なくシーズン30ホームラン以上を放ったパワーと、10年間の日本生活で8度の3割超え。
大洋球団は ”チャンスに弱い” と言いますが、打点も多く、勝負強かった印象があります。
また人格者であり、1987年、ヤクルトに問題児のボブ・ホーナーが加入した際は、球団から世話役を頼まれますが、白人のホーナーは黒人のレオンを差別したり、マイナー選手だと見下した態度をとったといいます。 そんなホーナーに強いストレスを受けたと本人。 しかしトラブルとならなかったのは、レオンの人柄だと思います。
好成績を残しながら、所属した3球団は不可解な解雇を繰り返しましたが、日本球界を愛し、後年はオリックスのコーチとなった後、一年ではありますが監督にも就任。
息子のデレク・リーは2005年、メジャー・カブスで首位打者&最多安打を達成。 ゴールドグラブ賞3回。

=通算成績=
ベストナイン2回  月間MVP3回  シーズン最多出場2回  シーズン最多塁打1回


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