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H31年2月23日(土) 晴れ
日々業務多忙。本日も花粉症に悩まされながら、21:00の門限まで残業でした。
その帰り道、何気なく覗いたスーパーで目についたのがローヤルトップ。 愛媛県ではオロナミンCと並ぶ人気ドリンク。 ハチミツの甘さと微炭酸がマッチし、子供から大人まで愛飲できる万能瓶ドリンク。
ローヤルトップの製造は 「名古屋牛乳」 です。 私は基本的に愛知県の方は、親切な方が多いと思っている 「愛知県びいき」 ・・・。
かれこれ40年以上も昔、私の住んでいた小学校では、全国の牛乳キャップを集めては当て合いをする遊びが流行っていました。 その為、迷惑な手紙を製造元に送っては、キャップをくれとねだる子供多数。
こんな迷惑な子供の願いに、即応じてくれた全国の業者さんの中でも、愛知県の業者さんは皆親切丁寧。
中には 「牛乳を沢山飲んで、元気な子供に育ってください」 といった手紙迄・・・。 特に名古屋牛乳さんの対応は素晴らしかったです。
そういった昔の思い出や印象が強いのか、愛知県や名古屋といった商品を見ると、つい買ってしまいます(笑)
180mlという量がいいです。 多くも少なくもなく・・・。 いつまでもこの絵柄と味が続いてほしいです。
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H31年2月23日(土) 晴れ
ここ数日で、気温が上がり始めました。 それに伴い花粉の凄いこと。
昨年は花粉に悩まされる事がなかったのですが、今年は目の痒みに鼻炎と超最悪状態。
仕方がないので地元の大手薬局で市販薬を買う事に。 ところがそのバカ高い事。 目薬と飲み薬で約5千円。
ゴーグルが約2千円。 計、約7千円もの出費となりました。 これなら勤務している病院の耳鼻咽喉科を受診した方かよかったと後悔です・・。
倉庫の中の小鯉たちの活性があがっています。動きもスムーズで、いかにも目覚めたって感じ。
まだ1〜2ケ月は気が抜けませんが、何とか厳しい冬を乗り越えそうで一安心。
今年はもう一つ90cm水槽を追加して、ナマズを飼育する予定だけに、今から期待でワクワクです(笑)
このロッドホルダー(釣竿)のとこに、もう一つ、90cm水槽を置きたいと考えています。
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身長175cm 体重72kg 本名=テリー・ポック(日本ではテリー・ポーチとして紹介)
ボディ・ビルダーとしてアメリカで活躍し、数々のタイトルを獲得。
1980年(昭和55年) ・・・ ボディ・ビル=ミス・ワイオミング賞
1987年(昭和62年) ・・・ ボディビル アイアンマン/アイアンウーマンコンテスト 優勝
1987年〜1988年 ・・・ ボディビル ノースウエスト選手権 優勝
1988年(昭和63年) ・・・ ボディビル 全米選手権 3位
新日本プロレスの練習生から世界に羽ばたいた ” ブライアン・アダムス ” は1987年当時、オレゴン州をマーケットとするPNWに参戦していましたが、ボディ・ビルで活躍するテリーにプロレス入りを勧めた事がきっかけで、1988年、スコッティ・ザ・ボディの従者役としてデビュー。 翌1989年からは女子マネージャーとして活動した後、1990年に念願のプロレスデビューとなります。
ブレッド・レイガンズ道場で基礎を学び、1989年に男子レスラーのトーア・バーグが設立したLPWAに専属として入団。 このLPWAとは、当時、北米の女子プロレス団体では最大手を誇り、女子プロレス団体ながら男子レスラーも参加するミックス・ファイトの他、興行はTVテーピング(収録)として行われるといった異色団体。
同じくボディ・ビル出身のレジー・ベネットも参戦しており、タッグとして売り出されます。
LPWAはジャパン女子プロレスと提携関係があった事から、1990年7月に初来日。
女子レスラーには珍しい筋肉美を売りにしたパワー・ファイトを売りに活躍・・・ のはずでしたが、ジャパン女子プロレスの崩壊により帰国する事に。
その後はLPWAの主力選手として活躍。1992年2月、” ジョージアの女番長 ” の異名をもつレディXを破り、第3代 LPWA世界女子王者に君臨。 レイラニ・カイ、ジュディ・マーチン、スー・グリーンといった強豪と競い合います。
そんなテリーが突如日本に押しかけ参戦。
本人談=「女子プロレスでトップを取りたい。そのためには、世界で一番メジャーで、女子が真剣にプロレスを追求できる唯一の団体である全日本女子プロレスに来る必要があった」
「日本は女子プロレスのメッカで、選手達はプライドを持っている。だからこそここに来たかったし、しばらく日本に住んで試合をしていきたいと思っている」 が理由。
1992年6月21日 後楽園ホールにてデビュー。(三田英津子とタッグ。デビー・マレンコ&下田美馬と対戦)
オクラホマ・スタンピート、ラリアット、パワー・スラムの他、滞空時間の長いブレーン・バスターやリフト・アップ等、これまでの女子プロレスには見られなかったパワー殺法でファンを魅了。 またレイガンズ道場により基礎ができており、筋肉質ながら俊敏さもあり、得意技の一つがフランケンシュタイナー。
同年6月27日 大宮スケートセンター大会では、アジャコング率いる ” ジャングル・ジャック ” の一員として6人タッグに出場。(あくまで一員という設定だったらしい) 当時、第一人者であったブル中野と怪力比べを行ったりと存在感を示すと、同年7月5日 後楽園ホール大会では、デビー・マレンコとタッグ= ” アメリカン・タッグ ” を結成。 当時の主力選手だった井上京子が、「テリーはなんでもできる」「ボディ・ビルダー譲りの健康管理に頭が下がる」「これで受け身を(しっかり)覚えたら敵なしになる」とコメントする等、外人選手のホープに。
7月15日 井上京子のWWWAオールパシフィック(白ベルト)に挑戦。 井上がスタミナ切れする程追い詰めますが、最後はナイアガラ・ドライバーの前に敗戦。 この試合でリフトアップをした際、膝靭帯を故障。せっかく日本でチャンスをつかみながら怪我治療の為に帰国となりました。
ちなみに、女性の筋力は男性の約65%しかないと言われます。男女の筋力差は、筋肉の質ではなく量の違いによるもの。男性ホルモンには筋肉の繊維を太くする働きがあるので、このような差が生じます。その為この働きを利用し、男性ホルモンの投与によって筋肉を増やそうと考えるスポーツ選手もいるようですが、このような行為は本人の健康面からも、競技の公平性の面からも、厳しく禁止されています。
全日本女子プロレスは、テリーに片手45kgのダンベルを用意したとか。俗説では一般成人男性がバーベルを持ち上げる事ができる平均重量は40〜50kg程度との事。 女子離れしたテリーの筋肉の強さ(怪力)が伝わってきます。
★参照資料 ネット男女筋肉量検索から抜粋★
BMI24.9以下(肥満型体形でない)の成人の筋肉量
全身:男性24.0kg、女性14.0kg 片腕:男性1.5kg、女性0.9kg 片脚:男性5.5kg、女性3.5kg 平均的男性の筋肉量は女性の1.6〜1.7倍のくらいです。男性を100%とすれば女性は65%くらいと見るのが妥当です。そして、筋力は筋肉量にほぼ比例しています。 男女とも脚の筋肉量は腕の4倍弱で、力の強さもこれに比例していると考えて差し支えありません。 |
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今、6歳の娘・お咲希さんは 「一休さん」「トムソーヤの冒険」「未来少年コナン」にハマり中。
昭和のアニメは、ストーリーの構成がしっかりしている他、子供たちへのメッセージが詰まっていて、訴えるものが多く、見た後の充実感や満足感が味わえます。
特に 「未来少年コナン」 は今の時代にぴったしの作品。 愚かな独裁者たちにより核戦争が起こり、世界が破滅する懸念が深まる今こそ、それがどんなに愚かな行為なのか・・ 平和と向き合うにはどうすればよいのか・・ 幸せとはいったい何なのか・・ 人は人と、どのように接していかなければならないのか・・ この作品は訴えます。
子供の頃からこのようなアニメを見て育てば、馬鹿げた核開発に執着する者たちも、もっとマシな大人になっていたかもしれませんね。
=ストーリー=
2008年、核兵器以上の威力を持つ「超磁力兵器」が用いられた最終戦争が勃発。五大陸は変形し地軸も曲がり、多くの都市が海中に没した。
戦争から20年後、「のこされ島」と呼ばれる小さな島に墜落した宇宙船(ロケット小屋)で、コナン少年は「おじい」と二人で平穏に暮らしていた。ある日、海岸に少女ラナが漂着する。彼女はハイハーバーという島で暮らしていたが、科学都市インダストリアの者たちにさらわれ、隙を見て逃げ出したのだった。ラナを追って残され島にやってきた戦闘員達によって、ラナは再び連れ去られ、おじいは死んでしまう。コナンはおじいを埋葬し、ラナを救うため島から旅立つ。
インダストリアは、前時代の巨大な塔(三角塔)を中心とした都市である。インダストリアの指導者たちは、太陽エネルギーシステムを復活させるため、その技術を持つラオ博士を探していた。インダストリア行政局長であるレプカは、このシステムを利用して都市の地下に眠る巨大な爆撃機ギガントを再起動し世界征服を成し遂げるつもりであった。失踪していた博士を見つけ出し従わせるために、テレパシーで彼とコミュニケートできるという孫娘のラナを拉致させたのだった。コナンは、旅の途中で知り合った少年ジムシーや、運搬船「バラクーダ号」の船長ダイス、都市の地下にすむ住人たちと共闘し、独裁をはじめたレプカと対決して一旦は放逐することに成功する。その前後からインダストリアは地殻変動に見舞われており、ラオ博士は住民脱出のために太陽エネルギーシステムを復活させる。しかし、少数の部下たちとともにインダストリアに舞い戻ったレプカは、太陽エネルギーシステムを利用してギガントを復活させる。コナンたちは離陸したギガントに乗り込んで大暴れする。ギガントは墜落・大爆発し、レプカは運命を共にする。
コナン・ラナ・ジムシーたちは、ダイスの船で「のこされ島」に移住することになる。のこされ島があるべき場所には見知らぬ巨大な島があった。コナンは、その島の高い山の頂上に、懐かしいロケット小屋を見出す。さらなる地殻の変動が「のこされ島」を変貌させていたのだった。コナンたちは新天地での生活を始める決意を新たにする。
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1980年(昭和55年) カブスの中心選手であったスティーブ・オンティベロスを西武が獲得。 スティーブの加入により西武は、常勝軍団へ歩む事となります。
1969年(昭和44年)のMLBドラフトにおいて、サンフランシスコ・ジャイアンツより6巡目で指名され入団。
1973年(昭和48年)にメジャー昇格すると、翌1974年には120試合に出場し、343打数 91安打 打率265 の成績をあげレギュラー並みの活躍。 1975年も108試合 325打数 94安打 打率289 と活躍。
1977年(昭和52年) カブスに移籍すると、レギュラーとして定着。
156試合 546打数 163安打 10本塁打 打率299 と、チームを代表する打者に成長。
更に1979年(昭和54年)には、152試合に出場し、519打数 148安打 4本塁打 打率285 と活躍。
一発長打には欠けるものの、確実性の高い打撃は評価され、過酷なレギュラー争いのメジャーにおいて、カブスの正三塁手としての地位を築きます。
そんなバリバリのメジャー・リーガーに目をつけたのが西武ライオンズ。 1980年(昭和55年)の後半戦(後期)に合わせて獲得を発表。 契約期間3年半という変則契約も話題となりました。
後にヤクルトに入団するボブ・ホーナーは、メジャーの主軸打者としての誇りが高く、日本野球を軽蔑したり、マイナーあがりの助っ人を馬鹿にする態度で批判されましたが、スティーブは気さくな性格もあって、すぐにチームにとけ込みます。
デビューは1980年7月4日 近鉄戦。 後期戦スタートとなったこの試合は、1失策を含む、4打数0安打と散々でしたが、徐々に調子をあげ65試合に出場 258打数 81安打 16本塁打 打率314 と現役メジャーの実力を披露。 スティーブの活躍により、前期最下位に沈んだ西武が、後期の一時期、首位に立つ事も。
1981年は石毛の入団でショートが固定された為、一塁や三塁と守備位置が安定せず、精彩を欠いた感がありましたが、翌1982年より三塁を固定された事により復調。 以後、毎年安定した好成績を残します。
当初は3年半契約でしたが、2年延長して5年半もの間、西武の主力として活躍する事に。
1981年(昭和56年) ・・・ 380打数 103安打 7本塁打 0盗塁 打率271
1982年(昭和57年) ・・・ 420打数 129安打 11本塁打 3盗塁 打率307
1983年(昭和58年) ・・・ 476打数 153安打 17本塁打 0盗塁 打率321
1984年(昭和59年) ・・・ 461打数 156安打 20本塁打 0盗塁 打率338
1985年(昭和60年) ・・・ 463打数 146安打 11本塁打 0盗塁 打率315
1982年〜85年にかけ、4年連続で打率3割以上をマーク。
1983年はパ・リーグのシーズン最多安打王。 1984年〜85年にかけ、パ・リーグ最高出塁率のタイトルを獲得。 1982年〜83年にかけ、ベストナインを受賞。 1982年の日本シリーズでは、優秀選手賞を受賞しています。
真面目な職人肌選手で、「チームに貢献したい」が口癖。 大振りをせず、確実性のあるバッティングは、管理野球で名高い理論派の廣岡達朗監督(1982年に就任)にも認められ、外人だろうが容赦しない廣岡が気に入った数少ない選手と言われました。 本人も廣岡監督を 「ボス」 と呼び、廣岡の助言等に対して、「ボスの言う事はわかる」 と従順姿勢で接した事が、お互いの信頼関係を築けた要因だと思います。
反面、短気な部分もあり、度々エスカレートしては衝突。西武球団 退場第1号でもあります。
試合中はハゲ頭でしたが、プライベートでは3種のカツラを使い分ける事も有名。
1985年も西武はリーグ優勝を果たしますが、日本シリーズではバース・掛布・岡田のいる阪神・重量打線に敗れ、日本一ならず・・・。 この年は秋山幸二の台頭で、西武でも一発長打が見直されており、理解者であったはずの廣岡までが、「一発のない助っ人なんて・・」と文句を言うようになりました。
スティーブ談=「俺にホームランを期待しされても困るよ。俺はチームの為に、大切な場面でヒットを打つ事しか考えていないからね。」 と語るように、20本前後の中距離ヒッター。 結果、この年も3割の高打率を残しながら契約更新はなく、日本球界を去っていきました。
= 通算成績 =
(メジャー) 600安打 24本塁打 224打点 5盗塁 打率274
(日本) 768安打 82本塁打 390打点 6盗塁 打率312
最高出塁率2回 最多安打王1回 ベストナイン2回 最多勝利打点1回 月間MVP1回
日本シリーズ・優秀選手賞1回 オールスター出場1回 シーズン最多犠飛1回
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