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1970年代後半〜 1980年代にかけて、「 ファンク一家 」なるレスラーが多数来日し、全日本プロレスを主戦場として暴れました。 彼らは皆、NWA世界ヘビー級王者候補と呼ばれていましたが、実際に王者になれず終い。
まあアメリカのプロレス事情(NWA会長にクロケット王権=フレアーと続く) もあったのかと思いますが。
ディック・スレーターは、テリーの弟分との触れ込みで来日。 そのレスリングスタイルから、「右のテリー」と言われた程。 ジャンボ鶴田の好敵手として、そこそこ人気?があったような・・・。
アメリカではヒールとしてラフファイトで大暴れしていましたが、日本ではテリーのイメージ(善玉)を壊さないように試合展開していたため、本来のラフさがイマイチで、結果、不完全燃焼な試合も見られました。
「若い時は手の付けようもない悪党のリーダーで、酒場でレスラーに喧嘩を売り、叩きのめされながらも、その度胸を買われてプロレス入りした・・」 との触れ込みで、ついたあだ名は 「喧嘩番長」 なのだから、自分流のファイトで暴れまくれば、もっと人気がでたかもしれませんね。
スレーターと言えば眼帯を思い出します。
1980年、アブドーラ・ザ・ブッチャーの火炎攻撃により右目を負傷しながら、眼帯をして活躍しました。
NWA世界王者の関門と言われていた ”ミズーリ” ”フロリダ” の王者にもなっている素材ながら、惜しむなら、これといった必殺技がなかった事。
パンチ、エルボー攻撃といった、当時ありふれた、アメリカン・ラフファイトでは、プロレスファンにはテリーのコピーのように感じた人も多かったのでは・・?
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