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金田のような、一見、上半身主体のゆっくりモーションから、スクリューボールやスローカーブを駆使して、打たせてとる投球で一世風靡した左腕。
メジャーでは10年間プレーし、エンジェルス → ブルワーズ → レンジャース で100勝111敗3S の成績を残しました。 1970年、22勝12敗と大活躍。 ア・リーグ=カムバック賞の他、アスレチック戦ではノーヒット・ノーランも達成しています。
但し、好成績は長く続かず、ブルワーズ移籍年は9勝20敗と大きく負け越し、更に翌年のレンジャース移籍では、4勝6敗と低迷。 そんな矢先に目をつけたのが巨人でした。
当時の長嶋巨人は、球団史上初となる最下位からの脱出に向け、先発の見直し中でした。 この時点でのエースは、すでに力の落ちていた堀内恒夫であり、小林繁、加藤初、新浦寿夫 あたりが主力・・・。
クライド・ライトからしてみれば、「レベルの低い日本野球」 との思いから、自分を救世主のような存在だと信じての来日だったみたいですが、まだローテーションやリリーフといった分業制が確立前の日本野球になじめず、途中交代や代打を告げられると怒り狂い、監督室に空き瓶を投げたり、ドアを蹴り破ったり、ユニホームを引きちぎったりのクレージー行為を連発。 ついにはあだ名が、「クレージー・ライト」 になってしまいました。
3年間、巨人でプレーした結果は、1年目=8勝7敗 2年目=11勝9敗 3年目(途中帰国)3勝2敗 計22勝18敗で防御率は3.97・・。 毎年のように機嫌が悪くなると、「もう日本には来ない」 と罵声を発していましたが、3年目も同じく途中交代を告げられると怒り狂い、本当に帰国してしまいました。
鳴り物入りとして巨人に来た割には、イマイチな成績でしたが、インパクトだけは残った迷選手でした。
通算成績 メジャー ・・・ 100勝111敗3セーブ
ノーヒット・ノーラン1回、カムバック賞、オールスター出場1回
巨人 ・・・ 22勝18敗
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