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宮崎県の古豪 宮崎商業出身。(春2回 夏4回 ・・ H28・2時点)
身長180cmと大柄で、野球センスも抜群の水谷はエースで4番。 1964年(昭和39年)、第46回・夏の甲子園大会に出場すると、2年生とは思えない剛腕ぶりを発揮し、2−0旭川南 4−1滝川 5−1熊谷商工と撃破、準決勝で高知と対戦。 白熱した熱戦は1−0で高知(今大会優勝)に軍配があがりますが、この快進撃がきっかけとなり、翌1965年(昭和40年) 広島カープよりドラフト4位指名を受け、投手として入団します。
甲子園での活躍もあって注目されるも1年目から内臓疾患(腎臓病)を起こしてリタイア。
翌年から打者に転向するも、内野の守備に不慣れな為、凡ミスを連発し、ついには外野に再転向。
あまりに守備が下手な為、一時は解雇寸前にもなったという逸話が残っています。
表舞台に立つようになったのは入団4年目の1970年(昭和45年)になってから。
強打者特有の強振をせず、投球パターンに応じて配球を読み、コンパクトに振りぬくスタイルが身につくと安打を量産。1975年(昭和50年)〜1983年(昭和58年)にかけ、8回のシーズン100安打以上をマーク。
内5回、打率3割以上と打ちまくり、1978年にはセ・リーグ首位打者に、阪急に移籍した1983年には打点王に輝く等、プロ野球を代表する好打者として活躍しました。
1983年(昭和58年)、古葉監督のチーム若返り目的で阪急にトレードされますが、相手はベテランの加藤秀司。それも前年(1982年)の成績を比べれば、水谷は打率303 に対し 加藤は235 と低迷。
同じアベレージヒッタータイプの中距離打者。 気が強く頑固なあたりも同じとなると、問題児の加藤よりも、カープ一筋、不動の5番打者の残留を求めるカープファンも多く、古葉に対するファンの信頼度が徐々に低下していくきっかけになりました。
そんな中、加藤は故障を起こし僅か75試合 打率261の成績しか残せず、翌1985には近鉄に移籍。
水谷は130試合全てに出場し、139安打 36本塁打 114打点 打率290 で打点王ですから、カープファンの怒りは最高潮。 それでも古葉が監督を続けれたのは、これらのベテランの力がなくても若手の成長があり、1983年=2位 1984年=優勝 1985年=2位 と安定した成績を残したから。
ベテランになればなるほど円熟味を出した水谷でしたが、1984年の開幕戦において、土屋正勝より頭部死球を受けリタイヤ。以後、いぶし銀のバッティングは甦ることなく、1985年(昭和60年)をもって引退。
= 通算成績 =
1522安打 244本塁打 809打点 44盗塁 打率285
首位打者1回 打点王1回 ベストナイン1回 日本シリーズ優秀選手賞1回 オールスター出場1回
シーズン最多二塁打1回 シーズン最多試合出場1回
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2016年02月20日
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昭和プロレス史上、最強タッグチームと言えば、「スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ」 の超獣コンビ。
圧倒定なパワーと体格。 観る者、誰もを納得・満足させるフィニッシュ・ホールド。 このコンビの前には、一昔前に最強と言われた 「ザ・ファンクス」 「ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田」 もタジタジ。
そんな中、1983年(昭和58年) 全日本プロレス世界最強タッグにおいて、「マスカラス・ブラザーズ」が対戦。 正直、やる前から結果がわかっている試合ながら、人気チームの激突観たさに、福岡国際センターは超満員。
好カード一つで大会場が満員となる昭和のプロレス。 その熱気・・・ その声援・・・ その話題・・・ ファン同士の語り・・・ 今ではもう体験する事のできない ” プロレス愛 ” が、この時代にはありました。
試合は序盤から超獣コンビのパワーが炸裂。 5分の力でマスカラス兄弟をいなす姿に会場のファンから、必死の声援が飛び交う中、フライング・クロスチョップやアトミック・ドロップとツープラトン攻撃で反撃するも、最後はドス・カラスがブロディにつかまり、助走なしの雪崩固め (パワースラム?) 一発でフォール負け。
実兄弟ならではのコンビネーション・・ という程でもなく、技もショボく、動きも鈍い小柄マスクマンコンビ・・・。
今のプロレスファンが観たら、確実に暴動モノ? かもしれない凡戦に酔いしれるファン。
でも、そこが昭和プロレスの面白さ。 勝負の行方がわからない名勝負・熱戦に酔い、勝ち負け関係なく、好きなレスラーの試合を観る事に酔う・・・ 難しい理屈や理論なしに、各自の感性だけで受け止める楽しさが醍醐味だった時代。
今の時代観では凡戦でも、当時としては最高のカード。 まさに 「古き良き昭和」 が凝縮された一戦だったように思います。
動画やケーブルTVのなかった昭和時代・・・
録画放送を見るか、直接会場に行くしか観戦手段がなかった事も会場が満員になる理由だとは思いますが、もう一度、あの頃に戻って、あの熱気ある会場でプロレス観戦をしたくなる時があります。
個人的にはさほど好きなコンビではなかったのですが、「マスカラス・ブラザーズ」 と聞くだけで、気持ちは1980年当時にタイムスリップ。 ちなみに70歳をこえたマスカラスが、いまだに第一線で活躍とは・・(汗)
P/S ・・・
この一戦の実況は倉持アナ、解説は田鶴浜。 試合前から勝負の行方は決まっているような二人の噛みあわないヘボトーク。 田鶴浜の 「〜ですな」 といった嫌味なオヤジ喋り、そして意味不明なスターウォーズ例え話。
流暢な喋りの古館&小鉄の噛みあった実況・解説が売りの新日本と比べて、よくレスラー名や技名を間違える倉持アナ+野暮ったい解説陣(馬場も含め・・)の全日本。 今思えば、この解説の差にも、「新しさを追求する新日本」 と 「伝統やレトロを重んじる全日本」 のプロレス観が出ていたように思います。
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