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「裏切りの極悪大王」 の異名をもつミスター・ポーゴ。
父親が地元の代議士という恵まれた生活環境が原因か、身体も大きくそれなりの格闘センス(柔道出身)をもちながら、何某につけ挫折の繰り返し。 それでも才能を買われ、スポーツ推薦を受け中央大学に進学しますが、ここでも挫折し中退。 同期生は鶴田友美ことジャンボ鶴田。
中退後、父親の後援会だった方の口利きで、大相撲・二所ノ関部屋に入門し、本名の関川で初土俵。
すぐに頭角をあらわし、翌年の秋場所では序の口で優勝。 期待されるも膝を故障しまたも挫折。
今度は中学時代の柔道仲間だった浜田広秋(後のグラン浜田)と、旗揚げ早々の新日本プロレスに入門。
選手のコマ不足もあり無事デビューとなりますが、山本小鉄との関係が悪化し、わずか1シーズンで解雇・・・ そして挫折と、とことんツキのない人生・・・。
しかしすでに代議士だった父親は他界しており、生きるすべを探す為単身渡米。
かつてのグレート東郷のような、「殴る・蹴る・やられる」 といったショーマン派レスラーに転向し成功。
ザ・ファンクス、ハーリー・レイス、ダスティ・ローデス、リック・フレアーといった大物との抗争まで展開する程に。
そんな中、テリー・ファンクが主催した興行に参戦した折り、尊敬するグレート東郷を真似て、ミスター・トーゴーを名乗って参戦した節、テリーが誤って、ミスター・ポーゴーと誤記した事から、以後のリングネームは、ミスター・ポーゴとなったという逸話があります。
1976年(昭和51年)には国際プロレスに参戦すると、1986年には古巣であった新日本プロレスにも凱旋参加。 ケンドー・ナガサキとのコンビで、藤波辰巳&木村健吾が所持するIWGPタッグに挑戦する等、それなりのレスラーとして活躍しました。
ところが・・・ シリーズ終了後、メインとして活動していたプエルトリコに戻ると、ブロディ刺殺事件によるプロレス人気の低迷の煽りをうけ失業状態。 挫折状態で帰国し、地元のプラスチック形成工場員として働く事に。
それでも大仁田の誘いでFMWに参戦が決まりプロレス復帰。
以後、ジャーニーマン(転々と流れる者の意味)を繰り返し、幾つもの団体のマットに参戦しては消え・・・ のプロレス人生。 そんな生き様を皮肉ったのが、「裏切りの極悪大王」の所以みたいです。
1951年2月生まれですから、H28年10月時点での年齢は65歳。 まだまだ現役中。 昭和プロレス最後の生き残りレスラーを目指して活動中。
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2016年10月07日
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平成28年10月2日(日) 晴れ
宇和島 大潮 波1.0m 満潮7:48 19:52 干潮1:34 13:48
友人Oさんと釣行。 サンゴかゴミか、またまた小石か・・・? リールを巻くと重いのですが、魚のような引き込みもなく・・・ あがってきたのはタコ。 Oさんがネットですくってくれたのはいいのですが、いつも釣っている真蛸には似ても似つかぬ奇妙な模様。 胴体には紋様が入り、脚は長くて奇妙な模様。 もしや、あの恐ろしいヒョウモンダコでは?とも思い、触ることなくとりあえずキープ。
帰港し、スマホで検索してみると 「ワモンダコ(輪紋蛸)」という普通のタコで、沖縄県あたりでは高値取引される高級蛸であることが判明しました。
しかし・・ 見れば見る程不気味。 まだ一抹の不安があるので、出迎えにきた船宿さんにあげました。
宇和島以南の海の釣りでは、見たこともない魚が良く釣れ驚かされます。
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