|
特に身体が大きいわけでもない・・ 特に技が凄いわけでもない・・ 特に力があるわけでもない・・
そんな何の変哲もないレスラーが、何故か印象的に残ったりするものですが、私の場合は34年前(H30・3時点)に見たピラタ・モルガンが、何故か脳裏に残っています。
1984年(昭和59年) ・・ 「全日本プロレス 世界最強タッグ 愛知大会」
二代目タイガー・マスク(三沢) VS ピラタ・モルガン の一戦は、30分1本勝負 として全国ネットで放送。
誰もが前座の余興程度に考えていたと思います。
ピラタ・モルガンはメキシコ出身のヒール(悪役)で、身長176cm 体重98kg のジュニア・ヘビーレスラー。
右目にアイパッチ(黒い眼帯)をつけ、いかにも2代目タイガーの盛り上げ役そのもの。
一説では1981年、試合中の怪我で右目を失明したそうですが、自身のアイパッチ姿から海賊をイメージし、17世紀にカリブ海を荒らしまくったヘンリー・モーガンをモデルに、リングネームをピラタ・モルガンに変更。
1984年に初来日。 2代目タイガー・マスク、大仁田厚あたりの全日本プロレス・ジュニア軍と対戦しました。
さて、この試合ですが、風車式バックブリーカーや場外での空中殺法等、2代目タイガー・マスクが押せ押せムードの中での試合展開。 たまにモルガンが反撃しますが、すぐにきり返され、フォール負けは時間の問題かと思いきや、カウント2・5で、ひょいと前方に投げては跳ね返し、即、何事もなかったかの如く試合続行・・・。
そのタフネスぶりには会場のファンも、倉持アナも驚き。 っというよりもタイガー・マスクも攻めあぐねた観がちらほら。 最後は ”タイガー・スープレックス84” で仕留めましたが、この7分20秒の試合は、何故か私の中のベストマッチ?になってしまいました。
その後は来日がなかったのか、二度と見かけませんでしたが、最近調べてみると、意外にもタイトル歴多数。
当時のプロレス界では、王者は強いだけではダメ。 いかによい試合(盛り上がる試合)を行い、客が呼べるかがチャンピオンの条件。 っということは、モルガンは地元では人気・実力を兼ね備えていた事になります。
(来日は1990年6月=FMW、1994年11月=WAR が有り。)
1985年以降は、兄を含むトリオ活動が成功。 海賊集団 「ロス・ブカネロス」 と名乗り、メンバー全員が同じアイパッチをつけ話題に。
2010年には実子のイホ・デ・ピラタ・モルガンとタッグを組み、見事、IWRGインター・コンチネンタル・タッグを奪取。 兄や息子といったファミリーコンビで活躍とは・・・ 流石、海賊です!
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2018年03月10日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]






