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1980年(昭和55年)前後の日本プロレス界における有望新人を振り返ってみると、新日本プロレスには、1978年に前田日明、平田淳二、ヒロ斎藤が入門。 1979年、ジョージ高野。 1980年には、保永昇男がデビュー。 更に1981年、高田延彦、高野俊二、仲野信市、新倉史祐がデビューし、山崎一夫が入門。 その後も、有望新人が続々入門した事から内部が活性化。 団体の将来性も高く、前座からメインまで、質の高い試合が展開されるようになります。
ところが全日本プロレスは、有望新人が育つどころか入門希望者も少なく、たまに入門してもすぐに辞める始末。1979年にデビューした越中詩郎と、1981年にデビューしたターザン後藤以外、若手らしき者と言えば、小柄な淵正信、大仁田厚、ハル薗田くらいもの。 越中も後藤も、決して体格面に恵まれていたわけではなく、大型ファイターを望む全日本の場合、頼えるのは鶴田、天竜、戸口くらいのもの。
そんな御家事情もあって、後藤に対する期待は高く、数年間、ジャンボ鶴田の付き人を務めます。
大相撲出身。 1979年(昭和54年)中学卒業後、15歳で九重部屋に入門。 静岡県島田市初の力士誕生という事で話題となり、地元からは注目されたようですが、同年11月にあっさり廃業。 最高位は序二段95枚目。
その後、全日本プロレス入り。 身長178cmと小柄ながら、基礎的なレスリングを身に着けた事もあり、徐々に頭角を現すと、1983年(昭和58年)のプロレス大賞・新人賞を受賞するにまで実力がアップ。
1985年(昭和60年)、海外遠征が決定。 ベトナム出身レスラーとギミックを打ち、「ホー・スー・ウィン」なるレスラーを名乗って大暴れ。 翌1986年には、テネシー州に進出。 佐藤昭雄とタッグを組み、同地区のインター・ナショナル・ヘビー級王座に君臨と活躍。
私生活も充実したようで・・・ 全日本女子プロレスにも来日経験(1984年に来日)のある女子レスラー ” デスピナ・マダガス ” と結婚。 結婚のきっかけは、ミックス・マッチ(男女混合試合)を行った際、タッグを組んだ後藤が一目惚れし、リング上で告白したとの事。 (しかし・・後に離婚)
そんな後藤に対し、全日本プロレス側は無視。 後年、インタビューで馬場は、「後藤は向こう(アメリカ)で結婚して、プロレスを辞めたと聞いたので、帰国命令を出さなかった」 と応じていますが、実際は当時、長州軍団(ジャパン・プロレス)、カルガリー・ハリケーンズ、国際プロレス残党、フリー日本人、更には全日本所属の若手〜中堅レスラーと、全日本プロレスは日本人レスラーで溢れており、対戦カードも組めない状態。
後藤を無理やり帰国させるメリットや話題はなく、建て前は 「結婚して廃業と聞いた」 ですが、実はわざと連絡しなかった・・ が本音のようです。 当然ながら本人に問い合わせは一切無し。 馬場にはこういった冷酷さがあり、日本人レスラー(特に所属している)に対しては、天龍のようなスターレスラーにも、長年にわたり給料の遅滞を誤魔化す為、現物支給(給与の不足分を、チケットで支払う)を行っており、危険な職業でありながら、保険加入も自己負担にさせていた程。 (この現物支給の件等は、天龍自身が後年にインタビューで応じています)
そんな折、FMWを立ち揚げるから協力してほしいと、大仁田から連絡があり帰国。
(但し本人談では、ジャンボ鶴田から、帰国命令が出たのだと勘違いした・・との事)
馬場に退団を申し入れた後、FMWに参戦。 平成元年12月、後楽園ホール大会にて大仁田と組み、初となる有刺鉄線デスマッチを慣行。 以後、デスマッチの鬼として活躍。 平成2年には、初となるノーロープ・有刺鉄線電流撃破デスマッチを行い、プロレス大賞・年間最高試合に選ばれています。
過激なデスマッチにも怯まず、タフネスぶりを発揮するうちにファンが増大。 異名も=「鬼神」と命名され、売れっ子レスラーに。 過激ぶりは異種格闘技戦にも広がり、1991年(平成3年)には、異種格闘技タッグ選手権に大仁田とタッグで出場。 柔道王こと山下や斎藤のライバルとして有名な、身長187cm 体重125kgの巨漢柔道家のグリゴリー・ベリチェフ&コバ・クルタニーゼを破り、初代世界マーシャル・アーツ・タッグ王者に君臨。
1992年には、ビック・タイトンを破り、世界マーシャル・アーツ王者に君臨。
1994年3月、WAR両国大会に大仁田と出場。 天龍&原と対戦。 後藤のアシストで大仁田が天龍からフォール勝ちという番狂わせの一番を演じ、二度目となるプロレス大賞・年間最高試合を受賞・・・。
年齢と共に、体重が増加していき、一説では150kgにも達したとの事。
しかしレスリング・テクニックは高く評価されており、多くのレスラーが後藤から指導を受けて育っています。
2017年7月16日放送の 「新婚さんいらっしゃい」 に再婚相手と出演。 妻が経営しているラーメン屋で修業していると語っていますが、真相はいかに?
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2018年09月30日
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H30年9月30日(日) 大雨(台風24号)
超大型の台風24号が迫っています。四国南部から紀伊半島、更に関東→東北→北海道と列島を横断。
更に台風25号が発生し、同じルートで日本列島に接近中。 今年の台風の多さは異常ですね。 今後も、このような発生率になるとしたら・・・ 考えただけでも恐ろしい話です。
世の中、そのような深刻な事態になっていること等、倉庫内に飼育される大ウナギには関係のない事・・・。
大ウナギにとって大事な事は、美味しいドジョウにありつける事ができるか・・・ のみ。
朝、倉庫に行くと、早くもドジョウをくれと猛アピール。 昨日も中型ドジョウを7〜8匹は食べたはずですが、もう腹ペコのようです。 そして今しがたも、ドジョウを5匹丸飲み。
ドジョウも必死ですので、水槽内を逃げまくりますが、餌が水槽内にいると理解した後の大ウナギは、その餌を食べるまで、絶対に追跡の手を緩めません。 それも面白い事に、まずは水槽内をクルクル回って餌を探した後、次は、塩ビ管や石陰を探し、それでも見つからないと、水槽の上部をじっと眺め・・ の繰り返し。 徹底した餌探しで発見後は、近くならそっと近づき、遠くなら猛ダッシュで逃げる暇を与えない・・ 実に頭の良いウナギです。
ところが、以前、水槽に大量飼いしていた時、実に餌捕りの下手なウナギがいました。 その為、横から別のウナギに餌を横取りされるので疲弊。 痩せていくので結局自然界にリリース。 このような要領の悪いウナギも。
確かに同じ場所でウナギ漁をしても、太ったウナギと痩せたウナギの差があります。 私の場合は、山奥に長年居ついたウナギを狙いますので、餌や環境に差はありません。 この体格の差は、ウナギ自身の頭の差(利口=要領が良い か馬鹿=要領が悪い か)だと思っています。
画像右上に逃げるドジョウの姿。 左隅にいたドジョウに噛みつくも失敗し、ドジョウが逃げたシーンです。
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H30年9月29日(土) 雨
今日は娘・お咲希さんの運動会。 幼稚園最後の運動会でもあり、本人も毎日かけっこの特訓をする張り切りぶりでしたが、無情にも台風24号によって台無し。 結局、小学校の体育館を借りて行う事に・・・。
親子リレーがあったので、私も参加。 長年、全力疾走した覚えがなく、やや不安もある中、いざ走ると身体が軽く、ぐんぐん加速。 トラックが小さすぎ、前二人の走者に追いつくも、抜くまでにバトンタッチ・・・。 直線だったら、ぶっちぎりだったのに・・・ と悔やむ私です(笑)
帰宅後、久しぶりにメダカ飼育鉢の水替えを行いました。
毎日餌はやっていたのですが、鉢の中のウォーター・マッシュルーム(水草)が繁殖し過ぎで藻が発生。広範囲に広がった為、メダカがどのくらい生存しているか、確認ができていませんでした。
しかし・・ メダカたちは逞しく?生き延びており一安心。 ウォーター・マッシュルームのきれいな部分のみ切り取り、不必要な苔や藻を取り除き、水替えは終了。 (もちろん水質管理や塩素抜き等もばっちしです!)
だいぶ寒くなってきました。 冬までにはもう一度水替えを行う予定。
外で飼育は厳しいので、倉庫内での飼育に切り替えるつもりです。
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