|
H30年12月16日(月) 雨 → 曇
日中はさほどに思えなかった寒さも、夜となると一気に気温が下がり、暖房器具なしでは過ごせない程。
倉庫の中は芯から冷え込み、水槽の水温はどこまで下がるのやら・・・。
ウナギの水槽を覗くと、いつもは塩ビ管の隙間で寝ている大ウナギが外に出て、やや屈曲したような格好で寝ていました。 軽くガラスを叩くと目が覚めたのか、じわっと動いて・・ また一眠り。 よほど寒さが堪えたようです。
2月になると、寒さはこのようなものではありません。 初めて水槽で過ごす大ウナギの冬は、けっこう厳しいものになっています。
寒さが厳しく、体も屈曲していますが、見た目と違って元気。 水の冷たさは指先が痺れる程です。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2018年12月17日
全1ページ
[1]
|
H30年12月16日(月) 雨 → 曇
H30年も残すところ15日となりました。 歳をとったからか?とにかく一年間が早いです。
私が歳をとれば、当然ながら親や親戚も歳をとる・・・。 高齢の両親や親戚の叔父叔母たち。 元気にいつまでも暮らせるのも、そう長くはありません。 一年が終わるとほっとする反面、限られた時間が過ぎて行く焦り・悲しさも感じるようになりました。
また逆に、娘・” お咲希さん” は4月から小学1年生。 子供の成長と共に訪れる、親との別れの時。 私も50歳を過ぎ、実に複雑な状況になってきました。
お正月は、元旦のみ西予市の実家に帰ります。 AMは嫁の実家、PMは私の実家。 忙しいですが、4日から仕事だけに、2〜3日くらいはのんびり過ごしたいですしね。
今年の正月用の酒は、大好きな「出羽桜 (山形)」 で決まりです。 それも純米酒ですから楽しみ!(喜)
この酒は、釣り仲間のNさんからお歳暮で頂いたもの。 大切に・・ そして美味しく吟味させて頂きますね。
|
|
H30年12月16日(月) 雨 → 曇
年末となり、またも気温が下がりました。 本日の松山市は、最高気温が11℃でしたので、昨日とくらべー2℃。
この気温で夜を越えると、明日の朝、水槽の水温は外気温と同じとなります。
水温と気温は一定していますが、その日の状況で上下する気温と比べ、水温が下がって気温と一定となるには1〜2日かかるといいます。 その点、倉庫の中の水温は一度下がると上昇しない為、良く言えば安定、悪く言えば冷蔵庫状態・・・。 小鯉達が凍死しないか心配です。 (でもヒーターは無し。 あくまで自然界の生き物は、その地の条件にあった飼育がモットーなので)
倉庫外に置いて飼育中のメダカ鉢。 状態を安定化させる為、今日から倉庫の隅で飼育となりました。
帰宅後に覗いてみましたが、寒さに負けず、底砂にへばりつき耐えていました。
一体、あんな体の小さなメダカのどこに、こんな厳しい環境を生き抜く力が秘められているのか・・・。
メダカたちが無事、春を迎える事を祈ります!
倉庫の入り口付近に置いたメダカ鉢。 15〜20匹くらいの天然メダカと、小さな色鯉が数匹。 その他、小さなドジョウやモロコ数匹が入っています。
|
|
H30年12月16日(日) 雨
本日の松山市は雨。 PM14:00〜 嫁さんの御両親と義弟家族がこられ、大量の生椎茸をお土産に持参されました。 義父は専業農家。 山間地域だけに林業が盛んで、特産物は椎茸や栗。 獲りたての生椎茸を炙って、醤油で食べると、あとはつまみがいらない程の旨さ。 今日の夜は酒がすすみそうです(笑)
お天道様(太陽)をいっぱいに浴びた椎茸は、骨を丈夫にすると言われるビタミンDが豊富。 また腸の掃除もしてくれるので、便通改善や発癌物質駆除にも役立ちます。 しばらくは夕食に椎茸があがりそうです(笑)
|
|
1996年8月21日 第78回 夏の甲子園大会決勝は、松山商業(愛媛) VS 熊本工業(熊本) の顔合わせ。
過去、夏4回の優勝と3度の準優勝の実績から、” 夏将軍 ” の異名をもつ松山商業に対し、過去2度の準優勝があり、川上哲治をはじめ、多数の有名プロ選手を輩出した熊本工業。 しかし対戦するのは初めて。
一回の表、松山商業は3点を先取して主導権を握りますが、熊本工業もその後は失点を防ぎながら2点を返し、9回表の終了時点では3ー2で松山商業がリード。 9回2アウト ランナー無しと追い詰められた熊本工業。 打席には1年生の澤村。 もはやこれまで・・と誰もが思った瞬間、レフトスタンドに奇跡の同点ホームランが飛び出し、流れは熊本工業へ。 そして10回裏、熊本工業は、先頭の星子が左中間に二塁打。 松山商業は投手を新田からエースナンバーの渡部に交代。 打者・園村は送りバントを決め、星子は三塁へ進塁。
ここで松山商業は満塁策。 澤田勝彦監督は、好投してきた2年生投手・新田をベンチに下げ、正右翼手の矢野勝嗣にチェンジ。 絶体絶命の松山商業に対し、打者・本多はスクイズではなく強打。打球はライトへの大飛球。
若干、風に押し戻されますが80mの大飛球と、俊足・星子だけに、アナウンサーも打った瞬間 「これはいった〜」と叫ぶ中、矢野のバックホームは、「ここしかない」という程ピッタリの大返球。
タッチプレーというよりも、ミットに球が入り、そのミットに星子がぶつかったような形となり、判定は 「アウト」 ・・・。 後でスロービデオで見ても、ごく一瞬早くタッチが確認できたという程の奇跡が起こり、息を吹き返した松山商業は11回表に、好プレーをした矢野がレフト前にヒット。 これを9回裏に劇的な同点ホームランを打った1年・澤村が処理を誤り二塁打とし、一気に3点を奪った松山商業が5度目の全国制覇を達成したのでした。
松山商業監督の澤田勝彦は、松山商業のOB。1980年代の巨人エースであった西本聖と同期にあたり、選手時代は控え捕手。 甲子園に出場経験無し。 (ちなみに、西本聖の実兄=明和と、澤田の実兄=悟も、松山商業の2年先輩でバッテリーを組み、夏の甲子園準優勝しています)
駒澤大学に進学。 同期は石毛宏典(西武等)がおり、卒業後は東京の信用金庫に就職が決まっていたそうですが、当時の松山商業野球部・部長の強い要請もあって帰郷。 野球部コーチを経験しながら、1988年9月1日、前任の窪田監督より監督職を引き継ぎます。(松山商業22代監督)
但し、名門・松山商業は、常に甲子園出場と常勝が求められる存在。 就任後、春・夏 計3度の甲子園出場を果たしながら、全て初戦敗退という内容に、全国のファンやOBから避難が殺到。 この1996年の夏出場には、悲壮な覚悟があったとの事。
2001年=第83回 夏の甲子園大会では、好投手・阿部健太(近鉄・阪神)を擁して、ベスト4の好成績。
以後、甲子園への道は厳しく、2006年、体力の衰えを理由に勇退を決意。 後任は白石勇二コーチ。
2010年、北条高校に異動となり野球部監督に就任。
指導方針は目標が「甲子園」、目的が「人間形成」。「人間的に優れていなければ良いプレーヤーになれない」が持論。座右の銘は「勝機一瞬」 (勝つチャンスは一瞬、逆に敗因となるのも一瞬。常に一球一球を一瞬一瞬を大切にするという意味)
「奇跡のバックホーム」 に関するエピソードとしては、プレーの直前にライトを交代させるか迷っていたところ、どこからか 「今を乗り越えないと次はない」 と天の声が聞こえたことで迷いが消え矢野を起用し、語り継がれるプレーが生まれたとの事。
また松山商業では、外野からのバックホームは、ワンバウンド返球か内野中継と決まっていたそうですが、外野の定位置からの返球に限り、ダイレクト返球をしてもよいと指導。 この事を澤田監督は忘れていたそうですが、矢野外野手は覚えており、とっさに投げた返球であったとの事。
|
全1ページ
[1]



